2015 「甦る」解禁!

 ボジョレー解禁、ならぬ「甦る」解禁。福島の避難者が作った米と浪江から山形県長井市に居を移した鈴木酒造のコラボレート。毎年、この3月11日に発売される。長兄のFBを見たら"更に生きると書いて甦る"と説明していた。たまには良いこと言うじゃないか。

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 昨夜、自分のブログを読み返していたら以前の記事に「3・11は祝日や防災の日のような記念日にはならないだろう。」とあって、それは当たったと思う。原発事故が収束しない限り、僕らはまだその最中にいるのだから。毎年この酒と共にそのことを確認するのは良い事だと思う。  

 今、FBを見たら友人達が各地で皆、この酒を飲んでる。同時に。酒の力を思い知る。で、今年も美味い。弟君、ありがとう。息子は今日、山形まで飲みに行ってしまった。

 亡くなった方達と福島へ。

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四年前の記事をリンク~東北沖大地震~都心で被災したら

 3月11日から4年目の今日。4年前を振り返って当時のこのブログの記事を見直してみた。↓は3月13日の文章。

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 東北沖大地震~都心で被災したら

http://penguin-pete.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-233c.html

まだこの時は"東北沖大地震"という名称だった。書いた内容もさることながらコメント欄が生々しい。是非、ご一読を。

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CM 「ただいま!いわき」を見た。

 先日、高円寺のグッドマンで催されている友人の写真展会場で同郷のイヴェントプロデューサー・Sさんに会った。話は共通の知人の息子さんの話、彼が水戸といわきで経営するライブハウスのこと、また彼がプロデュースしているアイドルグループの事など多岐に渡ったが、どうしても最後は原発と放射能の話になった。また東京では決して報道されることのない事件の数々のこと。  

 当日、自身も打楽器奏者である写真家と、もう一人のドラマーの即興に併せて詩を読んだりして楽しかったが、聞くとその初対面のドラマーは浪江出身で、なんと僕の友人のシンガーソングライターのアルバムでドラムを叩いている人だった。僕らと同じ福島県人ということで写真家が呼んでくれたのだった。今、東京で"福島県人"と言うだけで何か言葉にならない暗黙に了解されるものがあって彼ともそうだった。

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 写真はいわき市がPRに作ったCM"ただいま いわき"の蒼井優。

 http://youtu.be/py1B7OvR0M0

 映画「フラガール」以来、彼女はいわきのミューズだが、あの映画も斜陽のエネルギー産業(炭鉱)従事者たちがどん底から再生を果たす物語だった。今、いわきは復興バブルで黒字倒産の店まで出る様相らしいが、覆っているのは明るい闇。本当は暗いトンネルに差す一条の光のように優ちゃんの笑顔は輝いて見えて良いはずなのに、コントラストが無い分、胸に刺さらない。 こうしたCMが作られる一方、先日も福島第一原発からは高濃度汚染水が外洋にダダ漏れしているニュース。アンダーコントロールって何だったんだ?

 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150224/k10015716031000.html

 この笑顔が何かを隠蔽しているとかそんな穿った見方はしたくないが、起きていることの事実が届くメッセージをいわき市はもっと外に発信すべきではないかと思う。漫画「いちえふ」にあるように作業員たちの多くはオフをいわきで過ごす。昨日、久しぶりに「フラガール」を見たら、ラスト近く、坑道に入って行こうとする鉱夫たちの姿が廃炉作業員たちと重なって見えた。

 短いCMの中に取り上げられている塩野崎灯台、アクアマリンふくしま、松柏館、白水阿弥陀堂。皆、僕の好きの場所でどこも懐かしい。が、今はその懐かしさに憤りと悲しみが含まれている。
 

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「福島」と「フクシマ」

Cai_0365_2 先日、母の七回忌の法要もあって久しぶりにいわきに帰省した。遅れちゃいけないと念のため東京を早朝に出発したら驚くほど早く着いてしまい、時間を調整する術も無く方々を走り回った挙句、これを機にと思い広野町まで行ってきた。

