アメリカの古いフォークソングを聞いている。

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遅ればせながらあけましておめでとうございます。

 数年ぶりにアメリカの古いフォークソングに興味が沸いてこの年末年始はそうした音楽ばかり聴いていた。特に聞いたのはピート・シーガー。たまたま行った某大型古書店のCDコーナーに彼の『Family Concert』なるアルバムがあってそれを買って聞いたら凄く良かったということもある。歌そのものの良さはもちろんだが、自分が感じ入ったのは聴衆と一緒に声を合わせて歌うという、いわゆるあれ。

 誰でも子供の頃、キャンプファイヤーなどにギターを持ったお兄さんが現れ、歌詞の数行を先に教えられながら皆で歌ったという記憶が少なからずあると思うのだが、当時、自分はそれをダサいと思っていた。何でだろう?それなのに今は、人の声っていいなあ、と聞き惚れてしまう。

 その後、ピート・シーガーについては80年代に出た『Song along』という2枚組と古いアルバム3枚を一組にしたような企画ものも買った。どれも解説や歌詞の対訳が無いが調べると英語詞はほとんどネット上にあって、それを翻訳機で見て(だいたい変な訳だが)、歌の内容を知る、想像する、ということをやっていた。古いフォークソングはメロディは同じでも歌詞の数行、時には丸ごと詩は書き替えられるので、CDで歌われているものとネットで見つけた詞が違う場合も多々あってそういうのも興味深かった。

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 そしてピート・シーガー以外に手に入れたのはランブリング・ジャック・エリオット。ウディ・ガスリーの弟分で、ボブ・ディランの兄貴分のような人とか。中古屋で買い物したら300円分の割引券をくれたので「割引というのじゃなく、これで300円分のCDを買うこともできるの?」と聞くと「あの段ボールが100円とか200円のコーナーですよ」と教えてくれたのでその中を家探しして見つけたもの。

 1曲目がウディ・ガスリーの『1913年の大虐殺』で、ボブ・ディランのデビューアルバムに収められている『ウディに捧げる歌』がこの曲のメロディで歌われたものということを初めて知った。そうか、あれはフォークソングというものの成り立ち、その伝統を含めてのリスペクトを表したものだったんだなと今頃になって理解する。かくして知ってるつもりで知らないことがいっぱいあるなあ、と思い知った年明け。今年も宜しく。

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ピートシーガーの『Cristo Ya Nacio』

 "私たちは彼らのバナナを食べたり、彼らのコーヒーを飲んでいます。そろそろ彼らの歌を学んでも良い頃です。アメリカがバイリンガルになれば、これはお気に入りのクリスマスキャロルになるかもしれません。"と、ピート・シガーが解説で紹介しているのはニカラグアの『Cristo Ya Nacio』という歌。この日曜日、自分はまたピートシガーのライブ盤を中古屋CD屋で見つけ聞いていたのだが、この曲を聞いた時「あれ??あれ??」とい気持ちに。「この歌、何処かで聞いたことがある!」

その後、さんざん考えたのだがどうしても分からない。それでしばらくネットで色々調べていたら・・・やっと分かった。それは中学生の頃聞いた『ニューヨーク漂流24時間コンサート』というレコード。1981年に小室等と吉田拓郎と井上陽水がラジオの企画で24時間ニューヨークをぶらぶらしながら色んなところで歌い、それを録音するというちょっと変わったレコードでのこと。中である政治集会でピートシガーが歌っているところに遭遇し、その録音も収められていて、その時ピートが歌っているのがこの曲だった。聞いたのは多分40年ぶりくらい。

