ペルー料理を食べに行く
朝からまた隣の小学校から合唱の練習の声。天気も晴れていて良い休日の始まり。
ガス台の魚焼き器が壊れているのを少し前に息子がガス屋に電話して、今日の13時~15時の間に修理の人が来るのでその時間は家になければならないということだった。が、出場する予定の草野球の試合が中止になり息子も家にいることになって拘束を解かれた気分になる。ほっ。
その息子がスマホで見たのか「山本(ドジャース)が凄いピッチングをしているみたい」と言うので、BSでヤンキースVSドジャースの中継を途中からだがじっくり見てしまう。延長11回、タイブレイクになって結局ドジャースの勝ち。これぞベースボールと言うような緊張感のある良い試合だった。
その後、ガス屋が来るのにキッチン周りが雑然としているのでその片付け、清掃をやる。油が撥ねてかねてから気になっている箇所があるのでシンク、壁などを磨く、磨く、磨く。自分がそうしていたら、息子も風呂場、トイレの掃除をし出して家に中の気になっている箇所の幾つかがきれいになった。男二人で暮らしているので日ごろおざなりになっていることが多々ある。今日出来て良かった。
それが終って一息つき、スマホでSNSを見ていてフォトジャーナリストの吉田ルイ子さんが亡くなったのを知った。大学の時、友人たちと企画したイヴェントに出てくれた時、打ち合わせその他で電話するといつも留守電になっていて、こちらが話始めるとガッチャっと受話器の音がして出るルイ子さんを怪訝に思っていたら、実際にお会いした時、いつもあんな風でごめんなさい、と開口一番に謝られたのを覚えている。当時、何かでいやがらせのようなことがあり、電話対応はそうしていたのだとも。
『ハーレムの熱い日々』で覚えているのはポートレートを撮る時は50mm標準レンズで撮らなければいけないということ。それを読んでカメラをいじり始めた一頃、自分は律儀にそれを真似ていた。やってみると分かるがそれだと対象にかなり近づかなければならいない。その後、毎回守られたことなのかどうかは知らないが、彼女の名を聞いて思い出すのはいつもこのこと。R.I.P。
ガス屋の対応は息子に頼み、自分は買い物へ。戻るとガス屋は帰った後で、息子に聞くと、直そうとすると結構な金がかかり、それなら新しいのを買った方が早いと言われたとか。また出たか、買った方が早い。
やってきたガス屋はとても態度が横柄で、途中からケンカになると思い、息子はそれ以上話さないようにしていたとかの残念な結果。まあ良い。
その後、録画しておいたドキュメンタリー映画『瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと』を見た。
瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと : 作品情報 - 映画.com (eiga.com)
いつもあっけらかんとすべてをさらけ出しているような印象のこの人の、さらにその裏に本当の顔があったことを知る。命の炎がでかい人、そして予想をはるかに上回る反戦、反権力の人であった。仏者であるのに肉食、飲酒も豪快で見ていて腹が減った。
で、夜、息子と八王子へペルー料理を食べに行く。
来週の父の日の前倒しとのことでごちそうしてくれた。上の映画を見て空腹だったのでたっぷり食べて飲んだ。グラシャス。
23時半、就寝。
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