“だめんず”と少女の純真~『桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)』

Photo_3  40になろうかという男と14才の少女との心中を描いた文楽「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」を、昨日、府中芸術の森ふるさとホールで見てきた。

 http://www.lares.dti.ne.jp/bunraku/guidance/top_katura.html 

 だいたいこうした話は「曽根崎心中」を例に出すまでもなく、江戸の昔、実際に起きた事件を脚色したものが多い。が、これの場合は心中に見せかけて殺された年の差のある男女の遺体が京の桂川で見つかったのをネタにしたもの。だから最初書いたような設定も、当時囁かれたであろう噂の類を膨らませたもので別に事実ではない(と思う)。

 ただこの“年の差”については、最近この狂言が上演される際の音声ガイドなどでは「最近では珍しくありませんが・・・」のように解説されることが多いらしい。昨今じゃ、昔ほどセンセーショナルな話でもないというわけか。ま、14才、というのは明らかに犯罪だけどな。

 しかし、こうした「世話物」の男と言うのはどうしてこうもダメなやつが多いのか。しかもこの「桂川」の長右衛門はそのダメ男の最たるもの、もう見ているだけで腹が立ってくるような“だめんず”の代表選手のような奴。

逃れてきて偶然同衾することになったお半とは契ってしまって孕ませ、偉い殿様から預かっていた大事な刀は紛失、商売の大金も人助けとは言え、場に流されて使ってしまい、その上、亭主の窮地をなんとか知恵を働かせて救おうと、育ての親にあれこれ言い立ててくれている女房には、親に文句を言っちゃいけない、などと人の道なぞ説く始末。挙句の果てにお半に心中を持ちかけられると、以前、やはり芸妓と心中しようとして自分だけ生き残った過去を告白し、お半をあの時の女の生まれ変わりか・・・などと思いに耽るなぞして、よくもまあここまで色々やってくれるワイと、呆れながら笑うしかないような奴だ。また、他の登場人物たちも揃いも揃ってろくでもない人間ばかりで、舞台の上は欲や見栄や妬みや嫉みがひしめく人間の愚かさ醜さの標本のような状態。で、中で唯一、お半の純真だけが眩しい・・・・ような、そんな話。お半ちゃん、あんたの気持ちに見合うような男じゃないけどな、長右衛門って。

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 何故、これが名作なのか。話の筋立てだけなら上にあげた実際の事件の際に散々囁かれたであろうゴシップネタに世話物のステレオタイプをおっかぶせたような印象で、「B級」、もっと悪く言えば駄作、と思った。

 だが、文楽の人形は人間の形はしているが、あれは人間じゃなく「人魂」のようなもの。感情のかたちが大きくて多いほど舞台はダイナミックになって、物語を離れても目を見張るようになる。実際、上で言った醜さ愚かさも、チャリ(笑い)の場面ではドッカン、ドッカン、大うけで、さらに最後の道行きの舞踊では、二つの霊魂が飛び交っているのを呆然と眺めているような気分だった。だから見終わって会場から出たときは、散々、くさしながらもたっぷり文楽を見たという満足感にひたされていた。何故だ。妙な気持ちだった。「桂川」ってこういう演目なのか?

 昨日、会場では東日本大震災への寄付の呼びかけを、人形を使ってやっていて、あの文楽の人形に一度触れていたみたいとのかねてから念願が、思いがけず果たされた。夜の部の「二人禿(ににんかむろ)」の一体とか(中央写真)。

 お嬢さんは変な中年男に騙されてはいけないよ。

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社会人のための文楽鑑賞教室~『曽根崎心中』

 もし、三月の震災・原発事故が無かったら、私にとって今年は“文楽イヤー”になっていた筈だ。その位、二月に見たそれは衝撃の体験だった。国宝吉田蓑助の“道行初音旅”に私は完全に“もっていかれちまった”のである。

 http://penguin-pete.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-672d.html

 その時に一緒に見た人達と昨夜また国立劇場に行った。見たのは「社会人のための文楽鑑賞教室」及び「曽根崎心中」。二月の時、職場で皆で調べるうち毎年十二月にこうした企画があると知り、その時から行こうと言っていて、それが実現した次第。

Sonezakiomote  

 講座は義太夫の語りと三味線、それと人形のそれぞれの説明。

 トークが面白く、分かり易かった。三味線の音色、ピッチなどが登場する女形の人形のキャラに合わせて変るというのを実践で見せてくれた。AKBバージョン(溌剌とした娘)と鈴木京香(艶やかで色っぽい大人の女性)バージョンと。なるほどなあ。

 それで人形。文楽の人形は三人で操る。首(かしら)+右腕で一人、左腕で一人、脚で一人。どれも難しそうだが、何気に一番難しそうに見えたのが左腕。これは首(かしら)+右腕の人が出す微かなサインによってそれに併せているとのこと。確かにタイミングがちょっとずれると動きが不自然になる。それで疑問に思ったのは、初めてやらせてもらえるのはどのパートなのだろう、ということ。足か?左腕か?