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 ピートが聴衆をリードして繰り返し歌われるフレーズは"キリストはもう生まれたよ、パラカギーナの町に マリアは慎ましくアイロンをかけている 地主のきれいな(Lazy=怠惰、とピートは言っている)奥さんが着飾るための服に"のような内容。歌いながらピートも説明しているが、この歌のイエス誕生の物語は一般に知られているのとは少し違うようで、誕生を知って真っ先に集まって来るのは貧しい農民たちだ。ホアキンという農夫がチーズや南米ならではお菓子、揚げドーナッツなどを持って来る。Yutube を見たら先日買ったアルバムがFullでアップされているので、リンクしておく。

https://www.youtube.com/watch?v=iNNbpX9VsUw&list=OLAK5uy_na1RmQg_xStOhku1Y5SboGRmir4x4k-xk

歌の内容や由来を聴衆に教える19曲目.Tach song と本編の20曲目がそれで(途中、CMが入っても我慢を)、最後にちょっと驚くオチがある。お時間のある時ぜひ続けて聞いてみて下さい。メリークリスマス。

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ミーワムーラの3枚。

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『ここにいる ここにある』(2013)

 アルバムのテーマは「海」だ(と思う)。そう告げるのはトロピカルなティストのアレンジが魅力の一曲目「走出スウィング」。だがトロピカルと言っても凡百のリゾートミュージックに堕してしまわないのは確かな歌唱と「ことば」があるからだろう。菅原ミワの描写力。この後、誰しもの胸を打つことになる彼女の映像的な詩作の数々はこの曲の中にすでに胎動がある。そしていわきをベースに活動するこのデュオの全国流通盤の冒頭を飾るにこれはなんとふさわしい一曲だろうか。鮮やかな出走 。

2曲目の「祈り歌」はドキュメンタリー映画『シバサシ~安里清信の残照~』(監督:輿石正 2012)の挿入歌。70年代に沖縄の住民運動の中で中心的な役割を果たした人物の生涯を追ったこの映画を筆者は未見だが、決して表立ったプロテストをしなくとも、原発事故を体験した菅原と村重の二人が創造する音楽の核に、実はどんな想いがあるのかを思い知る一曲だ。先ほど菅原の詩作について触れたばかりだが、この曲は彼女のペンによるものではない(作詞作曲 山城美由紀 間詩 輿石正 )。だがまるで自身の胸の内から発せられたことばのように歌う彼女の歌唱は感動的だ。また途中の朗読(決してポエトリーリーディングとかスポークンワーズではない)も真っ直ぐに胸に入ってきて、この曲の、良い意味での宗教性を高めていると思った。

菅原のことばかり書いたが3曲目『凪の雨』はムーラこと村重光敏の作。菅原の声で歌われるので中和されているが、これは本来、男の詩(うた)ではないか。アレンジから個人的に想起するのはドキュメンタリー映画『縄文号とパクール号の航海』や漫画『怪獣の子供』等、海洋冒険ものの数々だ。帆に受ける風だけを推進力とする船の軌跡のような村重の間奏のギターに海の野生を感じる。

そしてこのミニアルバムの最後を飾るのは一曲目に続き菅原ミワのペンによる『海辺のあしあと』。前3曲に比べ極力装飾を排したフォークロックだが、"陽が沈んでも 海辺で待つよ"というサビの一行に海辺での暮らしの柔らかさを思って羨ましく思った。海は同じ場所からでも一日の時間の中で幾つもの表情を見せるものだろう。収められたのはそのそれぞれを掬い上げたような4曲。発表は福島原発事故から2年後の2013年だが自分は長くこれを聞かなかった。不覚。同郷の自分にとってはいわきの海を返してくれた1枚である。

 

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『道』(2015)

 ベアナックル(素手)のミーワムーラ。今作を一言で言い表すならそうなる。全曲二人の演奏と歌のみの作品。余分なものを排し、このユニットのエッセンスだけがここにある。ここに収められたナンバーの幾つかを自分はYouTube動画のライブ映像であらかじめ知っていたが、さてアルバムではそれぞれどのようなアレンジが施されているのだろうと思っていたので聞いた時は驚いた。なんという臨場感。ミーワムーラのライブを体験したことがない人はこのアルバムを聞けば良い。ステレオのボリュームを少し上げて。まるでスピーカーの中で二人が演奏しているようではないか。

