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辻堂「MONK」でミーワムーラを見た!

 

   
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再録【辻堂MONKでミーワ―ムーラを見た!】2019.9.28|The Basement Texts|note  

 

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武相荘(ぶあいそう)に行った。

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 昨日、東京町田市にある旧白洲邸、武相荘(ぶあいそう)に行った。現在では開発が進み周囲は開けているものの、かつては人里離れた農村だった風情を今に残す良い場所だった。なにより些細なところに会ったこともない白洲次郎・正子夫婦の気配が感じられるようで良かった。邸はアメリカとの開戦時、敗戦を予見した氏が古い農家を買い取り改築したもの。今はミュージアムになっていてレストラン、カフェもある。

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 ミュージアムには様々な展示があったが中でも
1951年9月7日、吉田茂が行ったサンフランシスコ平和条約受諾演説の原稿を興味深く見た。初めそれは外務省とGHQが作成し「占領が良かったおかげ」のように米国に媚びる内容でしかも英文だったのを、一見し激怒した次郎が急遽、自らの手で日本語で書き直したもので巻物風。アメリカ記者からは「トイレットペーパー」、日本の新聞でも「不思議な勧進帳」と紹介されたそれに、氏の生きざまの一端を見る思いがした。比較するのは全くヘンだがケルアックの「オン・ザ・ロード」の原稿と言いこれと言い、ある熱情を持って文章を書こうとすると皆この形になるのか、という感想を持った。

 昨日はやっと少し涼しくなったと思っていたところ少し湿度があったせいか邸の周囲には蚊が出て、喫煙所のベンチところには"ご自由に"とキンカンが2本置いてあった。そんな気使いにも感じ入った。

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天津へ。

 先日の火曜日(27日)に娘が天津に旅立った。今度は2年半。3年前、重慶に1年留学した時ほどではないにせよ、やはりがらん、とした気持ちがしていたここ数日。

 天津がどんな場所かについて娘は「北京が東京なら天津は横浜」と説明してくれたがネットで見ると天津はかつてイタリア租界があったりしたせいか確かになかなかお洒落な街並だ。「天津というと甘栗と天津飯だな~」と娘に言うと、栗は名産地だが天津飯というのは日本発祥で当の天津にはないとの事で目からウロコ。

 因みに最近よく目にする台湾ラーメンは名古屋発で台湾であれは名古屋ラーメンと言われている、という小ネタとともに教えてくれた。餃子をおかずにご飯を食べる日本人の食習慣も中国人にはなかなか衝撃の光景なのだとも。

https://rocketnews24.com/2012/03/24/194823/?fbclid=IwAR1g47DRGtK9rdKlneHeGgk4dJzwuyXq6KLPQ9tpiB_yWmr-RX4gThe21vk

 で、今日の日曜日の朝、スマホのWechatにテレビ電話(と言うのかな)があった。なんかすぐそばにいるようで拍子抜け。元気そうだった。今度のルームメイトはエストニアの子で、前回重慶にいた時のルームメイトは回教徒だったが今度はロシア正教の信者さんとのこと。彼女は毎日曜日朝は北京にある教会のミサに出かけるので、一人でいる毎週この時間はこうして連絡出来易いと言っていた。

スマホで寮の窓に広がる天津の街の風景を見せてくれたがきれいだった。いるうちに必ず天津に行く、と告げると、娘があまりに流ちょうに中国語を話すので"両親中国人説 "が友人たちの間で言われているのだとか。父ちゃんがニイハオとシェイシェとハオチーしか言えなかったら、驚くだろうな。頑張らなきゃ。

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