 で、演目の『曽根崎心中』だが、これは歌舞伎でも映画でも見たが、元は浄瑠璃・文楽から移したもの。去年、何に移されていても、文楽のために書かれたものは文楽で見るのがやはり一番では?との思いを強くしたので、これも見るのが楽しみだった。特に「天満屋の段」で徳兵衛がお初の脚に取りすがり、2人が心中の決意を伝え合う場面。文楽の女形の人形には脚が無い。どうやるのだろう?と興味があった。

 そして、最後の「天神森の段」。見ていて語りに“南無阿弥陀仏”の詠唱があるのに気がついた。近松の戯曲はどれもがきっと重奏低音のようにこの浄土思想を基礎にしたものだろう。愛は地獄だとする俯瞰した目が近松にはあり、昨夜は強くそれを感じた。

 それにしても文楽の人形以上に日本女性の美を具現化したものがこの世にあるだろうか?と、この思いもまた煩悩=地獄か。

 だが、まだまだそこに留まっていたい。

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初めての文楽~義経千本桜

Photo_3  初めての文楽。昨夜見たのは第三部の『義経千本桜』。

 見ている間中、ずっと自分が笑顔なのが分かったが、その笑顔をなかなか地顔に戻せなかった(笑)。

 良かったとか感動したとか言うよりビックリしたという方が昨夜の気持ちを表すのに正しい。そう、ほんと、ビックリ!

 『義経千本桜』の中でも見たのは「渡海屋・大物浦の段」と「道行初音旅」で、これは去年の十月『歌舞伎座さよなら公演』でも見た。

 歌舞伎を見るようになって知ったことの一つに、歌舞伎の代表的な演目の多くが浄瑠璃から移したものだという事があるが、昨夜の文楽鑑賞は今後も歌舞伎を見ていく上での一つのお勉強的な意味合いが当初、自分の中にはあった。知見の演目で、その違いを比べてみてどうとかこうとうか・・・。

 だが、幕が開いた途端、私は思考停止状態になってしまった。魅了される、というのは正に昨夜のような事で、私は相好を崩したまま、じーと、舞台の人形を見つめることしかできなかった。まるで森で不思議な生き物に遭遇した時のちびっ子のような状態。

 そして微かに甦ってきたのは子供の頃、夢中で見ていたNHKの人形劇の『八犬伝』の記憶。全く未知の文楽の世界ではあるが、それを鑑賞する原初的な素地が自分の奥深くにすでにセットされていることに気がついた 。あの番組は子供向けのものとは言え、義太夫的な語りと言い、演出といい、本当に質の高いものだったんだと、突如、思い至ったりした次第。

 さて、そんな状態ではあったが、なんとか拙い感想を記させて貰うと、歌舞伎の場合での芝居=物語の「渡海屋」よりも、舞踊の「道行初音旅」の方が文楽を見る喜びが大きかった気がする。そうか、人形じゃなきゃ無理な世界もあるんだよな、やはり。また、初めて見たくせに言うのもなんだが、人形遣いによって様々に違いが出る世界なんだろうということが容易に想像出来た。ちなみに昨日の静御前は吉田蓑助。国宝。

 で、今、私の頭の中でヘビロテ状態なのが、「道行初音旅」での静御前の“手”の動き。

 オペラグラスで覗く中で、私はその女性的な特徴を如実に示しているのは手の表情であるような気がした。忠信の人形と静の人形のそれは形自体にも違いがあって、そういう見方で言えば忠信の方は逆に男性的。別にそんな事を考えながら見ていた訳ではなくて、ただ手の先まで神経が行き届いているかのような人形を呆れるように見ていただけなのだが、一日たった今も脳裏には何故か静の、そのヒラヒラとした手の動きが焼きついている。

              ☆

 文楽や歌舞伎と言うと、世間一般には、高い、難しい、という印象が未だに根強いが、私のように初めて見る方にお教えしておくと、文楽の場合、例の義太夫のセリフは舞台両脇の電光掲示板にちゃんと字幕が出るから大丈夫です。多分、慣れればナシでもいけるようになれると思うし、もっと言えば、分かる、分からないということよりその雰囲気を「体感」する事の方が大事だと思う。歌舞伎の場合もイヤホン・ガイドを借りたのは最初の時のみで、後はずっとナシで見ているし。

 そして、お値段。高い、と言うけれど席にはいろいろランクがあるので、そう思うなら迷わず安い席で見れば良いと思う。経験的に言って安い席だから楽しめないということは全然ない。

 それに世間の他の興行のそれと比べて、この値段は本当に高いのだろうか?。例えばロックの、あからさまに金稼ぎに来たノスタルジーだけの往年の歌手や再結成したバンドをドームで豆粒のように見る値段を出せば、こちらはとんでもなく良い席でとんでもなく凄いものが見れる。まあ、人それぞれの価値観の違いと言えばそれまでだが。

              ☆  

 昨夜は感激して、本当に子供のようになってしまって、もし、生まれ変わったら今度は文楽の人形遣いになりたい、などと口走ってしまった。だって、どうやるのだろう?具体的に考えても興味が尽きない。子供向けの文楽教室のような企画をたまにどこかで見かけるが、大人向けにはないのだろうか?チョッとでも触って、動かしてみたいぞ、あの人形。

 そして、勿論、また見たい。と言うか昨夜もずーーと見ていたかった。見れば見ただけ寿命が延びるような、そんな気がした(短命な家系なもので)。

 また一つ道楽が増えた。 

 興味のある方、国立劇場で今月21日までやっています。

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