 福島第一原発の事故により広野町は一時全町避難とされていたが2012年3月に解除され、避難者の帰還が許されている。しかし、2012年の時点で全人口約5200人の内、戻っているのは約1350人とあるから、まだその時点では全体の1/4しか住人が戻っていない。現在もその数に大きな違いは無いと思う。国道6号線を走ると一見なんでもない風景だが多くの家々は無人で閑散とした印象。その代わりかつての民宿や店舗、その他、様々な建物の表には小さな土木・建築会社の名前の張り紙がしてあった。住民票を持たない作業員の数が約2600人とあるから町民より作業員の方が多い計算になる。

 入ってはいけない場所に足を踏み入れたような気分を和らげてくれるように観光バスと何台もすれ違うがそのフロントガラスには原発の収束作業員達の何かのグルーピングを示すような表示があって行き先はJ・ヴィレッジ。かつてJリーガー達のキャンプ地であった場所が今は原発の収束作業にあたる人々の前線基地になっている。訪ねるも当然、関係者以外立ち入り禁止だった。

 Apriciate Fukusima worker'sのホームページに詳しいが周辺は何件かのコンビ二が開いてる以外、目だった店もなくて、今後40年以上続くと言われている廃炉作業を支えるには不十分な環境であるのが見て取れた。

 http://yoshikawaakihiro.sakura.ne.jp/pg47.html

無論、広野町だけで作業員達を受け入れておける筈もなく、南に位置するいわき市が今どういう役割を担わされている場所か肌で感じられた。

              ☆

 久しぶりに兄・弟家族と会い、法要の後、良い時間をを過ごした後、ぼくが向かったのは小名浜に或る「味世屋」と言うラーメン屋。忘れもしない2011年の正月(!)、美味いという評判を聞いて家族で訪れた時、店は満員で、帰ろうとすると「もし、よければこちらで・・」と、なんと隣接するお宅の居間に通してくれたのだった。ご家族の遺影や何かのトロフィーが飾ってある棚を見ながら、炬燵で食べたラーメンの味は忘れられない。3・11後、YouTubeで津波の被害の状況を写した動画がアップされているのを見るにつけ、家族皆で「あのラーメン屋さん、大丈夫だろうか?」と口々に言い合っていたが、しばらくしてネットで再開した事を知り胸をなでおろしていた。いつか家族でもう一度行きたいと常々言っていた。

 店の場所を忘れてしまい、娘のスマホをGPSにして辿り着いた味世屋は休みだった。見ると店構えは新しくなっていて、やはり、津波で多少なりとも被害があったのだろう。残念だが、まあ良い。また来て必ずあのラーメンを食べよう。人や風景が大きく変わっていく一方で、昔ながらのものがひっそりと息を吹き返していて、そうした場所が少しでもある内は故郷はまだ故郷なのだろう。

 帰りの常磐道、頭の中で「福島」と「フクシマ」がせめぎ合う。

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大飯原発訴訟・判決要旨

 大飯原発差し止め判決。久しぶりに胸のすくニュースだ。やった。或る人が今朝、その判決要旨が詩のように美しいと言っていた。それでぼくもお昼にコンビ二で新聞を買ってその全文を読んでみた。詩のように美しいかどうかは分からないけれど、確かに日々原発の是非を巡って人と話す時、説明にもどかしいと思うことが簡潔に書かれていた。

 http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/c23cee97b8aefb95b510b0505f9c6072

 判決要旨のなかでぼくが一番ぐっときたのは最後のところ。どうせ全文を読む人は少ないと思うので、その部分だけを詩のように書き記しておこう。

     被告は
     原発稼動が
     電力供給の安定性、
     コストの低減につながると主張するが
     多数の人の生存そのものに関わる
     権利と
     電気代の高い低い
     という問題を
     並べて論じるような議論に加わり
     議論の当否を判断すること自体
     法的には
     許されない

