高野山へ行った
高野山に行った。
朝、6時に起きてホテルを出発。行く途中、昨日の雨できっと普段より水量が多いであろう紀の川が朝日を浴びてきれいだった。
ガイドを見るとホテルのある紀の川から高野山までは車で1時間ほどとある。何故、そんなに早く出かけたかと言うと、もし参拝を早く終えれればまた別の場所も観光できるのでは?と少し欲をかいたから。
和歌山県は新宮まで行くと、そこは敬愛する作家、故中上健次氏と兄貴分だった故下村誠の故郷でもある。熊野古道と、そして新宮の太地の岬は以前読んで感動したC・Wニコルの小説『勇魚(いさな)』の舞台になった場所でもあり、クジラの博物館がある。幕末から明治にかけて数奇な運命を生きた主人公、クジラ採りの甚助=ジム・スカイのお話。
だが行ってすぐ、そこは簡単に済ませられる場所でないと思い知る。天空の聖地。本当は最初から分かっていたが。初心を取り戻す。
着いてすぐ、歩いて奥の院を目指す。空海が永遠の禅定を続けていると信じられているところ。その道中の最初、一の橋を渡った途端に異界に足を踏み入れたような気がした。
詳しくは書かないが周囲には学校の教科書に出て来るような人々のものを含め20万基の墓がある。知らなかった息子は圧倒されたようだった。銘が消えかけ、苔蒸した墓石が倒れたまま無数に見られ、それは送る人、送られる人の思いも尽き、石が自然(宇宙)に帰った形に見えた。その中に名のある武将、人物の墓がとぎれとぎれに見つけられ、見るものは見、通り過ぎるものは通り過ぎた。
奥の院の前に着いたのは9時半頃。そこで御朱印を貰い、水かけ地蔵で亡妻の供養をした。卒塔婆に戒名を墨で書いて水かけ地蔵に納めそれを地蔵に水をかけながら流すというもの。そして休憩所で法話を聞く。
その後、奥の院へ行った。空海の聖域↓。ここから先はカメラの撮影は禁止。
参拝し、聖域を出たところで、空海に食事を運ぶ"生身供"の列を見た。
本当ならここ街並みに戻り、そこで食事をする予定でいたが、戻る途中、どうしても気になることがあってまた奥の院に戻る。息子も次いつ来れるか分からないし、気になることがあるなら。。。と賛同してくれ、本日2度目の参拝。行くと先ほど食事を運んだ列がかたずけて帰るところに遭遇し、生身供"をまた見る。食べ終わったよ、さあ、と、空海に出迎えられたような気持ちになった。
その後、今度は本当に街中に戻り食事。本格的な精進料理の店はどこも行列していて、普通?のお食事処のような店に入った。そこで"精進ラーメンセット"を食す。精進ラーメンはつまりキノコラーメン。朝から何も飲食をしなかったこともあってしみわたるように美味かった。
食後は、金剛峯寺、檀上伽藍と参拝し、高野山詣でを無事終えた。すっかり日も暮れようという時間になっていて、初めの、他の観光地も見て回ろうとする考えが愚かだったことを思い知る。行かなくて良かった。ずっしりとした満足感。上記した場所にはいずれまた来よう。
一度ホテルに戻り、その後、簡単な食事に出て、あとは部屋にいた。息子と今日のあれこれを話す。
入浴して就寝。22時半頃。
| 固定リンク
「日記 2024年」カテゴリの記事
- 『時給10円の現実~消えゆく農民』というドキュメンタリーを見た(2025.02.08)
- 大晦日。良く生き延びた(2024.12.31)
- 今日も温泉(2024.12.30)
- 昨夜の番組をまた見た。(2024.12.29)
- かぼちゃの殻をむく(2024.12.28)
最近のコメント