『1Q84』再読

 朝、昨日に続き涼しいが台風が来ているとの予報あり。明日からの3連休はあまり天気が良くないとか。

 昨夜の夕刊に目を通すとある社会学者が昨今のカルト2世の問題について書かれている小説として村上春樹の『1Q84』を挙げていた。なるほど。発売当時は物凄いベストセラーで、その空気の中で読んだので内容をあまり覚えていないが、確かにカルト宗教2世の女性(青豆)とNHK料金の集金人の息子として育った男性(天吾)の二人が主人公の物語だった。今はあんな事件があっての元統一教会の問題があるし、N党というのもあるので意外とあの小説は今読むのにタイムリーな気がする。

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 仕事は昨日に引き続き"潮干狩り"。小さく砕けた古代の土器片がいっぱい出てくる。だいぶ涼しくなったが日中は晴れるとやはり日差しがキツイ。日よけとして現場内にテントを張った。

 帰宅すると今日も仕事休みの息子はいなく、シャワー後にすぐビールを飲む。ビールと枝豆。それでネトフリのドラマ『シスターズ』を見ていたら息子が帰ってきて、聞くとどうやらジョギングに出かけていてらしい。夕食は?と聞くと友人と遅い昼食に焼き肉を食べに行って、あまり腹が減っていないからいらないと言う。なので自分用にパスタを茹で、"和えるだけのパスタシリーズ~キノコと野沢菜"というのがあったのでそれで食べた。

 夜、朝読んだ新聞にあった例の『1Q84』を久しぶりに手に取った。数ページだけ読むつもりが何だかんだで最初の章を全部読んでしまう。もう一回読んでみるか、と思う。小説冒頭で効果的に使われているヤナーチェクの『シンフォニエッタ』をYouTubeで聞く。何だかサスペンスドラマのオープニングナンバーみたい。



 12時頃、就寝。

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ティク・ナット・ハンの「空(くう)」

 みうらじゅんがジョン・レノンの『イマジン』の元ネタは般若心経だ、のようなことを書いているのをどこかで見かけたことがある。あながち変な話でもないと思う。ジョンが般若心経の刺繡の入ったジャンパーを着ている写真を見たことがある。

 初めて写経をしたのは東日本大震災の頃で、こんな自分でも連日メディアに取り上げられる悲劇を前にして何か思うところがあったのだろう、100円ショップで上からなぞればいいだけのセットを買ってきて筆ペンで写したのが最初。ただ意味が分からないので、故・瀬戸内寂聴氏が解説したお経の名がそのまま著書名になっている本をその時に読んだ。

 読むと、あれもない、これもない、と、ないないづくしの経で、ありがたいお経だと言われつつも内容自体、何故この教えがそんなにすごいのかしらん、と正直、分からなかった。ただ意味が分からなくとも写経自体、それだけで供養や功徳になるのだのようなことも書いてあって、それで結構長く続けたのだが。。。。いつしかフェイドアウトしてしまった。

 今、自分は毎週火曜日に写経している。去年、妻が病を得たのを機に回復祈願のつもりで、そして今はその習慣の続きとして永眠した彼女への菩提供養という意味でやっている。2011年の頃の見知らぬ他人へ向けてやるのと、今身内に向けてやるのとではまるで違う行為のようで、その切実さの違いに、自分の浅はかさや身勝手さを思い知るようで慄いてしまうのだが、再開するにあたって、せめて経の内容をより良く知ろうと去年、手にしたのが↓の本。

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 この本が無数の「般若心経」の解説本と大きく違うのは「空(くう)」ということばの解釈だ(と思う)。色即是空 空即是色 の「空(くう)」。多くの解説書ではそれを無、のように説明するが、そのように説く経が何故、仏教最高の智慧の一つと言われるのかが自分には以前から良く分からなかった。空=無のように言われると虚無感のみが広がって慈悲心など生まれようもない気がしてしまう。

 本書ではそれをInterbeing=相互存在のように説く。ここで詳しくは書かないが、一枚の紙の中に雲が、雨が、労働がある、との説明は、詩のことばのように聞こえるが、著者は時にそれを物理学や宇宙学の知識やことば等も用いて説明もしていて、つかみどころのないと思われているこの経典が実用書的にグッと身体に引き寄せられるような、読んでいてそんな気持ちになった。

 著者についてはあえて書かない。どうか調べて欲しい。今は「マインドフルネス」の創始者のような紹介のされ方をされることが多いようだが。

  ティク・ナット・ハンの生涯 | Plum Village

 話は変わるが、さっきジョン・レノンの名前が出たので、もう一人のビートルズ、ジョージ・ハリソンについても書くと、彼に『All things must pass』という歌があって、以前、その曲名が『万物流転』と訳されているのを見たことがある(確か昔の日本版のシングル盤のジャケットかなにか)。

