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ラリーアッサラームの『ブルーバージンズ・レヴォリューションズ』~16年ぶりの1stアルバム

 中国旅行から帰ってきてすぐ仙台のシンガーソングライター ラリーアッサラームから連絡があった。何でも故下村誠プロデュースで2001年に制作され全国発売された1stアルバム『ブルーバージンズ』を音源はそのままにボーカルトラックだけ新たに再録したものができたのだが、送るので感想を聞かせて欲しいとのこと。そして16年前、このアルバムのために僕が書いた文章をライナーにそのまま使うとの断り。それで早速、本日、届いたのだがこれが良い。

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 このRE・1stアルバムともいうべき"新ブルーバージンズ"には下村さんの「スターダストブルース」「虹の戦士」「Native Mind」の三曲のカヴァーもあってそのポップな解釈も感動的だ。特に「スターダストブルース」は下村さんが間違って音源を消してしまった、として仕方なくボツになったものがギター(下村誠)とピアノ(井上徳子)の音のみが残ったテープが発見され再録されたのだとのこと。16年前の下村さんともう一度セッションした・・・というような事が手紙にあった。ミュージシャンは羨ましい。

 彼のボーカルについて、"幼児が発見したスペクタクルをなんとか言葉で伝えようとする時の"衝動"をドキュメントしているようで新鮮"と16年前の僕は書いている。そして今回そのボーカルは力強く再録されたわけだが、驚いたのはその新鮮さが全く損なわれていないこと。

 それにしてもこのポップな「虹の戦士」と「Native Mind」!下村さんに聞いて貰いたかった。やっとこういうのが出てきた。ありがとう。ラリーアッサラーム。

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登洪崖洞

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 中国は重慶に行っていた。9か月振りに娘と再会、またスカイプ越しに言葉を交わしていた彼女の友人達に直接会えて楽しい時を過ごした。いい旅だった。中国、また行きたい。


 雨の重慶( Chóngqìng)
 その雨後の筍は
 七十年の歳月を経て
 銀色のビルの竹林となった

 夕暮れに
 嘉凌江と長江のほとりに出た僕らは
 輝く船を見つめ
 出逢いと再会を喜んだ
 赤子のようにたどたどしく
 互いのことばを
 教え合いながらー

 朽ちた寺院の屋根
 地下鉄6号線
 力夫(クーリー)
  火鍋
 パイナップル売り

  「雨」からの解放を
  記念した
 碑(いしぶみ)の前の賑わい ※1 

 你是中国人吗?
 我是日本人。

 「雨」の国の人よ
  あなたは慈雨であれ
 その一滴も
 いつか大河になればこそ。

 白日依云  黄河入海流
 欲穷千里目 更上一层楼 ※2

 洪崖洞(ホンヤードン⦆の壁に   
 イービノサウルスの幻 ※3
 その階段を
 新しい人たちが上っていく
 それは
 千里を見はるかすためでなく
 只、足元の今を生きるため

 軽やかな足取りで
 一段一段

 確かな足取りで
 一段一段

 加油!加油!加油! ※4

            
                          2017.4.17
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※1  日中戦争中の1938年2月18日から1943年8月23日にかけて、日本軍は重慶に対し断続的に計218回におよぶ戦略爆撃を行った。解放碑(jiě fàng bēi)は1945年、抗日戦争に勝利したことを記念するため建てられたものである。

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※2 『唐詩選』 巻六 「登鸛鵲楼(かんじゃくろうにのぼる) 」 王 之渙

白日山に依りて尽き 黄河海に入りて流る
千里の目を窮(きわ)めんと欲し 更に上る一層の楼

【輝く夕日は】山の稜線にもたれかかるようにして沈み、黄河は【海に入ってもさらに流れる】。【千里の眺望を】見はるかしたいと思い、さらに【一階上の楼】へと上っていく。

※3 この地域はジュラ紀の地層が露出する世界でも屈指の恐竜化石の宝庫。イービノサウルスは四川で発見された新種恐竜で化石は重慶自然科学博物館所蔵。 写真はその博物館にて。

