最近「人間活動」後にリリースされた宇多田ヒカルの3枚のアルバムを続けざまに聞いて感じることが大だった。
「人間活動」とは実質的に彼女が引退して市井の人間として暮らしていた期間のこと。その間には母親の死、子供の誕生、という時間を彼女は経験したが、上に挙げた3枚とは復帰作の『Fantôme 』、その後の『初恋』、そして最新作の『Badモード』のこと。
去年末のことがあって以来、いくつかを除いて音楽は自分にとってただの気晴らしという意味でしか機能しない状態になってしまっていたが、彼女の音楽だけは心に「効いてる」感じがした。
何故だろう?そんな風に思っていたところ、雑誌『VOGUE』に彼女の最新のロングインタヴューが出ていたので早速に読んだ。一読して上の疑問がすぐに氷塊したわけではなかったが、彼女が長く精神的な試練と向き合って、闘って、それを音楽にしてきた人だということは分かった。そしてネット上にある様々な発言や他のインタヴューも続けて読んでみた。
「一時期は、何を目にしても母が見えてしまい、息子の笑顔を見ても悲しくなる時がありました。」(アルバム『Fantôme 』発売時のインタヴューより)
「〈諸行無常〉という分かり易い仏教の言葉があるけれど、それを理解して受け入れるのは、そんなに簡単なことじゃない 」(アルバム『初恋』発表時のインタヴューより)
『道』、『花束を君に』、『真夏の通り雨』などなど、死別による喪失の悲嘆とそこからの回復=軌跡を意図せずともこんなにも表現し成功しているポップミュージックは稀有なのではないだろうか。
↓はアニメ『ペンギンハイウェイ』の挿入歌となった彼女の曲。映画はこのブログの題名とちょっと似ているので興味があって昨夜Netflixを検索したらあったので見た。曲はアルバム『初恋』にも収録の『Good Night』。悲しみは癒えなくともそのままに「在る」といういうことで良いと、彼女のうたの、それら幾つかを聞いて勝手に思ったがこれもその1曲。
https://youtu.be/ao5bWFNSjOg
そして『大空で抱きしめて』
https://youtu.be/RjaEkagXVro
またその他の、様々な曲を聞くにつけ彼女は日本語という言語をアートの素材として表現するアメリカの音楽家、という印象も持った。変わった感想だろうか。YouTubeに彼女の英語は完璧!のような動画があるが、あのねぇ、彼女のバックグラウンドからすればそりゃ当たり前だろう。
子供の頃からビートルズやディランなどの海外のロックを聴いて育ったが、いつも彼らの歌を英語で聞いて直接理解出来たらと痛恨の思いでいた。なので海外の多くの彼女のファンが今そんな思いでいるのかと想像すると少し優越感を覚える。そして、そんなさもしい根性を笑うように記事の中に見つけたのは彼女の「第一言語は音楽」というキラーフレーズ。
ああ、宇多田ヒカルってカッコいいなあ。
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