"ザ・サブタレニアンズ"のライブを見た

  快晴だが風が冷たい一日。

 下北沢Lownにキャリア30年の新バンド"ザ・サブタレニアンズ"のライブを見に行った。

 黒水伸一(THE SHAKES)、篠原太郎(THE BRICK'S TONE)、CROSS(the LEATHERS)という30年超のキャリアある3バンドのリーダーが集結した新バンド"The Subterraneans"(ザ・サブタレニアンズ)、デビュー! 3月8日(金)1stアルバムリリース&ティーザー動画公開! - ニュース | Rooftop (rooftop1976.com)

 下北沢には開場時間よりかなり早くに着いてしまい、羽織るものを忘れ凍えるように時間つぶしていたが、終演後は汗びっしょり。いい年して久しぶに歌ったり踊ったりして楽しかった。今、声がガラガラ。

 濃い顔立ちのイケメンのメンバーたちが生で目の前に揃うとステージからの圧が凄かった。MCで黒水氏が「昔は敵だったから。。。」と言っていたが、さながらそれは"シマ"の取り分を手打ちしたイタリア・マフィアの2代目たちといった様相。しかし、曲・演奏は個性の住み分けができているとかいうのではなく、それ以上に溶け合っていて、この人たち、本当に"組"になったのだなあと実感した。

 昨日のデヴューアルバム!の発売日は、Yahoo!ニュースにもなったというが、そのアルバムにメンバー全員のサインを貰った。宝物が一つ増えた。

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 ところで『ジェリーとMagicBox』のジェリーって誰のことだろう?一聴してジェリー・リー・ルイスかと思ったが、歌詞に"ハノイが爆撃されていた頃"とあるので60年代とするとジェリー・ガルシアかな。ジェリー・リー・ルイスだと50年代の印象が強いし。今度、聞いてみよう。


 23時就寝。

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五郎さんのライブに行った

  この土日は息子が通し(仕事のシフトで朝から晩まで)なので基本ずっと一人。どう過ごすか考える。YouTubeにニールヤングのアルバム『BARN』のレコーディング風景をドキュメントした動画があるのを見つけ朝からそれを見た。監督は女優のダリル・ハンナ。彼女は現在ニールの奥さんだという。知らなかった。ダリル・ハンナというと昔ジャクソン・ブラウンの彼女で、ジャクソンのDVが原因で別れたというところまでは知っていた。動画はロッキーの自然と19世紀からある納屋を改造したスタジオでリラックスして演奏・創作をするメンバーの姿を捉えていて、ちょっと環境ビデオのようで家事をしながらのんびり見れた。

 その後、ウォーキング。見た動画の勢いでスマホのサブスクでニールヤングを聞きながら歩く。久しぶりに『ハーヴェスト』を通して聞いた。少し前にピーター・バラカンのラジオで『1972年特集』をやった時このアルバムも紹介され、お約束のように『Hart of Gold』がかかったが、通してきいても名曲ぞろいでつくづく良いアルバムと思った。それぞれの曲が川沿いの木陰で新聞を読む人や草野球する人、マラソン人の風景とあいまって良い時間であった。

 帰宅して昼食。余って冷蔵庫に入れておいた冷や飯を使ってチャーハンを作った。フェイスブックを見ていたら、本日、国分寺のライブカフェ「Ghee」で中川五郎さんのライブがあると告知があって、そのコメント欄に友人が「今日、行きます」とメッセージしているのを見つける。19時より。自分も行こうと決める。

 それまでは午後は一度昼寝し、起きて先日、人に勧められたNetflixのドラマ『今、私たちの学校は』の第1話を見る。大ヒットしたゾンビもの。自分はホラーやこうした怖い系は苦手で極力見ないようにしていたが見ると案外に面白い。全部で12話。これならいけるだろう。

 息子のためにハッシュドビーフを作って後、夜、予定通り「Ghee」へ。国分寺の北口の変貌ぶりに驚く。降り立った時の風景がまるで違う。町をそっくり作り変えたよう。しかし、スマホを頼りに初めて行くライブカフェは昔から良く見知った通りにあって、やっと息が付けた気持ちになる。店内に入って友人夫婦と五郎さんに再会する。