 

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※4 加油(jiā yóu)  油を加える、でがんばれの意。中国語、面白い。

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加川良さん死去~駒沢あたりで

  

 加川良、と言う名前を初めて知ったのは吉田拓郎の「加川良の手紙」という曲だった。小学生の時。4つ上の兄のカセットテープから流れてきて面白い歌だなあ、と思った。

 今朝、早く起きすぎて眠れなくなって、拓郎に纏わる思い出話をここに書いたばかりだが、良さんの死を知って、今日、また上手く眠れるかどうか分からない。高校生の頃、いわきの「キネマ館」で、村上律さんと一緒のステージを何度見ただろう。打ち上げで「いわきでは冷やし中華にマヨネーズが付くんですよ!」と言ったら、「そんな気色悪いもン誰が喰いますかぁ!」と良さんが笑ったのを思い出す。

 後年、いつかのアースデイ、雨の中ライブを見ていたらビニール傘を貸してくれる人がいてなんと良さんと良さんの奥様だった。僕の事など覚えている筈もなかろうから、きっとそういう事が誰にでも自然にできる人だったのだろう。今日は朝から思い出話ばかり書くことになった。

 悲しい。ご冥福をお祈りします。

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1983年8月3日、夏休みだった。

 

 先日、「アジアの片隅で」についての小文を書いてから色々見ていたら、1981年8月3日の吉田拓郎の宮城スポーツセンターでのコンサートのセットリストを見つけて懐かしかった。

 高校生になったばかりのある日、拓郎のラジオを聞いていたら、「チケットを買ったが、行けなくなったので抽選で当たった人にあげる」という視聴者からのハガキを拓郎が読み上げた。それでダメ元で番組にハガキを送ると忘れた頃にチケットが届いたのだった。あの頃はまだガキでいわきから仙台までも一人で行くのは冒険だったっけ。拓郎は「アジア~」という硬派な傑作アルバムの後、その反動のように「無人島で」というポップな(C調な?)作品を発表して時期は丁度その頃。桑田と長淵の確執のようなことを良く聞くが、その二人のどちらにも影響を与えた人だけに、今セットリストを見ると確かに硬軟取り混ぜてある。それが拓郎の魅力だった。

 http://www.livefans.jp/events/258781

 動画はまさにその頃のラジオから。「サマータイムブルースが聞こえる」と「Y」。「サマータイム~」は正式に発表されたものと違うが自分はこっちの方が好きだった。ずっと昔のことですっかり忘れてしまい、学校さぼったのだったっけ??とずっと思っていたが、夏休みだったのだ。15才。オープニングも『夏休み』だった。

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東郷寺に行ってきた。

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 府中の東郷寺に行ってきた。ここの山門は黒澤明の映画『羅生門』のあのセットのモデルとなった事で有名。地元では桜の名所として知られる。あいにくの小雨交じりだったが春から新入学を控えた子供を連れ、若い母親たちが桜をバックにせっせと写真を撮っていてなかなか賑やかだった。

 映画は、平安時代、一人の男の遺体が見つかり、その真相を突き止めようとするうちに全く違う証言が三つ出揃い、第一発見者兼裁きの傍聴者だった杣売りと旅の法師が、人間の業の深さに恐れ慄くというは話。誰が何を隠し、誰が嘘をついているのか?

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原作は芥川龍之介の『藪の中』。真相が分からない時に"藪の中"という言い方はこの小説の題名から来ている。映画のラストは地獄からの抜け道として黒沢が用意した人間賛歌のようでもあるが、あの杣売り(志村喬)が本当にその後、言ったように生きるのか?と疑念の眼を向けるとまた世界はいきなり曠野と化す。フェイク・ニュースとオルタナティブ・ファクトの今見られるべき映画だと思う。

 東郷寺は日蓮宗の寺。例によって帰りに御朱印を貰った。天気が良い日にもう一度来たいと思った。

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