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Nさんの命日

 故・下村誠のアルバム『セイクレッドソウル』に『All my relaition』というポエトリーリーディングの曲がある。これは下村さんと共通の知人だったNさんの死後に見つかった遺書のようなメモを下村さんがジャンベとカリンバをバックに読んだもの。

  今日はNさんの命日。

 先日、DVDで見たドラマ『深夜特急』に旅の途中で渡された見も知らぬ人の電話番号で主人公が救われるシーンがあった。自分も同じ経験があり、それは1989年のアメリカでのこと。 

ポケットに残ったなけなしの小銭でその"見知らぬ人"に電話して、そして助けにやって来てくれたのがNさんだった。Nさんは僧侶の時にアメリカに渡り、後に還俗。その後半生(前半生はやくざだったとか)は、ネイティブアメリカンの人々の権利のために闘った人だった。いや、闘った、ということばを使うと怒られるかもしれない。共に生きた人と言うべきか。

 ロスアンジェルスの電話ボックスから電話をかけ「Nさんはぼくのこと知らないと思いますけど、ぼくはNさんのことを良く知ってるんです!」と言った。嘘だった。だが藁にもすがる思いでそう言うと「分かった。」と一言。「でも少し時間がかかるから、ずっとそこで待ってろ」と言って電話が切れた。

 以後約2時間、不安でおかしくなりそうになりながら待っているとNさんがやってきた。安堵し、挨拶して、さてNさんに「Nさんの車はどこですか?」と聞くと「オレもヒッチハイクで来た」とまた一言。初対面から天衣無縫。そしてロサンジェルスからサンタバーバラまで二人でヒッチハイクして行きそこで過ごす。サンタバーバラでは平和運動家の人たちの間でNさんは有名で、貧富の差なくどんな人も快く泊めてくれた。自身は家らしい家はないようだった。そこで一緒に過ごした数日間を時々思い出す。

 帰国後、先に日本に帰っていた下村さんにそのことを話すとやけに面白がって、さらに数年後、Nさんが日本に帰って来てから紹介すると、そこから今度は下村さんとNさんの交流があったようだ。↑の曲は晩年に結婚!したNさんの奥さんのMさんに捧げられている。"ネイティブスキャット"で始まる表題曲の『聖なる魂』に歌われている「きみ」もNさんの事だ。

 下村さんと一緒にNさんの葬儀に行ったら詩人のナナオがいて、その風貌から我が家の子供たちは小さい頃の一時期、ナナオをサンタクロースと思っていた。ナナオはそこで弔辞の代わりに名作『ラブレター』を読んだ。それもこの12月になると思い出すことの一つ。

 これはそのNさんの葬儀の時に書いた詩。

火の効用: ペンギン・ビート急行 (cocolog-nifty.com)

 昼は息子とドライブ。夜は恩師、旧友とZoomで飲み会。楽しい時間だった。

 23時半、就寝。

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