 ボブ・ディランの『血の轍』がギターアルバムというのと同じ意味で本作はギターアルバムだ。ギターアンサンブルの素晴らしさ、特に2曲目『種』における耳に心地いいカッティングとそれに絡みつく村重のインプロビゼーションといったらどうだろう。その他、音色の選び方、間の取り方、それぞれの曲の中でのいちいちが玄人好みのヴィンテージプレイ。彼が「いわきの至宝」と言われる所以だろう。

 さて音以外の事、アートワークについて。ミーワムーラのアルバムジャケットは今のところ全て菅原ミワ自身の版画作品によるものだが、本作のこの絵にタイトルが「道」と聞けば誰もが想起するのはフェリーニの映画『道』(1954)だろう。フェリーニがネオリアリズムの手法で撮った最後の映画と言われる『道』。3曲目の表題曲『道』はこの映画へのオマージュと思われるが、だが菅原はジェルソミーナのようではないし、村重はザンパノのようではない。ただここで注目したいのは「ネオリアリズム」と言うことば。本来、社会を告発するために編み出されたイタリア映画のこの手法を、フェリーニ―は『道』で「プロテスト」のためでなく「人生」を表現するために使った。低い視線と平易なことば、即興的な演出、徹底したリアリズムの追求。そして勝手な解釈だがこのアルバムも同じようだ、と自分は思うのだ。

1曲目『えなじぃ』での執拗と思えるほどの風景描写は菅原のリアリズム追求への意思の表れだが、その視線は曲が進むごとにあらゆるものを見逃すまいとし、その触手はやがては自身の内面にも伸びてゆく。そしてラストナンバー『夕凪の坂道』の冒頭はこう。“雲をつかんで虹をつかんで 光さえもつかめるものだとしたら 君を見失った自分が少しでも許される気がする”。ここで初めて歌は何事かを告白する。誰の中にもある密かな悔悟。そしてそれが許される時の静けさと風の匂いまでもがしてくるようなギターの演奏と歌声。映画『道』のザンパノは許されず後悔の中に取り残されるが、ミーワムーラのアルバム『道』では主人公=リスナーは許される。許すのは一枚の風景、「ぼんやり滲んで輝く夕凪の坂道」だ。歌はなんという場所にぼくらを置き去るのだろうか。音楽にはまだこんなことができる。こんな力がある。

 

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『小さな歩み』(2017)

 最初に聞いたのがこのアルバムだったのでこの「黒っぽさ」が特別なことに気付かなかった。初のフルアルバムで全11曲。前作、前々作に無くてこの『小さな歩み』にあるのは「黒っぽさ」=ブルースフィーリング(だと思う)。曲で言えば『ヨタカ』『お師匠さん』『どのくらいの時が過ぎているのだろう』の3曲。特にオープニングを飾る『ヨタカ』は傑作だ。“灯台の灯りが家の中に入る。おいらの生活は家と堤防の往復しかない”。隠者のように、夜、堤防から釣り糸を垂らすだけの暮らし。そしてこんな知り合いがいるわけでもないのに、聞く度に福島の夜の海がリアルに迫ってくるのはどうしたわけか。誰も来ない海、誰も居ない丘の上のホテル。前作『道』が古いイタリア映画ならこれは70年代のATG映画。自分はそう感じた。

『お師匠さん』は普段は大工の師匠と弟子の間柄であるという村重と菅原の日常を垣間見れるナンバー。二人が大工と聞いて最初に思ったのはチャックベリーのこと。チャックベリーも大工だった(ちなみにキリスト、バカボンのパパも)。ただチャックが歌詞の中で50’Sのティーンエイジャーの生活を生き生きと活写していたのに対し、こちらは弟子から師匠へ向けたユーモラスなリスペクト。これもワークソングの一種と思えばそれも正当なブルースだったりする。また菅原の、この、はっちゃけた歌いっぷりにかつての関西ブルース、憂歌団、上田正樹&有山淳司、などなどを想起した。

