いわきculbSONICで仲井戸麗市を見た。
昨夜、いわきのculbSONICで仲井戸麗市を見た。66才の「少年」だった。ルート66。昨日、彼のステージを見ながら、自分はその昔、目の前 にいる少年のような彼のその「少年期」に憧れていたのではないか?と、そう思った。60Sの新宿。風と月のカフェ。ビートルズ武道館公演。押し寄せるブリ ティッシュ・インヴェイジョン。そして、そんな日々の中でのバンド活動。「新譜ジャーナル」を見ながら一緒に彼のポーズを真似ていた地方都市の同志が経営す るハコで見た仲井戸麗市は、しかし、すっかりおじさんになり始めている自分を尻目に"強靭な少年"だった。
少年期は牢獄だ。居心地良さが骨身に染みているくせに、何時の頃から誰もが「大人」になるためにそこからの逃走を試みる。区画整理予定地の荒地に建てら
れたプレハブの飯場。石巻の元漁師だった出稼ぎ親父たちの、夜ごとの猥歌をイヤフォンで耳塞ぎながら、かび臭い布団にくるまりカセットテープでガブのみに
聴いたのは、彼の1stソロアルバム収録の「One night blues」。少年はどんなに逃げても必ずもう一人の自分にとっ捕まり連れ戻される。何時の頃から自分にとっての少年期とは、ドジで、ヘマで、無力で、鬱陶しい時代の代名詞になってしまった。アントワーヌ、大人は判ってくれない。
昨日も66才の「少年」は囚人だった。ブルースとロックンロールの囚人。だが、何処にも行けない、逃れられないという常日頃の自分の思いに対し、彼 は、そこにいればいい、それでいい、と告げていた。SEは「What wonderful world」と「EVERYTHING'S GONNA BE ALRIGHT」。いつまでも踊っていたかった。
深夜のハイウェイ。空で風の道を雲が歩いてた。太平洋の暗い水のうねりが少女の影を砂にして崩していた。防波堤の長いベッドにかつての自分が寝転んでい るのを見た。5秒毎に走る灯台の光と密漁船の幻。ボトルネックのギターの響きが脳みそをビブラートして助手席の眠りを妨げる。蒸し暑い夜のボンネットとそ れにへばりつく蛾。リポD片手のインスタントなサマーツアーの、夢のカーステレオから流れるのは「The仲井戸麗市 book」。
昨日、いわきに仲井戸麗市がいた。
少年は永遠に夏を生きている。
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