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八月の菓子


誰も食べたことのない菓子の味を知るためには
食べたことのある人から聞くしかなくて
でも近ごろでは食べたことのある人は段々に減って
その味がどんなものであるかはようとして知れない

 
思えば自分が子どもの頃は
食べたことのある大人が周りに沢山いて
麦酒<ビール>なんぞを飲んだ折りなど
こちらから聞かずとも語ってくれたもの

 
ある叔父は口をすぼめて目を固く閉じ
あれはすっぱいものだと言い 
ある叔父は顔を真っ赤にして
あれは辛かったと涙目に語った
何故だが中には鼻息荒く
何をそんなに誇るところがあるのか
その頬をとろかすような甘さでも思い出すのか
いじきたなそうにニヤニヤする人もいた

 
無表情で黙っている人もいた


誰も食べたことのない菓子の味を伝えるために
また聞きのことばを誰もが喋る
また聞き
孫引き
ひ孫引き 
デマ


あれは酸っぱい らしい
いやあれは辛い らしい
いやいやあれは甘い らしい そして
ほんとうはすごく美味しい らしい と
 
 
目を固く閉じたりせず
涙目にもならず
いじきたなそうなニヤニヤ笑いもなく

誰も食べたことのないその菓子はどの家にもあって
もう何年も戸棚の奥にしまわれている
誰も食べたことのない菓子の味を知りたければ
食べてみればいいじゃないかと
声高に言う人が近頃じゃ段々に増えて
腹ペコの子供が夕暮れ 皿に手を伸ばす


誰も食べたことのない菓子の味を知るためには
食べたことのある人から聞くしかなくて
でも近ごろでは食べたことのある人は段々に減って
その味がどんなものであるかはようとして知れない

誰も食べたことがない菓子の味を
これから どうして伝えよう
いつもは戸棚の奥の暗がりにしまわれていて
毎年八月にだけ取り出してきては皆で眺めている


あの菓子の味を
 

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