 そして『どのくらいの時が過ぎているのだろう』はジャズブルース的な一曲。決してやさぐれているのではない品のある憂鬱<メランコリー>。菅原の声質がこうした曲に合うのは発見だったのではないか。そういえばニーナ・シモンが好きだと言っていたっけ。リピートして繰り返し聞いてしまった。

と、ここまで「黒い」3曲について長々書いてしまったが、その他のナンバーも個性あふれる名曲ぞろいだ。白眉は『彼岸花』。これはもう未来のスタンダードナンバーと断言していい。丁度、このアルバムを手に入れたのが季節的にぴったりだったので、この秋は何度も泣かされてしまった。それと10曲目の『Truth』。リフレインが無い菅原ナンバーには珍しく“君がそう言うなら 本当のことだろう”と繰り返されるフレーズは、このフェイクニュースとオルタナティブファクトの時代に「信頼」ということをさりげなく教えてくれるようだし、“君がここで生きることはぼくの中に残るだろう”という一行を、自分は見知らぬ土地で生きていくことになった多くの福島人(ふくしまびと)たちへの応援のことばのように聞いて、勝手に切なくなってしまった。

以上、思いつくままに書いたがこのバラエティに富む音楽性の全ては村重のアレンジの才によるものである事を忘れずに書いておく。その引き出しの多さ、懐の深さに脱帽。ミーワムーラを紹介する時の、単に“フォーキー・デュオ”って正しいのだろうか?そんなことを思わせる一枚だ。

https://miwamura.tumblr.com/

 

※ 文中、敬称は略させていただきました。

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辻堂「MONK」でミーワムーラを見た!

 

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 昨日、辻堂『Monk』に平凡'Sとミーワムーラのライブに行った。湘南だというのに店内には故郷いわきの海と街の灯りが広がっていた。知り合って30年来の平凡’Sと初めて見るミーワムーラ 。昨夜は特にミーワムーラのステージに静かな衝撃を受けた。湘南に果敢にも、いわき・小名浜の海を広げてしまったのは1曲目の「ヨタカ」。https://www.youtube.com/watch?v=yNRnUzQXxn8
 この1曲だけで菅原ミワという人が素晴らしいシンガーで凄い詩人だっということが分かった。店内にはそれこそ演ることと聞くことに関しては百戦錬磨の猛者たちが集まっていたというのに、その1曲目の第一声、リリックの一行で、皆がくぎ付けになった。それを彩るのはいわきの至宝、村重光敏のギター。音楽以外では大工の師匠と弟子だというその関係にも驚かされた。https://youtu.be/hC0JIZsdIuo

 ジョニ・ミッチェル、ローラ・ニーロ、スザンヌ・ヴェガ、キャロル・キング・・・彼女が歌う姿に過去の優れた女性シンガーソングライターたちの姿が色々に重なったが、聞けば聞くほどに彼女は彼女以外の何者でもなく、今、自分は未知の才能に触れているんだという事実が清々しく心地良かった。

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 終演後の打ち上げのパーティーではいい歳をしたオジサンたちが一斉に彼女を質問攻めにしていたが自分もその一人。オリジナルを書く前は周囲の大人たちに勧められた歌を歌っていたという彼女に自分が聞いたのは「自身が好きなアーチストは誰か」ということと「いつもどんな本を読んでいるか」ということ。「パティ・スミスとニーナ・シモン」「ヘッセ」というのがその答えだった。また雑談の中で今でも語り草になっている東日本大震災直後のいわき小名浜一中体育館での喜納昌吉ライブの時、同じステージに立った女性が彼女だったということも知った。

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今は多くの人に知ってもらいたい気持ちが強いのでYouTubeにアップされている動画をさらにリンクするとまずは「彼岸花」という曲。https://www.youtube.com/watch?v=L9kmzcx48NA 丁度、先日、家の前に群生する白い彼岸花の写真を機械音痴な妻がポチポチ人差し指でスマホのタブレットを打ちながら留学中の娘に送っているのを見たところだった。