 五郎さんは久々に見たが新曲が多くて良かった。スリランカの経済危機のデモの時、デモの拠点に図書館を作った人たちの歌『図書館でデモをする、図書館がデモをする』、ウクライナ人がロシア人を見分けるため、ロシア人が発音し辛いウクライナ語でパンを表す言葉を言わせるというエピソードから始まる『パリャヌィツヤ』、60歳で起業し95歳の現在まで笹餅を作り続けるおばあちゃんを歌った『ミサオおばあちゃんの笹餅』など。

 フォークソングはジャーナリズムでもあるという事を多くの人が忘れているところ、五郎さんはただ一人(多分)その新しい所を常に実践していて凄いなあ思った。五郎さんの歌によって知りえたことが自分にはなんと多い事か。そして宮尾節子の詩に曲を付けた「再会」。五郎さんの前に歌った佐藤龍一さんが歌う数曲もそうであったが、これも妻を亡くしたばかりの自分には大きく響く歌であった。

↓は今年 墨田フォークフェスティバルでの『図書館でデモをする、図書館がデモをする』。

 

 帰宅は10時半頃。息子はもう帰宅していた。ハッシュドビーフは食べたようで、残りを自分も食べる。風呂に入り、12時頃就寝。

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最近、宇多田ヒカルを聞いている

 最近「人間活動」後にリリースされた宇多田ヒカルの3枚のアルバムを続けざまに聞いて感じることが大だった。

 「人間活動」とは実質的に彼女が引退して市井の人間として暮らしていた期間のこと。その間には母親の死、子供の誕生、という時間を彼女は経験したが、上に挙げた3枚とは復帰作の『Fantôme 』、その後の『初恋』、そして最新作の『Badモード』のこと。

 去年末のことがあって以来、いくつかを除いて音楽は自分にとってただの気晴らしという意味でしか機能しない状態になってしまっていたが、彼女の音楽だけは心に「効いてる」感じがした。

 何故だろう?そんな風に思っていたところ、雑誌『VOGUE』に彼女の最新のロングインタヴューが出ていたので早速に読んだ。一読して上の疑問がすぐに氷塊したわけではなかったが、彼女が長く精神的な試練と向き合って、闘って、それを音楽にしてきた人だということは分かった。そしてネット上にある様々な発言や他のインタヴューも続けて読んでみた。

一時期は、何を目にしても母が見えてしまい、息子の笑顔を見ても悲しくなる時がありました。」(アルバム『Fantôme 』発売時のインタヴューより)

〈諸行無常〉という分かり易い仏教の言葉があるけれど、それを理解して受け入れるのは、そんなに簡単なことじゃない 」(アルバム『初恋』発表時のインタヴューより)

 『道』、『花束を君に』、『真夏の通り雨』などなど、死別による喪失の悲嘆とそこからの回復=軌跡を意図せずともこんなにも表現し成功しているポップミュージックは稀有なのではないだろうか。

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 ↓はアニメ『ペンギンハイウェイ』の挿入歌となった彼女の曲。映画はこのブログの題名とちょっと似ているので興味があって昨夜Netflixを検索したらあったので見た。曲はアルバム『初恋』にも収録の『Good Night』。悲しみは癒えなくともそのままに「在る」といういうことで良いと、彼女のうたの、それら幾つかを聞いて勝手に思ったがこれもその1曲。

https://youtu.be/ao5bWFNSjOg

そして『大空で抱きしめて』

https://youtu.be/RjaEkagXVro

 またその他の、様々な曲を聞くにつけ彼女は日本語という言語をアートの素材として表現するアメリカの音楽家、という印象も持った。変わった感想だろうか。YouTubeに彼女の英語は完璧!のような動画があるが、あのねぇ、彼女のバックグラウンドからすればそりゃ当たり前だろう。

 子供の頃からビートルズやディランなどの海外のロックを聴いて育ったが、いつも彼らの歌を英語で聞いて直接理解出来たらと痛恨の思いでいた。なので海外の多くの彼女のファンが今そんな思いでいるのかと想像すると少し優越感を覚える。そして、そんなさもしい根性を笑うように記事の中に見つけたのは彼女の「第一言語は音楽」というキラーフレーズ。 

