朝、魚跳ねる
連休三日目。
ホテルの朝食(ごはん、味噌汁、ほっけ、香の物)を食べ、小名浜港の2号埠頭(ららミュウ周辺)を散歩。
時間的にまだ暑くはなかったが"ぬるい"。ぬるい小名浜。(純粋な皮膚感覚のことでディスっているのではありません。アンニュイ、の方がことば的には正しいか)。ボードウォークのようになっていて散歩コースかと思ったら釣り場でもあるらしい。良く見ると釣り人にマナーを促す看板あり。すでに釣り人が数名いた。中の一人に「何が釣れるんですが?」と聞くとヒラメの他あともう2種何か言ったが忘れた。ボラだったかな。ほら、あれ、と釣り人が指さすので海面を見ると何かがぴしゃっと跳ねた。
彼らが使っている竿、リールなど見ていたら、昔、自分に海釣りを教えてくれた友人を思い出す。彼の影響でそれらの釣り具を買って一頃まで大事にしていたがいつの間にかなくなってしまった。中学生の頃。その後、友人は別の高校に行ってバイクの事故で死んでしまった。そんなことを40年以上ぶりに思い出す。今はすっかり環境が変わったが彼と釣り糸を垂らしていてのは多分この辺だったと思い至る。あの頃、自転車で湯本、藤原からここまで来ていたんだもんなあ、など感慨深し。ミーワムーラの『ともだち』を思い出す。
昨夜、スマホのメッセージに"いわきにいるなら明日Zが久しぶりにライブに出るので見に来れば?"との連絡をいわきSonic社長から貰っていた。一緒にいる息子、娘にとってZは彼がかつてやっていたアンティークショップの人という記憶しかなく、ミュージシャンという印象はないので見たい見たいとのことであった。が、朝、昨夜全然眠れなかったのと日ごろの疲れが出たのか娘の体調が良くないとのことで、一度、行くと返信したのに、結局、行けないとの追伸をする。残念。ホテルをチェックアウトし最後にもう一度墓に寄っていわきを後にした。
帰りの車は息子の運転。運転中は一昨日のピータ・バラカンのラジオをらじるらじるで見つけもう一度聞く。娘は後部座席で横になりおねむ。音がうるさくないかと思ったが、経験上、その方が良く寝るれる場合があることを知っているのかまわず聞いた。1974年特集。
友部を過ぎた頃にハタと思い立ち、このまま岩槻の義父母の墓参りもしてはどうか?と提案する。ここからなら東北道に乗り換えて少し。それでそうすることになり一路岩槻へ。娘もだいぶ回復したよう。ただ車外はものすごい暑さで車に備え付けの外気温度計では38℃。時には40℃を記録。
岩槻の墓参りを終えて、鹿浜あたりの某焼肉チェーン店で遅い昼食。その後、娘を板橋で降ろし、帰路につく。日野到着は18時ごろ。もう夕食もいらないとなって、寝て起きてを繰り返し、本格的な就寝は0時近く。
子供たちは明日から仕事。自分は引き続きの休み。何していよう。とにかく明日からが本当のお盆なのでその飾りなどしなくてはと思う。
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