 そしてもう一曲は昨日も演ってくれた「残映」という曲。"ただ哀しいだけの 想いを手放して 灯をたやさず あの日々をいつまでも あなたのそばでいつまでも"何についての歌なのか自分なりに(勝手に)分かっているつもり。https://youtu.be/L8HXunAoi2w
 
 最初の写真は昨日買ったミーワムーラのFullアルバム『小さな歩み』。朝からずっと聞いているが素晴らしい。いい秋になりそうだ。ニューアルバムの予定があるとか。ずっと聞き続けていくことになるユニットが一つ増えた。

 遅ればせながら、このライブを企画し、誘ってくれた上野夫妻、いつもありがとうございます。ありがとうございました。

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ポール・サイモンの『オヴィアス・チャイルド』

 ポール・サイモンの『ザ・コンサート・イン・ハイド・パーク』を聞いている。夏にネットでこの記事を見かけてから、何度ここに貼られた動画を見ただろうか。http://www.sonymusic.co.jp/artist/PaulSimon/info/484392

 2012年に行われたライブのDVDが今年発売された理由は映像を見てすぐに分かった。多様性に溢れたパフォーマンスと音楽、そして観客。異なる民族文化を持つ人々と一時的に共演することはあっても、それを自らの楽曲に本格的に取り入れ、なおかつヒットさせスタンダードにした人なんてポール・サイモン以外にいないのではないか。

 

 時折、映される観客たちの表情がどれも感動的。「オヴィアス・チャイルド」の間奏のリズム隊のブレイクとその後に続く歓声は可視化された「グレイスランド(グレイスに溢れた土地)」だと思った。

 「楽隊の音は、あんなに楽しそうに、力づよく鳴っている。あれを聞いていると、生きて行きたいと思うわ!」 (友人のFBで紹介されていた今日の毎日新聞・高橋源一郎の人生相談からチェーホフ『三人姉妹』より) 

・・・・・・と、これを今アップした直後、Yahooに戻り、 ラスベガスのコンサート会場での銃乱射事件のニュースを見て衝撃を受ける。平和なコンサート風景が昔懐かしいもの・・のような世界にならないことを切に祈ります。R.I.P

・・・・さらに、トム・ペテイ死去のニュースも。2017年の10月2日はぼくら音楽好きにとって何という日だろう!

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カントリーな夏でした

 今日、9月3日は二十四節季では処暑にあたり、暦を見ると、暑さが和らぐ頃、とある。異常気象と言われる昨今でもこの周期はいつもピッタリ当たっていて季節の変わり目が来るたびに驚く。ここのところようやく涼しくなってきて、早速、今年の夏の事を色々と思い出しているところ。

 今年は7月の暑い盛りに一週間ほど長野の霧ヶ峰に行って仕事をしたが、その前に知人の引っ越しを手伝い、思いがけず頂いたお金でカントリーのCDを買った。ウォークマンに入れて高原でカントリーを聞いて過ごすのは良いアイディアのような気がしたから。

 R&Rが黒人のブルースと白人のカントリー&ウェスタンとのクレオールミュージックと理解して、昔からブルースは良く聞いたが、何故かカントリーは聞かなかった。で、これを機に聞いてみようと思い、買ったのは輸入盤でジョニ―・キャッシュの3枚組のベストとハンク・ウィリアムスの4枚組。

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その後、ジョニー・キャッシュのフォルサム刑務所でのライブ盤も買った。そしてフェイスブックにその事を少し書いたら、ジョニー・キャッシュが「刑事コロンボ」に出た時、ハンク・ウィリアムスの「I saw the light」を歌ったことや、去年、ハンク・ウィリアムスの伝記映画が公開されていた事などを教えてくれる友人がいてそれも見た。いわきに帰省した際は中古CDも扱う友人の店で有名どころによるハンク・ウィリアムスのトリヴュートアルバムを紹介され、それも購入。どれも良くて、今までを不覚に思うやら、まだ未知の分野がこれだけある事を喜ぶやらだった。