     原発停止で
     多額の
     貿易赤字が出るとしても
     豊かな国土に国民が
     根をおろして生活していることが
     国富であり
     これを取り戻すことができなく
     なることが
     国富の喪失だ

     被告は
     原発稼動が
     CO2排出削減に
     資すると主張するが
     福島原発事故は
     わが国始まって以来
     最大の
     環境汚染であり
     原発の運転継続の根拠
     とすることは

     甚だしく
     筋違いだ

 

 今日、関西電力は判決を不服として控訴。甚だしく 筋違いだ。

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いわき市民文化センターに小出裕章氏の講演を見に行った。 

Omote_2  金曜日、21日、郷里のいわきに家族で墓参りに行ったその足で小出裕章氏の講演を見てきた。↓ (Ustreamの動画。長いけど細切れにしてでも是非全部見てください。)

 http://www.ustream.tv/recorded/45122989

 福島第一原発の事故以来、ベクレル、とかシーベルト、とかの単位が巷で語られるようになったが、例えば「cm」とか「g」に比べ、3年前に新しく聞いたそれら放射能を現す単位は今もぼくたちの多くに相当の身体的実感をもたらさない。

 初歩的な事だが意外とそれがこの問題を考える時にネックになっているのではないかと常々思っていた。一体、どれほどの量のセシウム137があの時降り、今も海に放出され続けているのか?そしてそれが人体に与える影響はいかほどのものなのか??

 氏の話は最初に視覚的な説明があって分かりやすかった。そして、そのように一つのイメージを与えられてから聞く話は今更ながら戦慄を覚えずにいられないものだった。

 放射能の研究に生涯を捧げてきた氏の、3・11以前、法令で定められた基準を超えたら絶対に外には出られなかったと言う実験室内の数値よりはるかに高いレベルを示す場所が今の東日本にはあって、その中で子供たちが日々遊んでいたりする。「世界は全く変わってしまった。」と、氏は言った。そして「放射能が目に見えれば良いのに」と何度も。それがぼくたちより遥かに多くの知識と「身体的実感」を有する氏の正直な言葉だと思った。

                 ☆

 今回のこの講演会を企画したのは「いわき放射能市民測定室 たらちね」というNPO団体だが、その代表を務めるのは旧知の織田好孝氏である。

 http://www.iwakisokuteishitu.com/

 織田先生とは生意気盛りの10代後半から20代にかけて溜まり場にしていた店で知り合った。先生の本業は歯医者さん。当時から反原発を訴えていて、ぼくら悪ガキ達は皆、敬意を込めて“闘う歯科医”と呼んでいた。先生たちの放射能測定室の活動は今、TIME等の海外のメディアにも広く紹介されている。ぼくが20年以上前から反原発なのはハッキリと織田先生の影響である。

1_1  21日は講演後のロビーで、多分、20年振り(それ以上?)にお会いした。チェルノブイリ原発事故後、やはり先生が同じいわき市文化センターで企画した広瀬隆氏の講演を思い出し、その事を言うと「でも、まさかあの時、本当にこんなことになるとは思っていなかった。」と言っていた。あの頃、想像していた最悪の事態の中に今生きていることを改めて思った。

                 ☆ 

 この日の小出氏の講演は勉強になったが、一方である諦念に貫かれているとも思った。「本当は除染などできない」という話があったが、放射能はそれぞれの半減期を待つ以外、人間が消すことはできない。できるのはある場所からある場所に「移す」ことだけだ。

 「この中に今回の福島第一原発の事故について全く責任がないと言う大人は一人もいないと思います。しかし、子供たちには ない。」と小出氏は断言した。ぼくもそう思う。子供たちのために、数少ない「できること」を諦めずにやっていくしかない。

 三連休初日だったが翌日仕事だったので、夕方、一路、常磐道を帰った。今回は息子が運転してくれたので助手席からゆっくり海が見れたが、小出氏が言うようにもし放射能が目に見れたならこの海は今何色なのだろうか?

