空を飛んでいるようだった
朝は曇り。だが予報は下り坂で午後遅くから本格的な雨になるとか。ソーセージを焼いてそれとポテトサラダの弁当を作る。
一日中、図面のデジタルトレース。この作業は大好き。少しずつでも何かが出来上がっていくのを見るのは嬉しいもので充実感がある。
以前自分の現場の道路を挟んだ向こう側でマンションを建設していることがあって、ワンシーズン仕事したらそのマンションが立派に完成したことがあった。こちらは知らない人が見たら何をやったのか分からない色々な穴ぼこが開いた現場が残るだけで、そして、何か月も(時に何年も)後になってから誰も読まないよいうな分厚い調査報告書が出来るだけ。なのでこういうのは些細なことがだが嬉しい。意外と向いているようで一日があっという間に過ぎた。
予報通り帰宅時は雨。
詳しくは書かないが、今日、ある人のSNSを見ていて歌の"志の高さ"ということを考えた。シンガーソングライターのその人は自ら書いた歌の大きさに長い間怯んでしまっていたのを、ある人にバックでギターを弾いてもらって歌ったら、何かを突き破れたように歌えたのだと書いていた。"空を飛んでいるようだった"と。これと全く同じ表現を自分は以前ある本で読んだことがあって、それはザ・バンドのリヴォン・ヘルムの自伝。バンド内の人間関係が段々とギクシャクしてきた頃、あるコンサートでアラン・トゥーサンにホーンセクションをつけてもらったら、その演奏中、"ずっと空を飛んでいるようだった"とあった。
自分も前に朗読をした時に友人がバックでダニエル・ラノアばりのギターを弾いてくれたことがあって、その時、ふわふわと体が宙に浮いているような感じがして気持ちよかった。音楽だとあれのもっと強烈な感じなのだろうか?ミュージシャンが羨ましい。
簡単な食事のあと、火曜日なので写経。その後、息子用に夕食を作っていると、スマホがブーブー言っているので何かとLineを見ると、娘がダメもとで応募していた宇多田ヒカルのコンサートのチケットが当たったとの事。場所は横浜。息子とは来月ジェイムス・テイラーを見に行く予定で、夏は娘と宇多田ヒカル。自分は幸せ者だと思う。
23時、就寝。
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