 ああ、宇多田ヒカルってカッコいいなあ。

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CD釣り~鱒のムニエルとFishermans' Blues

 妻に先立たれ、息子、娘と3人で暮らしている。どちらかがいる時はそうでもないが、一人でいる時、特に休日の喪失感は強烈だ。それは動悸、呼吸困難などが起き体調を崩すほど。心配になって肺、心臓などの精密検査を受けたが異常はなかった。やはり自律神経失調症というやつか。そのことを言うと、何人かの人に「何かやれ」とアドヴァイスされた。言われたいくつかを紹介すると、ヨガ、畑、ゴルフ、釣りなどなど。

 で、一番、食指を動かされているのが釣りである。川にするか海にするか迷ってしまうが、そんな矢先、息子が友人と釣りに行き鱒を釣ってきた。

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 それでここ数日、鱒のムニエルの作り方の動画を見て過ごしていた。

 https://youtu.be/SZ7OtMCiUo0

 見ると動画の通りじゃなくても大筋がわかれば多少アレンジしても大過ないと思われ、やってみるとやはりその通り。おかげでいつも口の中がバターっぽい。 

 鱒のムニエルが美味しく焼けるようになった一方で、数日このアルバムにハマっていた。イギリスのバンドウォーター・ボーイズの『Fishermans' Blues』。「釣り文学」ならぬ「釣り音楽?」なるものがもしあるとするなら、これは最高な一作だろう(双璧は高田渡〚Fhis on Sunday〛)。

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 以前から表題曲だけは知っていて、それだけでアルバム全体の良さも予想出来、いつか全体を通して聞いてみたいと思っていた。久しぶりにYouTbeで検索すると今は収録曲がいっぱい出てきて、拾い聞き(という日本語はあるか?)していたらすっかり好きになった。それでPCやスマホで聞けるにもかかわらずCDが(本当はLPで聞きたいがプレーヤーがない)欲しくなってしまい、昨日は「CD釣り」に中古屋巡りをした。

 バンドはオリジナルの13曲以外にもこのアルバムのために膨大な録音をしていて、それは後にリマスター版、さらには5枚組BOXセットとして発表されている。結局、手に入れたのはオリジナル版のCD。新宿のディスクユニオンに行ったら渋谷店にならあると教えられ、移動しゲット。280円也。手に入れ方がアナログに過ぎたか、まあ、これも一種の釣りのようなものだから。

 ネット動画で見るとアウトテイクとされた曲の中にも素晴らしいい演奏、名曲がいっぱいあって、ゆくゆくはリマスター版、BOXセットも手に入れたいと思った。段々と大物を狙いたくなるものか。

 アルバムはアイリッシュトラッド的な楽器が使用しているものの楽曲はロックだと思っていたが、アウトテイクはもっともっとアイリッシュトラッド寄り。↓はオリジナルには収録されていない。素晴らしい。

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アメリカの古いフォークソングを聞いている。

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遅ればせながらあけましておめでとうございます。

 数年ぶりにアメリカの古いフォークソングに興味が沸いてこの年末年始はそうした音楽ばかり聴いていた。特に聞いたのはピート・シーガー。たまたま行った某大型古書店のCDコーナーに彼の『Family Concert』なるアルバムがあってそれを買って聞いたら凄く良かったということもある。歌そのものの良さはもちろんだが、自分が感じ入ったのは聴衆と一緒に声を合わせて歌うという、いわゆるあれ。

 誰でも子供の頃、キャンプファイヤーなどにギターを持ったお兄さんが現れ、歌詞の数行を先に教えられながら皆で歌ったという記憶が少なからずあると思うのだが、当時、自分はそれをダサいと思っていた。何でだろう?それなのに今は、人の声っていいなあ、と聞き惚れてしまう。

 その後、ピート・シーガーについては80年代に出た『Song along』という2枚組と古いアルバム3枚を一組にしたような企画ものも買った。どれも解説や歌詞の対訳が無いが調べると英語詞はほとんどネット上にあって、それを翻訳機で見て(だいたい変な訳だが)、歌の内容を知る、想像する、ということをやっていた。古いフォークソングはメロディは同じでも歌詞の数行、時には丸ごと詩は書き替えられるので、CDで歌われているものとネットで見つけた詞が違う場合も多々あってそういうのも興味深かった。

