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八年ぶりの実家。

 原発事故のため弟家族が山形に移住したため貸家・空き家にしていた実家をまた使えるようにすると言うので、昨日、いわきの家の庭の片づけに行ってきた。通電し、水も使えるとか。家財道具は一切なく、先乗りしていた弟家族も皆、寝袋を持ち込んで屋内キャンプのような様相だった。

 自分が到着したのと入れ違いに弟家族は出かけたので、その後、一人で伐採され放置されたままになっている木片や枝の片づけをした。昔は生前の母が花壇を作ったり弟が野菜を育てたりした割と広い庭なのだが、8年間ほぼ手付かずだったので当然の事ながら荒れている。でも2、3時間ほど作業すると荒れたなりにある一角がすっきりとして満足感があった。自分が子供の頃、この庭には父のゴルフ練習用のネットがあったが、自分や弟はそれを野球のバッティング練習に使った。ティーバッティングやトスバッティング。そして、時々、近所のともだちが集まってそのネットの前をホームベースにして三角ベース的な草野球の試合すらした。そんなことを思い出した。写真は去年の春、庭だけ訪れた時に撮った群生した水仙。

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 仕事していると、普段、無人の場所に人がいるのを珍しがっているかのようにカワラヒワがやってきて、ずうと良い声で鳴いていた。家は玄関口に“売家”の表示が掲げられたままで、ここをこうして使えるのがこれからずっとのことなのか、買手が見つかるまでの一時的なもなのかは分からないが、頻繁に訪れてのんびり庭づくりするのは良い過ごし方だと思った。自分はスマホ使いではないしPCもないがそれで良い。寝袋とラジオと好きな本くらいを持参して、火は使いたくないので湯沸かしポットでも持って来ればよいか。風呂は近くに良い温泉の施設がいくつもある。あと酒があれば夜はぐっすり眠れる気がする。

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 昨日はその後、遅い昼食のついでにいわきグリーンスタジアムまで行き、昔の炭鉱のチーム「オール常磐」のユニホーム等を見た。そういえばこのスタジアムで一度もゲームを見たことがない。この数年、家がなかったせいでいわきに来ても叔母の家に泊めてもらったり、日帰りの墓参りだったりしたので腰を落ち着けていたことがなかった。近くプロ野球のイースタンリーグの試合がある筈。観に来ようか。このグリーンスタジアムの前身は炭鉱チームの練習場だった浅貝球場というのがあり、そこも個人的に思い出のある場所だが、その話はいずれまた。このブログといい、実家の家といい、完全にあきらめたら戻ってきて、そして、どちらもこれからの使い方、付き合い方を考えているところ。

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昭和36年(1961) 全国都市対抗野球 オール常磐VS川崎トキコ戦の記事。

 弟のフェイスブックを見ていたら昭和36年(1961)に父が全国都市対抗野球に出て後楽園球場でさよならホームランを打った時の新聞記事と当時のスタンドの様子などを撮った写真がアップされていた。写真はそこから拝借したもの。

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 映画「フラガール」で主人公の兄を演じた炭鉱夫役の豊川悦司の部屋に野球のボールが転がっているのに気付いた人はいるだろうか?当時、我が郷里の常磐炭鉱には社会人野球のチームがあって父はそこの選手だった。この試合の時の相手チームは神奈川の川崎トキコ。いわきの野球と言うと、この後、昭和46年の磐城高校・甲子園準優勝の熱狂があり、これは水島新司の漫画『ドカベン』の明訓高校が決勝で戦ういわき東高校のモデルにもなった。社会人チームオール常磐と磐城高校準優勝の関係は2013年のこの記事に詳しい。https://diamond.jp/articles/-/36507

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 父の時は川崎トキコで、磐高の時は神奈川・桐蔭学園。そういえば「ドカベン」明訓高校も神奈川のチームだ。何か因縁があるのだろうか。日本の野球はアメリカ大リーグより強い、と終生言い続けていた父は平成元年に他界し、野茂もイチローも見ず、日本の二度のWBC世界一も知らない。元号が変わることなど気にも留めないでいたが、野球のことを考える時だけ上の事情からことさらな実感ある。

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 平成の終わりは昭和の終わり、と言ったのは故・橋本治だが、野球も当時と今とでは随分と変わった。先日、いわきグリーンスタジアムに電話したら、施設の一角にいわきと野球の関係が分かる展示があって、そこでオール常磐や準優勝時の磐城高校の資料が見れるという。10連休のどこかで見に行けたらと思うが、弟がアップした写真の数々(アップしたよりもっとあるはず)はそこに寄贈したら良いのではないかと思う。

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王ゲート、長嶋ゲート。

 写真は先月、イチローを見に東京ドームに行った時撮った王ゲートと長嶋ゲートのそれぞれのレリーフ。

 後日、テレビで現ソフトバンク監督・工藤公康のドキュメンタリーをやっていて、見ると、ダイエー時代の、例の"王監督卵ぶつけられ事件"を間近で見ていたことが彼が指導者としての道を歩むキッカケだったとのこと。王さん自身も出演していて、そして「あの時、卵をぶつけてくれた人が一番のホークスファンだったんですよね。」と語っていた。また感服してしまった。

 

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 一方の長嶋さんネタでは平成スポーツ名場面ベストなんとか、みたいな番組で、1994年のセリーグ「10・8決戦」の時の秘話が取り上げられていた。前々から登板を告げられていた桑田が心配になって、前日、「監督、試合のどのあたりに準備しておけばいいでしょうか?」と聞きに行くと一言「君、そりゃあ、しびれる、ところだよぉ~」と例の調子で言われたのだとか。爆笑してしまった。

 

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 王さんは一本足打法のポーズで長嶋さんが空振りしたところ。これを作った人たちは良く分かってらっしゃる。平成の終わりは実は昭和の終わり、と誰かが言っていたが、現役最後のイチローを見に行って、合わせてこれも見てなんだかそれを実感してしまった。ま、野球は続くけど。

 

 上のようなことがあったせいか、最近は古い時代の野球の本ばかり読んでいる。今読んでいるのは稲尾の自伝。そして録画してある「江夏の21球」もまた見てしまった。野球は楽しい。

 

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PS 去年末パソコンが壊れ、ブックマークして長年使っていたためIDとアドレスを忘れてしまい、ログインできなくなっていた。もうどうしてもダメで、完全にあきらめていたが、ひょんなことからメモが見つかって、昨日、無事再開できた。ところがその間、プロバイダーがリニューアルしていて、新しいやつは使いずらいといったらない。

 

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