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「応答せよ1988」を見た。

 最近、夢中になって見ている韓国のドラマ「応答せよ1988」。オリンピックがあった韓国の1988年は日本人にとっての60年代のような感じだろうか。皆、貧しくて、隣同士が支え合って生きていた時代。そして民主化運動があった時代。ある時、点けっぱなしのテレビの画面で絵に描いたようなおばちゃんパーマの女性が3人、縁台でモヤシをちぎりながら下ネタ含みの下卑た会話を大声で(しかも長々と)していて、ヘンなドラマだなぁ・・・と見ていたらあれよあれよと泣かされ、笑わされ、いつの間にか録画して毎晩見るのが楽しみになった。

 ネットで調べるとこの「応答せよ~」はシリーズ化されていて(自分は他2つは未見)、この「~1988」は第三弾にして最高傑作との触れ込みだ。本国でのヒットは勿論のこと、中国での人気も凄く(オンラインサイトでの放送回数2億回以上)、その他のアジアの国々でも見られていて日本でも最近ケーブルテレビで放送され始めたよう(初放送は2017年6月)。

1988_3

 同じ路地に暮らす幼なじみ5人の若者たちがメインのドラマなので彼らの恋の行方のような面ばかり話題になってしまうが、これは彼らが暮らす路地=「共同体」そのものが主人公のドラマ。母親たち、父親たち、兄弟姉妹、おじさん・・・・、それぞれの心情を丁寧に描いていて、見る人の年齢や立場から必ず感情移入出来るキャラクターがいる。そして扱われる話題も、オリンピック、恋、民主化運動、リストラ、更年期までと様々で、日本では久しく作られなくなった「ホーム・コメディ」と言えば言えなくもないが、それにしては出てくる若者たち一人ひとりが魅力に溢れすぎていてる。当時を知る多くは懐かしさで見るだろうが、それを知らない若い人達が彼らにつられこのドラマの世界観を無意識に沁み煮込ませるようだったなら・・・これは未来へのドラマでもあると思った。

 

 ・・・・と、ここまでベタ褒めの文章を書いたが、見るにあたり難点もあって、それはTV放送時の尺のこと。オリジナルは全20話で1話約100分あり、自分が見たのはそのオリジナルバージョンの方だが、見逃した1~3話を残念がっていたら他のチャンネルでまた放送が始まり、見ると一話が1時間(CMが入るので45~50分)。放送時間に合わせぶつ切りにされていて、1話づつが話の変なところで終わり、変なところで始まる印象。DVDもこのぶつ切りになった版が採用されている。また日本では『恋のスケッチ』なる凡百ありがちなラブコメみたいな題が付けられていて不快。昨日、レンタル屋で見たらこのシリーズの他のものはちゃんと「応答せよ~」の題で商品化されているのに何故だろう。一話ずつの完成度がとても高いドラマなのでオリジナルでの放送、商品化を望む。

 キャスティング発表時、大ブーイングだったのに放送後大絶賛に変わったというヒロイン、ソン・ドクソンを演じるGirlsdayのヘリのじゃじゃ馬振りが素晴らしい。
 
 登場人物の中の誰に思い入れがあるが、見た後で話するのも楽しいドラマだと思う。

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八月の菓子

 
 誰も食べたことのない菓子の味を知るためには
 食べたことのある人から聞くしかなくて
 でも近ごろでは食べたことのある人は段々に減って
 その味がどんなものであるかはようとして知れない
 
 思えば自分が子どもの頃は
 食べたことのある大人が周りに沢山いて
 麦酒<ビール>なんぞを飲んだ折りなど
 こちらから聞かずとも語ってくれたもの
 
 ある叔父は口をすぼめて目を固く閉じ
 あれはすっぱいものだと言い 
 ある叔父は顔を真っ赤にして
 あれは辛かったと涙目に語った
 何故だが中には鼻息荒く
 何をそんなに誇るところがあるのか
 その頬をとろかすような甘さでも思い出すのか
 いじきたなそうにニヤニヤする人もいた
 
 無表情で黙っている人もいた

 誰も食べたことのない菓子の味を伝えるために
 また聞きのことばを誰もが喋る
  また聞き
 孫引き
 ひ孫引き 
 デマ
 あれは酸っぱい らしい
 いやあれは辛い らしい
 いやいやあれは甘い らしい そして
 ほんとうはすごく美味しい らしい と 
 
 目を固く閉じたりせず
 涙目にもならず
 いじきたなそうなニヤニヤ笑いもなく

 誰も食べたことのないその菓子はどの家にもあって
 もう何年も戸棚の奥にしまわれている
 誰も食べたことのない菓子の味を知りたければ
 食べてみればいいじゃないかと
 声高に言う人が近頃じゃ段々に増えて
 腹ペコの子供が夕暮れ 皿に手を伸ばす
 

 誰も食べたことのない菓子の味を知るためには
 食べたことのある人から聞くしかなくて
 でも近ごろでは食べたことのある人は段々に減って
 その味がどんなものであるかはようとして知れない
 
 誰も食べたことがない菓子の味を
 これから どうして伝えよう
 いつもは戸棚の奥の暗がりにしまわれていて
 毎年八月にだけ取り出してきては皆で眺めている

 あの菓子の味を
 

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和同遺跡に行ってきた。

 埼玉県秩父市の和同遺跡と聖神社に行ってきた。長年連れ添って亭主に金儲けの才覚が全く無いと骨身に染みた妻が、某番組で金運アップのパワースポットと知って以来、ずっと連れていけと言っていた場所。むき出しの現世利益、御利益頼みの周囲の雰囲気とは裏腹に、結界との境ような場所には何故かいつも猫がいて(台湾の時もそうだった)そこからは先は古代的な時間が流れていた。どんな人たちが働いていたのだろう?パワーは貰ったが金運ではないような気がする。

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