 
 だが自分はこれを「諸行無常」と訳したい。「諸行無常」も仏教のことばだけど『平家物語』の冒頭の一節のせいか、何か虚しさを誘うような響きはないだろうか。だが自分はこのことばもジョージの曲のようなポジティブさでもってとらえ直したいと思うのだ。

     で、何が言いたいかというと、自分は「空(くう)」を上述のように解釈したティク・ナット・ハンのこの本を、この歌のような気持ちで読んだということ。

 読後感は悪くない。興味のある方は是非。

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『道具道』読みました。

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 遅ればせながらの初Kindle本(電子書籍)体験は絵本作家・長谷川集平さんと奥様クン・チャンの「道具道」。愛用の道具についてのお二人のエッセイです。盆の連休中に購入し、少しずつ読みました。軽妙な文と気軽なおしゃべりのようでいて、読後はじんわりと深いです。ぼくも自分と自分の周囲の道具(物)との関係を見つめ直したくなりました。文章で描写され、はて、どんなだろう?と思ったところに素敵な写真がパッときて、おお!と思う楽しさもありました(線香筒のヘアピン、石に閉じ込められた猫!)。

 スマホを持たされたのに携帯する習慣がついに身につかない僕はこれをPCで読んでいます。これもぼくなりの道具道と言っていいのでしょうか。書籍で読みたいという気もします。出版社さん、是非。皆さんも是非。

https://www.amazon.co.jp/dp/B07VWDXD6K/ref=sr_1_1?qid=1564544532&s=digital-text&sr=1-1&text=%92%B7%92J%90%EC+%8FW%95%BD

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『幻の女』(新訳)を読んだ。

「現実とはああいうものじゃないか?」妻殺しの裁判で死刑を言い渡された容疑者のお粗末な陳述を聞いていて、担当刑事ははたと気づく。彼は嘘を言っていない、と。

 飛行機の中で読もうと空港で買ったが結局読まなかったウィリアム・アイリッシュの『幻の女』(新訳・ハヤカワ文庫)をこの休みに読んだ。世界中のミステリーファンの間で行われるオールタイムベスト投票では常に1位から上位、作品は1942年発表(あの大戦中にこんな傑作が書かれ、読まれていた。)というから、これはもう古典中の古典だ。帯にはあの、江戸川乱歩が「世界十傑」と評した推理小説、とある。納得。

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 四月に少し早めに大きな旅行をしてしまったので、このゴールデンウィークは家にいて昼間は読書三昧(そして、いつの間にか寝落ち)夜は映画という日々。映画は夫婦割りが使えて安いのだが、そう毎回は妻も付き合ってくれず、特に証明も求められないので偽の妻を現地で調達しようか・・・などと悪巧みすると、この小説中の刑事バージェイズのこんなセリフにたしなめられる「顔を覚えるのが苦手な人間は、見知らぬ女を劇場に連れて行ったりしてはいけない。」と。そう怖いのだった、それはそれは。

 読んだのは新訳だが、旧訳の冒頭の一行は翻訳の世界では大変な名訳とされているものだそうで、それだけはそのまま踏襲する、と新訳者の断りがあとがきにあった。それは、こんな文章。

 The night was young,and so was he.But the night was sweet,and he was sour.
 
 「夜は若く、彼も若かったが、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。」

 お休み中、特に予定のない方にお勧め。予定のある方は引き続き良い休日を。

読後の気分は苦くない。

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好きな詩集 「エルヴィスが死んだ日の夜」。

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 80年代は文化・経済の状況がアメリカの50年に似ていたためかビートジェネレーションの翻訳が多数出版されたが、結局、自分はあの時代の子供なのだと思う。

 敬愛する詩人は故・諏訪優さんと中上哲夫さんだが、知っての通り諏訪さんはギンズバーグの翻訳家で、中上さんは主に80年代以降に出版されたケルアックの本の翻訳家だ(偶然、大学の先輩ということもある)。ある時、Book offの音楽関係の棚に題名が誤解されてそこに置かれたと思われる中上氏の詩集『エルヴィスが死んだ日の夜』を見つけ、立ち読みし動けなくなった。何故ならまるで自分のことが書いてある様だったから。  