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 そしてピート・シーガー以外に手に入れたのはランブリング・ジャック・エリオット。ウディ・ガスリーの弟分で、ボブ・ディランの兄貴分のような人とか。中古屋で買い物したら300円分の割引券をくれたので「割引というのじゃなく、これで300円分のCDを買うこともできるの?」と聞くと「あの段ボールが100円とか200円のコーナーですよ」と教えてくれたのでその中を家探しして見つけたもの。

 1曲目がウディ・ガスリーの『1913年の大虐殺』で、ボブ・ディランのデビューアルバムに収められている『ウディに捧げる歌』がこの曲のメロディで歌われたものということを初めて知った。そうか、あれはフォークソングというものの成り立ち、その伝統を含めてのリスペクトを表したものだったんだなと今頃になって理解する。かくして知ってるつもりで知らないことがいっぱいあるなあ、と思い知った年明け。今年も宜しく。

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ピートシーガーの『Cristo Ya Nacio』

 "私たちは彼らのバナナを食べたり、彼らのコーヒーを飲んでいます。そろそろ彼らの歌を学んでも良い頃です。アメリカがバイリンガルになれば、これはお気に入りのクリスマスキャロルになるかもしれません。"と、ピート・シガーが解説で紹介しているのはニカラグアの『Cristo Ya Nacio』という歌。この日曜日、自分はまたピートシガーのライブ盤を中古屋CD屋で見つけ聞いていたのだが、この曲を聞いた時「あれ??あれ??」とい気持ちに。「この歌、何処かで聞いたことがある!」

その後、さんざん考えたのだがどうしても分からない。それでしばらくネットで色々調べていたら・・・やっと分かった。それは中学生の頃聞いた『ニューヨーク漂流24時間コンサート』というレコード。1981年に小室等と吉田拓郎と井上陽水がラジオの企画で24時間ニューヨークをぶらぶらしながら色んなところで歌い、それを録音するというちょっと変わったレコードでのこと。中である政治集会でピートシガーが歌っているところに遭遇し、その録音も収められていて、その時ピートが歌っているのがこの曲だった。聞いたのは多分40年ぶりくらい。

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 ピートが聴衆をリードして繰り返し歌われるフレーズは"キリストはもう生まれたよ、パラカギーナの町に マリアは慎ましくアイロンをかけている 地主のきれいな(Lazy=怠惰、とピートは言っている)奥さんが着飾るための服に"のような内容。歌いながらピートも説明しているが、この歌のイエス誕生の物語は一般に知られているのとは少し違うようで、誕生を知って真っ先に集まって来るのは貧しい農民たちだ。ホアキンという農夫がチーズや南米ならではお菓子、揚げドーナッツなどを持って来る。Yutube を見たら先日買ったアルバムがFullでアップされているので、リンクしておく。

https://www.youtube.com/watch?v=iNNbpX9VsUw&list=OLAK5uy_na1RmQg_xStOhku1Y5SboGRmir4x4k-xk

歌の内容や由来を聴衆に教える19曲目.Tach song と本編の20曲目がそれで(途中、CMが入っても我慢を)、最後にちょっと驚くオチがある。お時間のある時ぜひ続けて聞いてみて下さい。メリークリスマス。

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ミーワムーラの3枚。

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再録 【ミーワムーラの3枚。】|The Basement Texts|note

 

 

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辻堂「MONK」でミーワムーラを見た!

 

   
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再録【辻堂MONKでミーワ―ムーラを見た!】2019.9.28|The Basement Texts|note  

 

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ポール・サイモンの『オヴィアス・チャイルド』

 ポール・サイモンの『ザ・コンサート・イン・ハイド・パーク』を聞いている。夏にネットでこの記事を見かけてから、何度ここに貼られた動画を見ただろうか。http://www.sonymusic.co.jp/artist/PaulSimon/info/484392

 2012年に行われたライブのDVDが今年発売された理由は映像を見てすぐに分かった。多様性に溢れたパフォーマンスと音楽、そして観客。異なる民族文化を持つ人々と一時的に共演することはあっても、それを自らの楽曲に本格的に取り入れ、なおかつヒットさせスタンダードにした人なんてポール・サイモン以外にいないのではないか。

