記憶について
昨日の予報通り、朝のうちは涼しかったけれど日中はまた蒸し暑かった。一時、強く雨が降ったりして湿度が増して、昨日と打って変わって不快感が強かった。
朝、食欲がなく薄焼きのサラダせんべいとコーヒーだけ。食べるよりも寝ていたかった。
仕事は昨日の夕方、新しい現場の依頼があって詳細を今日Faxすると言っていたのでそれを待っていたが来なかった。なので、また昨日までやっていた図面のトレースを直したり、原稿を直したりした。原稿に必要な情報を探してネット上にある某市の博物館の季刊誌をバックナンバーを含め色々と見ていたら衝撃的な一文に出くわす。
http://www.fuchu-cpf.or.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/000/688/almuseo81.pdf
それは民俗学者の宮本常一氏のある講演録の中の言葉。民俗学のフィールドワークで日本中を歩いた氏だが(地球4周分)、古老から話を聞く時、昭和14、5年頃に80歳くらいだった人々の記憶は正確であったが、それ以降の人は不正確だったのような話。
氏曰くその原因は文字だとか。文字を知らない人は記憶を何度も反芻し確かになるけど、文字を知っていると書いたものと記憶があざなえる縄のようになって正確でなくなってしまう、のような発言。普通は逆に考えるのではないだろうか?頭の中でネガとポジが逆転する。そして、発言は、伝承とは決して言葉の中にだけあるのではないと続く。この仕事をしていて襟元を正された気持ちになる。
自分も若い頃、ネイティブ・アメリカンの居留区を訪ね(ナバホとホピ)、文字を持たないオーラルな伝承文化というのを知っているつもりでいたが、それを正確さという点から意識したことは無かった。こうして毎日日記をつけているが、後々これを通して思い出す今日は正確と言えるのだろうか?
余談だがブルース・チャトウィンの名著「ソングライン」によればオーストラリアのアボリジニたちは一族の歴史を歌で伝える。それは自分らが思っている以上に正しいやりかたなのでは、と思った。
昼、コンビニの唐揚げのおにぎり、コールスロー、牛肉のコロッケ、野菜ジュース。昼休み、山形の弟に電話する。昨日、Facebookにひどいめまいがしているとあったので聞くと少し大変そうだった。お互いの近況を話す。
帰宅して夜は豚キムチ炒めと茄子の味噌汁、それとごはん、のり。
昨日はクーラーを点けずに寝れたが今日はダメそう。録画していて見ていなかったNHK「100分で名著 モモ」の最終回を見る。
11時就寝。
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