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ビキニデー60年目に聞いた苫米地サトロの「青空」

Photo_2  今日はビキニデーから60年目。1954年3月1日に起きた「第五福竜丸事件」については2011年にこのブログでも書いた。↓

http://penguin-pete.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-f23e.html

 このエントリーを書いた頃はドイツとイタリアが脱原発の決定を下した頃で、当時、日本も・・・と私は願っていたが今は脱原発どころか政府方針は推進・再稼動の方に大きく舵が切られようとしている。

 少し前の話になるが上述したエントリーに紹介した友人のシンガーソンライター苫米地サトロから長い年賀状と称する手紙が来て、それには去年末の「特定秘密保護法案」に対する異議と各地の反核集会やドキュメンタリー映画「傍(かたわら)~3月11日からの旅~」の上映会で歌っている近況が書かれていた。また13年ぶりになるニューアルバムのレコーディング中で、この3月16日には東京日比谷図書文化会館でのライブが決まっているとのことだった。

 本当はこのビキニデーにもう一度、彼の名曲「Lucky Dragon」を紹介しようと思ったが、さっきYouTubeを見ていたら、青森県下北半島最北端の大間原発建設再開に反対するロックイヴェント「大マグロック」での彼の弾き語りの音源を見つけた。

 http://www.youtube.com/watch?v=Uc8-rh6yjJE

その中に震災後に出来たたった一曲の新曲、と手紙に紹介されていた「青空」があった。シンプルな詞だが迷走する原発の現状に憂う今の気持ちに力を与えられるようだったので記しおこう。

 もう泣かないって決めるな/もう迷わないって決めるな/もう逃げないって決めたなら

 薄暗いトンネルで外を見るのは/何も今に始まったことじゃないだろ?

    (「青空」 作詞・作曲 苫米地サトロ)

 「第五福竜丸事件」を知ることはその後の“一億総原爆アレルギー”と言われた世相がどのようにアメリカと当時のメディアによって翻されていったかという過程を知ることでもある。

 http://www.youtube.com/watch?v=EbK_OlzTaWU

 毎年3月1日が来る度、日本人はその事を反芻してみるべきだと思う。

泣きながら行け、もう逃げないって決めたなら。

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アプリシエイト・フクシマ・ワーカーズの募金活動

  いわき在住の元東電社員の人々が始めた募金運動↓。東電福島第一原発事故で汚染水対策や廃炉作業などに当たる作業員を冬の寒さから守るため、ヒートテックなどの防寒用品を贈ろうというもの。

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 http://yoshikawaakihiro.sakura.ne.jp/pg141.html

 http://blog.goo.ne.jp/okawaraarishige/e/bd4aa6f74def31a071af50c3f56b7c46

 4号機の中の使用済み核燃料プールの中は実は空だ、という裏話が一部で囁かれている一方で、表向きのニュースでは18日から燃料棒取り出しの作業が始まることを伝えている。

 彼らの骨身を削る任務について考えよう/彼らの妻と子供たち/家の火を絶やさぬようにし、まだ大地を耕している/そう彼らの妻と子供たちのためにも祈ろう 。ジャガー&リチャーズ「地の塩」より。

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年間20ミリの避難基準を非難~国連特別報告者

 

 国連、ありがとう。遠藤周作の「女の一生」を読んだばかりだか、明治に岩倉外交使節団が不平等条約撤廃のため海外に行き、そこで初めて日本政府はキリスト教信者たちを凄惨な暴力により迫害していることを世界中に非難され、やっと事の重大さに気づく。

 やはり外圧がなければダメ、というのは明治の頃から変わらないのか。11月26日、9日前のニュースだ。マスコミは無視。これを報道しないメディアに囲まれて生きていることを考えよう。