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 最初に買った二つが歌詞対訳の無い輸入盤だったので、聞いているうちに、どんな事が歌われているのだろう?と気になった。特にハンク・ウィリアムス。ディランは「ハンクのルールに従って」ソングライティングをしていると発言しているし、レナード・コーエンは「歌の塔」という曲で、「その最上階にはハンク・ウィリアムスいる」と歌っている。ネット上で数曲、対訳している人がいて最近それをなんとなく眺めたりしているが、英語で直接理解できればなあ、とため息が出てしまう。

 http://jtkanehira.com/hank.html

 それとジョニー・キャッシュ。『AT FOLSOM PRISON』のライブ盤には歌詞対訳が付いていて、囚人たちを前にして歌われたその歌にいちいちに驚く。特に「FOLSOM PRISON BLUES」の“俺はリノで男を撃った 彼が死ぬのを見るためだけに”と言う一行はブルース・スプリングスティーンの「ネブラスカ」の“理由のない卑劣な行為というものがあるのだよ”という歌詞に響いていると思った。対訳はスプリングスティーンの翻訳も手掛ける三浦久氏。この秋にお会いできる(はずな)ので、その辺の事を話し出来たらと思う。

 ネットにはハンク・ウィリアムスの歌詞対訳だけでなく、コード譜もあって、最近、?十年ぶりにギターをひっぱり出してきて練習しているのは「Cold cold heart」。指の皮が段々厚くなってきた。

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イグアナ 이구아나

 詩人・茨木のり子の著書『ハングルへの旅』の中で、詩人が韓国をバスで旅行中、子供に時間を聞かれて「試されている・・」と勝手に緊張してしまった、という件が確かあった。

 日本語の数の数え方に1(イチ)、2(ニ)、3(サン)・・・という数え方と、一つ、二つ、三つ・・・という数え方があるように、韓国語にも1  일/イル、2  이/イ、3  삼/サム、4  사/サ、5  오/オ、6  육/ユク、7  칠/チル、8  팔/パル、9  구/ク、10 십/シプと数える漢字語数詞と、1 하나/ハナ、2 둘/トゥル、3 셋/セッ、 4 넷/ネッ、5  다섯/タソッ、6 여섯/ヨソッ、7 일곱/イルゴプ、8  여덟/ヨドル、9 아홉/アホプ、10 열/ヨル、と数える固有語数詞とがあって、使い方が時々に違うので確かに日本人には難しい。

 例えば時間だが、~時の部分は固有語数詞だが、~分の部分は漢字語数詞でなければならない。韓国語に興味を持って始めて見ようという方がいても、この数のところで挫折してしまう人は案外多いのではないだろうか?自分にも難しかったし、今も難しい

 結局は慣れるしかないのだが、最近、YouTubeを見ていて良い曲を見つけた。韓国のロッカー、カンサネと、ロックバンド、ヒョゴのコラボ、『イグアナ 이구아나』と言う曲。この動画はハングルの字幕が出るので、それを紙に書きとってネットの自動翻訳機にぶち込み、大体の内容を知るという涙ぐましいことをしていたが、後半部はこの数字を使った言葉遊びのようになっている(多分)。

 

 9は구/ク、なので 頭に指示詞の이(イ) これ・この、を付けて数えて、最後が「イグアナ」になるというオチ。作詞作曲はカンサネ。面白い。韓国の音楽というとCD屋ではいわゆるKポップと言われるやたら美脚の女の子やイケメン男子が集団で歌うものしか見かけないが、カンサネやヒョゴのようなロックは一体何処で買えるのだろう?

