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辻堂「MONK」でミーワムーラを見た!

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 昨日、辻堂『Monk』に平凡'Sとミーワムーラのライブに行った。湘南だというのに店内には故郷いわきの海と街の灯りが広がっていた。知り合って30年来の平凡’Sと初めて見るミーワムーラ 。昨夜は特にミーワムーラのステージに静かな衝撃を受けた。湘南に果敢にも、いわき・小名浜の海を広げてしまったのは1曲目の「ヨタカ」。https://www.youtube.com/watch?v=yNRnUzQXxn8
 この1曲だけで菅原ミワという人が素晴らしいシンガーで凄い詩人だっということが分かった。店内にはそれこそ演ることと聞くことに関しては百戦錬磨の猛者たちが集まっていたというのに、その1曲目の第一声、リリックの一行で、皆がくぎ付けになった。それを彩るのはいわきの至宝、村重光敏のギター。音楽以外では大工の師匠と弟子だというその関係にも驚かされた。https://youtu.be/hC0JIZsdIuo

 ジョニ・ミッチェル、ローラ・ニーロ、スザンヌ・ヴェガ、キャロル・キング・・・彼女が歌う姿に過去の優れた女性シンガーソングライターたちの姿が色々に重なったが、聞けば聞くほどに彼女は彼女以外の何者でもなく、今、自分は未知の才能に触れているんだという事実が清々しく心地良かった。

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 終演後の打ち上げのパーティーではいい歳をしたオジサンたちが一斉に彼女を質問攻めにしていたが自分もその一人。オリジナルを書く前は周囲の大人たちに勧められた歌を歌っていたという彼女に自分が聞いたのは「自身が好きなアーチストは誰か」ということと「いつもどんな本を読んでいるか」ということ。「パティ・スミスとニーナ・シモン」「ヘッセ」というのがその答えだった。また雑談の中で今でも語り草になっている東日本大震災直後のいわき小名浜一中体育館での喜納昌吉ライブの時、同じステージに立った女性が彼女だったということも知った。

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今は多くの人に知ってもらいたい気持ちが強いのでYouTubeにアップされている動画をさらにリンクするとまずは「彼岸花」という曲。https://www.youtube.com/watch?v=L9kmzcx48NA 丁度、先日、家の前に群生する白い彼岸花の写真を機械音痴な妻がポチポチ人差し指でスマホのタブレットを打ちながら留学中の娘に送っているのを見たところだった。


 そしてもう一曲は昨日も演ってくれた「残映」という曲。"ただ哀しいだけの 想いを手放して 灯をたやさず あの日々をいつまでも あなたのそばでいつまでも"何についての歌なのか自分なりに(勝手に)分かっているつもり。https://youtu.be/L8HXunAoi2w
 
 最初の写真は昨日買ったミーワムーラのFullアルバム『小さな歩み』。朝からずっと聞いているが素晴らしい。いい秋になりそうだ。ニューアルバムの予定があるとか。ずっと聞き続けていくことになるユニットが一つ増えた。

 遅ればせながら、このライブを企画し、誘ってくれた上野夫妻、いつもありがとうございます。ありがとうございました。

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武相荘(ぶあいそう)に行った。

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昨日、東京町田市にある旧白洲邸、武相荘(ぶあいそう)に行った。現在では開発が進み周囲は開けているものの、かつては人里離れた農村だった風情を今に残す良い場所だった。なにより些細なところに会ったこともない白洲次郎・正子夫婦の気配が感じられるようで良かった。邸はアメリカとの開戦時、敗戦を予見した氏が古い農家を買い取り改築したもの。今はミュージアムになっていてレストラン、カフェもある。

 ミュージアムには様々な展示があったが中でも1951年9月7日、吉田茂が行ったサンフランシスコ平和条約受諾演説の原稿を興味深く見た。初めそれは外務省とGHQが作成し「占領が良かったおかげ」のように米国に媚びる内容でしかも英文だったのを、一見し激怒した次郎が急遽、自らの手で日本語で書き直したもので巻物風。アメリカ記者からは「トイレットペーパー」、日本の新聞でも「不思議な勧進帳」と紹介されたそれに、氏の生きざまの一端を見る思いがした。比較するのは全くヘンだがケルアックの「オン・ザ・ロード」の原稿と言いこれと言い、ある熱情を持って文章を書こうとすると皆この形になるのか、という感想を持った。

 昨日はやっと少し涼しくなったと思っていたところ少し湿度があったせいか邸の周囲には蚊が出て、喫煙所のベンチところには"ご自由に"とキンカンが2本置いてあった。そんな気使いにも感じ入った。

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天津へ。

 先日の火曜日(27日)に娘が天津に旅立った。今度は2年半。3年前、重慶に1年留学した時ほどではないにせよ、やはりがらん、とした気持ちがしていたここ数日。天津がどんな場所かについて娘は「北京が東京なら天津は横浜」と説明してくれたがネットで見ると天津はかつてイタリア租界があったりしたせいか確かになかなかお洒落な街並だ。「天津というと甘栗と天津飯だな~」と娘に言うと、栗は名産地だが天津飯というのは日本発祥で当の天津にはないとの事で目からウロコ。因みに最近よく目にする台湾ラーメンは名古屋発で台湾であれは名古屋ラーメンと言われている、という小ネタとともに教えてくれた。餃子をおかずにご飯を食べる日本人の食習慣も中国人にはなかなか衝撃の光景なのだとも。

https://rocketnews24.com/2012/03/24/194823/?fbclid=IwAR1g47DRGtK9rdKlneHeGgk4dJzwuyXq6KLPQ9tpiB_yWmr-RX4gThe21vk

 で、今日の日曜日の朝、スマホのWechatにテレビ電話(と言うのかな)があった。なんかすぐそばにいるようで拍子抜け。元気そうだった。今度のルームメイトはエストニアの子で、前回重慶にいた時のルームメイトは回教徒だったが今度はロシア正教の信者さんとのこと。彼女は毎日曜日朝は北京にある教会のミサに出かけるので、一人でいる毎週この時間はこうして連絡出来易いと言っていた。スマホで寮の窓に広がる天津の街の風景を見せてくれたがきれいだった。いるうちに必ず天津に行く、と告げると、娘があまりに流ちょうに中国語を話すので"両親中国人説 "が友人たちの間で言われているのだとか。父ちゃんがニイハオとシェイシェとハオチーしか言えなかったら、驚くだろうな。頑張らなきゃ。

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