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暑中お見舞い申し上げます。

 暑中見舞い申し上げます。

 毎朝、会社の朝顔が幾つ花開いているのかを楽しみに出かけます。作ってもらった弁当にどうしてももう一品付け加えたい喰い意地の張った自分の最近の楽しみは、現場前のオリジン弁当のお惣菜を昼ごとに100g(大体200円前後)買って、メニューを完全制覇することです。いよいよ明日達成されます。レジのおばさんが優しい。エビ&イカチリソースが絶品です。

 去年末からだいたい府中にいて小さい現場をこなしてきましたが、6月末から市新庁舎建て替えに伴う調査をしています。もしかしたらしばらくここにいることになるかもしれません。府中は自分がこの仕事を始めた場所でして密かに縁を感じています。

 去年の今頃は赤羽にいて、その現場はエレファントカシマシのメンバーの母校を解体するそばから掘り始めるという内容で、しかも発生する残土の置き場がリーダーの元家の跡・・・ということもあり、結局、夏中彼らの歌を聞いて過ごしました。

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 赤羽台団地は元旧陸軍の被服本省があった場所なので、その煉瓦造りの基礎を掘りだしただけでかの時代に逆戻りしたようでしたが、防空壕と思しき遺構の中に細長い楕円の硝子に何らかの液体が入っている物体を見つけ、すわっ火炎瓶か?と思ったら、全く違ってそれは「消火弾」というものでした。空襲などで周りが火の海になったら投げ込むようにと防空壕に備えられていて、それが起き去られたものなのかもしれません。それと缶に入った8mmフィルムが出てきたっけ。

 先週の日曜日、いつも行くラーメン屋に携帯を忘れ、気が付いて取りに行くと店は閉店で“月・火は休み”の貼り紙がしてありました。つまり週の初めの二日間、ぼくは携帯を持たずにいたわけで、それは落ち着かないような気楽なような、何とも言えない妙な気分でした。あの小さな機械がないだけで少し自由になれたような・・・その二日間、現場至近の神社には例の新しいゲームをする人々が鈴なりで、ガラケーユーザーでそれさえ不所持の自分の小さな無頼心がくすぐられたりしましたが、思えば我が細君は未だ携帯すら使わない人。彼女が日頃、何を疎んじてそんな風に暮らしているのか少しだけ分かった気がしました。

 携帯は水曜日に取りに行くと無事にありほっとしましたが、十年通って初めて無口な店主と言葉を交わしました。人間万事塞翁が馬。因みにそのラーメン屋には電話がありません。上には上がいるものです。

 今年はお盆休みもなさそうです。あんなに一生が夏休みだったら・・・としきりに夢見ていた頃が嘘のように、時々、仕事していた方が楽だと思う自分がいます。やっと大人になったのか、ある部分が怠惰になったのか・・・良く分かりませんが。

 毎年のことですが今年の夏も暑くなりそうです。謙虚に見せようとかなんとかそんな下心抜きに、マジにこの季節は一日一日を生きている感じがします。昨日は水を1リットル飲みました。塩飴が欠かせません。皆さんもご自愛下さい。

 ところであの8mmには何が映っていたのでしょうか。今度、聞いてみようと思います。

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The letter

 

 昨日、懐かしい人に電話した。懐かしい声が耳元に広がって、声が少し震えていた。それを聞いてぼくの声も少し震えてしまった。

「何度か手紙を書いたけど、いつも戻ってきてしまったの。」と、代わった妻にその人は言ったという。知らなかった。自分たちが、昔あんなに世話になったその人に、そんな存在になってしまっていたなんて。

 仕事はどう?
 子供は大きくなった?
 普通が一番よ。

 私、パソコンはやらないから、と前に会った時に言っていたっけ。「スマホ」どころじゃなくて「パソコン」。ぼくらに書いて戻ってきたという手紙には何が書いてあったのだろう?そしてその手紙を前にしてその人がどんな思いでいたのか。

「今年は今の住所をちゃんと書いて年賀状を送るね。」と妻が言った後、少し会話して受話器を置いた。会わ(え)なかった時間の全部が、ありきたりな言葉と声に含まれていた。

 今日は空も鳥も木の葉も公園のベンチも、みんなその届かなかった手紙の中の言葉に見えた。思えた。そんなに遠くない昔、世界はそんな言葉で出来ていたのだ。

 昨日、その声は
  ぼくにその事を教えてくれた。

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Momento Magico

Photo  娘が九月に重慶に留学してしまう前に、ということで、昨夜、家族プラスぼくの韓国語の先生を交え食事した。場所は日野駅前の「ホンガネ」。先生は娘の友人でソウルからの留学生。