 因みに現在、日曜日の午後、時間はタソッシ、シプチルプン、です。

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ラリーアッサラームの『ブルーバージンズ・レヴォリューションズ』~16年ぶりの1stアルバム

 中国旅行から帰ってきてすぐ仙台のシンガーソングライター ラリーアッサラームから連絡があった。何でも故下村誠プロデュースで2001年に制作され全国発売された1stアルバム『ブルーバージンズ』を音源はそのままにボーカルトラックだけ新たに再録したものができたのだが、送るので感想を聞かせて欲しいとのこと。そして16年前、このアルバムのために僕が書いた文章をライナーにそのまま使うとの断り。それで早速、本日、届いたのだがこれが良い。

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 このRE・1stアルバムともいうべき"新ブルーバージンズ"には下村さんの「スターダストブルース」「虹の戦士」「Native Mind」の三曲のカヴァーもあってそのポップな解釈も感動的だ。特に「スターダストブルース」は下村さんが間違って音源を消してしまった、として仕方なくボツになったものがギター(下村誠)とピアノ(井上徳子)の音のみが残ったテープが発見され再録されたのだとのこと。16年前の下村さんともう一度セッションした・・・というような事が手紙にあった。ミュージシャンは羨ましい。

 彼のボーカルについて、"幼児が発見したスペクタクルをなんとか言葉で伝えようとする時の"衝動"をドキュメントしているようで新鮮"と16年前の僕は書いている。そして今回そのボーカルは力強く再録されたわけだが、驚いたのはその新鮮さが全く損なわれていないこと。

 それにしてもこのポップな「虹の戦士」と「Native Mind」!下村さんに聞いて貰いたかった。やっとこういうのが出てきた。ありがとう。ラリーアッサラーム。

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加川良さん死去~駒沢あたりで

  

 加川良、と言う名前を初めて知ったのは吉田拓郎の「加川良の手紙」という曲だった。小学生の時。4つ上の兄のカセットテープから流れてきて面白い歌だなあ、と思った。

 今朝、早く起きすぎて眠れなくなって、拓郎に纏わる思い出話をここに書いたばかりだが、良さんの死を知って、今日、また上手く眠れるかどうか分からない。高校生の頃、いわきの「キネマ館」で、村上律さんと一緒のステージを何度見ただろう。打ち上げで「いわきでは冷やし中華にマヨネーズが付くんですよ!」と言ったら、「そんな気色悪いもン誰が喰いますかぁ!」と良さんが笑ったのを思い出す。

 後年、いつかのアースデイ、雨の中ライブを見ていたらビニール傘を貸してくれる人がいてなんと良さんと良さんの奥様だった。僕の事など覚えている筈もなかろうから、きっとそういう事が誰にでも自然にできる人だったのだろう。今日は朝から思い出話ばかり書くことになった。

 悲しい。ご冥福をお祈りします。

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Merry Christmas~スティングの「I saw three ships」

Merry Christmas!

 

       三隻の船がやってくる
       クリスマスの日に クリスマスの日に
       三隻の船がやってくる
       クリスマスの日の朝に

       三隻の船に誰が乗ってる?
       クリスマスの日に クリスマスの日に
       三隻の船に誰が乗ってる?
       クリスマスの日の朝に

       イエス・キリストと聖母マリア様
       クリスマスの日に クリスマスの日に
       イエス・キリストと聖母マリア様
       クリスマスの日の朝に

       三隻の船はどこにいくのか
       クリスマスの日に クリスマスの日に
       三隻の船はどこにいくのか
       クリスマスの日の朝に

       ベツレヘムへ行った
       クリスマスの日に クリスマスの日に
       ベツレヘムへ行った
       クリスマスの日の朝に

       地上に鐘が鳴り響く
       クリスマスの日に クリスマスの日に
       地上に鐘が鳴り響く
       クリスマスの日の朝に

       天国の御使い歌い出す
       クリスマスの日に クリスマスの日に
       天国の御使い歌い出す
       クリスマスの日の朝に

       地上の民が歌い出す
       クリスマスの日に クリスマスの日に
       地上の民が歌い出す
       クリスマスの日の朝に

       我らは喜びにあふれて
       クリスマスの日に クリスマスの日に
       我らは喜びにあふれて
       クリスマスの日の朝に

   


(ブログ「ハッピークリスマス!クリスマスソング特集」より )

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