山田太一氏死去
今日から12月。
朝、出がけにまた小学校から合唱の声。清々しい。
現場は昨日で終わったが、Uさん、K君と三人で最後の撤収をしに行く。本来、あと少し掘れる(掘らなくてはならない)場所が数メートル分あるのだが、もう時間切れ、予算切れで残したまま。"お宝"が出土した現場でもあるので携わった者皆不本意そうだが仕方ない。それで丁寧に挨拶し会社に引き上げる。
だが中で整理作業をし始めたところ、電話があり、結局、埋め戻し業者の計らいでその部分を掘る事になったので戻ってくれとのこと。それで三人でまた現場に戻り、急いでその数メートル分を調査した。後々、博物館で遺物を見たり調査報告書を読んだりした際、"本当はあと少し掘れたのに"とか"あの部分にだって何かあったかもしれないのに"等、思いを残すことになりそうだったが、これでスッキリした。良かった。
午後は整理作業。前半の丁寧な調査に比べ、後半はぶっ飛ばしてやったので図面の整理が大変そう。
休憩時間、会社のPCで脚本家・山田太一氏が亡くなったことを知る。R.I.P。氏のドラマは数々見たし、一時期、エッセイも良く読んだ。倉本聰、向田邦子と並んで自分に脚本家でドラマを見る事を教えた一人。
最初に氏の名前を知ったのは子供の頃見たNHKドラマ『男たちの旅路』だった。毎週、家族皆で見た。警備会社が舞台で特攻隊の生き残りの上司(鶴田浩二)と戦後世代のチャラチャラした若者の代表見たいな部下たち(水谷豊、桃井かおり)が衝突しながら事件にあたる内容で面白かった。
中でどうしても忘れられないシーンがあって、それはある出来事があって失踪した鶴田を探し出し、水谷が東京に連れ戻そうとするシーン。いつも説教ばかりされ辟易としていた水谷が鶴田を逆に叱り飛ばし、いつもは傷天のアキラばりにへらへらしていたのが意を決したように意見するところ。YouTubeで探したらあった。40年ぶりくらいに見たが、水谷が鶴田に投げかける疑問の時代がまさに今なのだと思って絶句する。ドラマ史に残る名シーンだと思う。
https://youtu.be/oeH8f9pOtLw?si=GpJwtP8MeJeoHqo0
玄米と夕食はサバの煮つけ。先日のうどん汁がよほど多く作ったのかまだあって、それにカブの葉、コンニャク、人参を足してその汁も喰う。美味也。
今日も冷えるのでまた柚子湯。23時半、就寝。
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