 「ホンガネ」という店名は"洪さんの家"の意で、彼女(以下、선생님(ソンセンニン)=先生)の苗字も「洪=ホン」さんなので、一度一緒に・・・と前から話していたのだ。日本に在る韓国料理店は何処も日本人に合わせてあるので生粋のソウルサランである선생님(ソンセンニン)の舌に合うかどうかちょっと心配だったが、満足してくれたようだ。さすがオモニ。どれも美味しかった。http://www.honggane-hino.com/

 昨日の食事中、「オリエンタルラジオの「パーフェクトヒューマン」はPSYの「カンナムスタイル」のパクリではないか」という話になった。言ったのは娘。韓国の歌手PSYの「カンナムスタイル」は世界の動画再生回数1位になった曲で、ちょっとしたリップサービスも含んだ発言だったと思うが、我が선생님(ソンセンニン)はPSYが嫌い。あれやいわゆるK-POPのようなものが世界中に広まり、韓国の音楽があれだけと思われるのは心外だ、のような感想を선생님(ソンセンニン)は述べた。「ナ・ユンソンは?」と聞くと「彼女のような人がもっと知られるようになってくれればいいと思います」と、선생님(ソンセンニン)は言った。

 以前、トム・ウェイツの「Jockey Full Of Bourbon」の凄いカヴァーをYouYubeで見つけて以来、ずっと聞いているナ・ユンソン(나윤선)。冬季ソチオリンピックの閉会式に彼女は登場したがその歌声は日本では無視されていた(と思う)。

 ↓はヨーロッパを一撃した彼女の「Moment Magico」。

   https://youtu.be/43OO1AQvIuM<

 この曲を聞くたびにJazzyなメロディーの中、彼女の声にパンソリ(韓国の民族歌謡)の響きのようなものを勝手に感じてしまい、「アジアの同胞」(古い言葉)としては、自然、嬉しくなってしまう。ケルアックの伴奏者だったデヴィッド・アムラムの言葉の幾つかを思い出す。

 昨夜の東京は蒸し暑かったが皆で相談してプデチゲ(部隊鍋)を食べた。汗をかいて外に出ると生ぬるいはずの風が一瞬、涼しく感じた。Momento Magico!楽しい、佳い夜だった。

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いわきculbSONICで仲井戸麗市を見た。

 昨夜、いわきのculbSONICで仲井戸麗市を見た。66才の「少年」だった。ルート66。昨日、彼のステージを見ながら、自分はその昔、目の前 にいる少年のような彼のその「少年期」に憧れていたのではないか?と、そう思った。60Sの新宿。風と月のカフェ。ビートルズ武道館公演。押し寄せるブリ ティッシュ・インヴェイジョン。そして、そんな日々の中でのバンド活動。「新譜ジャーナル」を見ながら一緒に彼のポーズを真似ていた地方都市の同志が経営す るハコで見た仲井戸麗市は、しかし、すっかりおじさんになり始めている自分を尻目に"強靭な少年"だった。

 少年期は牢獄だ。居心地良さが骨身に染みているくせに、何時の頃から誰もが「大人」になるためにそこからの逃走を試みる。区画整理予定地の荒地に建てら れたプレハブの飯場。石巻の元漁師だった出稼ぎ親父たちの、夜ごとの猥歌をイヤフォンで耳塞ぎながら、かび臭い布団にくるまりカセットテープでガブのみに 聴いたのは、彼の1stソロアルバム収録の「One night blues」。少年はどんなに逃げても必ずもう一人の自分にとっ捕まり連れ戻される。何時の頃から自分にとっての少年期とは、ドジで、ヘマで、無力で、鬱陶しい時代の代名詞になってしまった。アントワーヌ、大人は判ってくれない。

 

 昨日も66才の「少年」は囚人だった。ブルースとロックンロールの囚人。だが、何処にも行けない、逃れられないという常日頃の自分の思いに対し、彼 は、そこにいればいい、それでいい、と告げていた。SEは「What wonderful world」と「EVERYTHING'S GONNA BE ALRIGHT」。いつまでも踊っていたかった。

 深夜のハイウェイ。空で風の道を雲が歩いてた。太平洋の暗い水のうねりが少女の影を砂にして崩していた。防波堤の長いベッドにかつての自分が寝転んでい るのを見た。5秒毎に走る灯台の光と密漁船の幻。ボトルネックのギターの響きが脳みそをビブラートして助手席の眠りを妨げる。蒸し暑い夜のボンネットとそ れにへばりつく蛾。リポD片手のインスタントなサマーツアーの、夢のカーステレオから流れるのは「The仲井戸麗市 book」。

 昨日、いわきに仲井戸麗市がいた。
 
 少年は永遠に夏を生きている。

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