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見張り塔からずっと

 帰省を兼ねた旅行から戻った直後の先週日曜日、NHK・ETV特集「原発作業員」を見てからずっと考えている。・・・やっぱり、あの男達はそうだったのか。気がついていたけど。

 今回の旅から戻って、私は初めて東京が田舎だと思った。朝のラッシュも新宿や渋谷の雑踏も、やたらと人が多いと言うだけで長閑だ、と思った。今、起きている現実から余りにも遠い。

 いわきは田んぼではカエルが鳴いているし、あちこちでじゃんがらの太鼓の音がしていて、昔のままと思える風景がある一方、明らかに異質な空気に満ちていて、それが私が皮膚感覚として覚えている物事を少しずつ狂わせていくようだった。原発の収束作業、復興事業・・・・いわきは予想通りゼネコン主導での、その前線基地のようになっていた。友人とゆっくり話す機会があったが、反原発の話題も声をひそめてするような、そんな雰囲気すら感じた。書きたいが、書けないこともある。

 以下、8月21日(月)の日記より。オバマに勲章を貰って以来、宮廷画家に成り下がったようでディランを聞かなくなっていたが、ここ数日、頭の中で鳴っているのは彼の「見張り塔からずっと」という曲。30年ディランを聞いていて、この曲の詩は何を言っているかさっぱり分からないでいたが、今は分かる。分かりすぎるくらい分かる。FaceBookではジミヘンだったが、こちらはエディ・ヴェーダーのナンバーで。

 抜け出す道はあるのだろうか?

 8月21日(月) 

“昨日の夜、ETV特集「原発作業員」を見たが、その中で“放射線量をシェアする”という言葉が何回も出てきた。去年1年間で福島原発の収束のため働いた人間は2万人以上で、収束するのにあと40年かかるとのこと。一体、どれほどの人間が必要なのだろう?僕が87歳になる時までに。
 国が決めた年間被曝量に満ちてしまうとその作業員は働けなくなる。一年休んでまた来るか、まっさらな人間をまた連れてきて仕事を1から教えなくてはいけない。それが延々と続く。気の遠くなるような世界。

 一人の作業員が短期間で集中的に被曝することを避けなくてはいけないので、人回戦術で放射線量を分け合う。いくらきれいごとを言ってもこれが今後、この日本で生まれ育つ子供達の未来だと思う。韓国の兵役のように若者が2年間とか、原発の収束作業にあたるというのはそう遠くない将来必ず義務化される日が来ると思った。

 昨日の番組では20代のまだ土木の作業が初体験だという若者が月給40万とかを得ていた。「ここに慣れると怖い」と言っていたが。そしてそのように刹那的に生きることを愚かだと言えないのが今の日本。そのようにして働く人々がいなければもうすぐにでもこの国は終わってしまうからだ。
「俺達、使い捨てなのかなあ・・・でも、(東電に)気に入られたい・・・」という収束作業を請け負う会社の社長さんの言葉。彼らの多くは津波と原発事故の被災者だ。


抜け出す道はあるはずだ、ペテン師が泥棒に言った。
あまりに複雑すぎて息つくヒマもない
経営者達は俺のブドウ酒を飲み 農民達はおれの大地を耕す
だが、そいつらの中の誰一人として 
そのことの価値を知っているやつはいない

「そう、興奮すんなよ。」と泥棒が慰めて言った
「俺達の仲間の多くが、生きてること自体がペテンだって、
もう気づいているし、俺とあんたはそんこと卒業したはずだろ、
こんなの俺達の運命じゃないし。ウソは止そうぜ、夜も更けてきたし。」

見張り塔からずっと王子たちが見張っていた
女たちの出入りは激しくて、裸足の召使達もそうしていた

はるか遠くで山猫が叫んでいた
馬に乗った男が二人近づいてくると、

風が吼えはじめた


  意訳 ナヴィ村 ボブ・ディラン「見張り塔からずっと」より。”

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