 

 時折、映される観客たちの表情がどれも感動的。「オヴィアス・チャイルド」の間奏のリズム隊のブレイクとその後に続く歓声は可視化された「グレイスランド(グレイスに溢れた土地)」だと思った。

 「楽隊の音は、あんなに楽しそうに、力づよく鳴っている。あれを聞いていると、生きて行きたいと思うわ!」 (友人のFBで紹介されていた今日の毎日新聞・高橋源一郎の人生相談からチェーホフ『三人姉妹』より) 

・・・・・・と、これを今アップした直後、Yahooに戻り、 ラスベガスのコンサート会場での銃乱射事件のニュースを見て衝撃を受ける。平和なコンサート風景が昔懐かしいもの・・のような世界にならないことを切に祈ります。R.I.P

・・・・さらに、トム・ペテイ死去のニュースも。2017年の10月2日はぼくら音楽好きにとって何という日だろう!

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カントリーな夏でした

 今日、9月3日は二十四節季では処暑にあたり、暦を見ると、暑さが和らぐ頃、とある。異常気象と言われる昨今でもこの周期はいつもピッタリ当たっていて季節の変わり目が来るたびに驚く。ここのところようやく涼しくなってきて、早速、今年の夏の事を色々と思い出しているところ。

 今年は7月の暑い盛りに一週間ほど長野の霧ヶ峰に行って仕事をしたが、その前に知人の引っ越しを手伝い、思いがけず頂いたお金でカントリーのCDを買った。ウォークマンに入れて高原でカントリーを聞いて過ごすのは良いアイディアのような気がしたから。

 R&Rが黒人のブルースと白人のカントリー&ウェスタンとのクレオールミュージックと理解して、昔からブルースは良く聞いたが、何故かカントリーは聞かなかった。で、これを機に聞いてみようと思い、買ったのは輸入盤でジョニ―・キャッシュの3枚組のベストとハンク・ウィリアムスの4枚組。

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その後、ジョニー・キャッシュのフォルサム刑務所でのライブ盤も買った。そしてフェイスブックにその事を少し書いたら、ジョニー・キャッシュが「刑事コロンボ」に出た時、ハンク・ウィリアムスの「I saw the light」を歌ったことや、去年、ハンク・ウィリアムスの伝記映画が公開されていた事などを教えてくれる友人がいてそれも見た。いわきに帰省した際は中古CDも扱う友人の店で有名どころによるハンク・ウィリアムスのトリヴュートアルバムを紹介され、それも購入。どれも良くて、今までを不覚に思うやら、まだ未知の分野がこれだけある事を喜ぶやらだった。

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 最初に買った二つが歌詞対訳の無い輸入盤だったので、聞いているうちに、どんな事が歌われているのだろう?と気になった。特にハンク・ウィリアムス。ディランは「ハンクのルールに従って」ソングライティングをしていると発言しているし、レナード・コーエンは「歌の塔」という曲で、「その最上階にはハンク・ウィリアムスいる」と歌っている。ネット上で数曲、対訳している人がいて最近それをなんとなく眺めたりしているが、英語で直接理解できればなあ、とため息が出てしまう。

 http://jtkanehira.com/hank.html

 それとジョニー・キャッシュ。『AT FOLSOM PRISON』のライブ盤には歌詞対訳が付いていて、囚人たちを前にして歌われたその歌にいちいちに驚く。特に「FOLSOM PRISON BLUES」の“俺はリノで男を撃った 彼が死ぬのを見るためだけに”と言う一行はブルース・スプリングスティーンの「ネブラスカ」の“理由のない卑劣な行為というものがあるのだよ”という歌詞に響いていると思った。対訳はスプリングスティーンの翻訳も手掛ける三浦久氏。この秋にお会いできる(はずな)ので、その辺の事を話し出来たらと思う。

 ネットにはハンク・ウィリアムスの歌詞対訳だけでなく、コード譜もあって、最近、?十年ぶりにギターをひっぱり出してきて練習しているのは「Cold cold heart」。指の皮が段々厚くなってきた。

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