 ビートジェネレーションというと黒ずくめの服装にサングラスでワインを燻らしながらジャズやロックをバックに詩を朗読する・・みたいにだけ思っている人がいるが、何よりもギンズバーグは害虫駆除の仕事をしていたのだし、ケルアックは鉄道関係の仕事をしていた。つまり日本でビート的に生きようとするならば土方(この言葉も今は自主規制の対象らしいので肉体労働者)になる他なく、事実そうしながら彼らは詩や小説を書いたのだ。そして中上氏の詩集『エルヴィスが死んだ日の夜』も、全く日々自分が目にするそうした風景が詠われている。例えば『生涯で最悪の日』という詩。
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産業革命のときのイギリスの少年のような
実働十二時間の
寒風の中の立ち仕事
こんな日の夜
(A Hard Days Night)
ひとはいったいどのように振舞うのだろうか
うたた寝しながら郊外の
わが家にたどりついたわたしは
どんぶり飯をかっこむと
この詩を書いて
熱いシャワーも浴びずに
ベッドにもぐりこんだのだった

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 他にも『二十世紀最後の夏はこんな仕事をした』や『現場監督見習いをしたことがある』などの詩。どちらもリアル。

 表題『エルヴィスが死んだ日の夜』の過ごし方は読むと自分がチャック・ベリーが死んだ日の過ごし方と同じで、それで余計にこの詩集に親近感が沸くのかもしれない。

 そう言えばあの日見た映画でエルヴィスの歌は重要なモチーフになっていたっけ。好きなLPを紹介するように好きな詩集を挙げろと言うなら、僕は諏訪優の『太宰治の墓 その他の詩篇』と中上哲夫の『エルヴィスが死んだ日の夜』を挙げるだろう。路上派と(というものがあるらしい)言われる二人。

 美は路上にあり、ということか。 

 この詩評が素晴らしい。
http://www.interq.or.jp/sun/raintree/rain28/elvis.html

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「母をお願い」を読んだ。

 世界30カ国以上で翻訳されたという韓国の大ベストセラー小説「母をお願いー엄마를 부탁해(オンマルプタケ)、英題 Please Look After Mom 」申京淑著ーを読んだ。息子を訪ねる途中のソウル駅で行方不明になった母を探す家族の物語。第一章は作者自身を投影したと思われる長女の、第二章がこの母が誰よりも宝物のように育てたという長男の、第三章は決して褒められた亭主ではなかった父の・・・というように、各章ごと様々に視点が入れ替わり母への追想が語られる中、遂には誰も知らなかった母の秘密やもう一つの人生が明らかになっていく。

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 ドラマチックな構成もさることながら、貧しさゆえ字の読み書きもできず、ただただ自らが育てた野菜や家畜で子供たちを愛し抜き、そのため時には子供達からさえ鬱陶しいがられ、蔑みの眼ですら見られてしまうこともあったこの母の描写と、子供たちの後悔を含む小さなエピソードのそれぞれにすっかり泣かされた。圧巻の最終章では誰もが母と再会する(この小説の、と言うのではなく)仕掛けにも驚いた。

 作者申京淑は去年、三島由紀夫の「憂国」を盗作したとの問題で大騒ぎになったが、事の真偽はさておき、自分はこの作家の代表作「離れ部屋」を読んで以来のファン。騒動の顛末として、本国で文学賞の審査委員辞退、作家活動自粛ということになってしまったが、僕はもっと彼女の小説を読みたい。

 読書の秋、また韓国の小説ってどんなだろ?という興味からでも是非。母親との関係に悩む人、もう故人の人、どちらにもお勧めです。自分もこれを読んで、この彼岸、亡き母に再会した。

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「カクテル」を読んだ。

Photo_3  主演のトム・クルーズが出演したしたことを悔やむ程に酷い映画だった「カクテル」。でもその原作は世紀の傑作と言われる代物であることをあなたはご存知だろうか?

 大昔、村上龍のエッセイで激賞されていたのを読んで以来、頭の片隅にずっとあり、書店・古書店に行く度になんとなく気にしていながらも見つけることができなかった小説。で、先日、ずっとあきらめていたのをYouTubeでビーチボーイズの「Kokomo」を見て思い出し、Amazonで探したらとあっさりとあった。そう、この「カクテル」は今、原書も翻訳も絶版という、増々レンジェンド度を高めている読み物なのだ。最低なもの(映画の方)が世に残り、最高なもの(小説の方)が消えていく・・・これも世の常なのかと憂いつつも、この休日はこれを読み耽っていた。圧倒された。

600ページ越えのピカレスク(悪漢)もの。そして、これ、作者ヘイウッド・グールドもさることながら、芝山幹郎氏の翻訳が凄い。原作のパワフルな言語遊戯のバーを軽々と(無論、軽々の筈はないですが)越えていき、読む者を泣かせ、笑わせ、酔わせ、欲情させ・・・・そのものズバリの俗語、猥語満載であるのにも関わらず作品全体に品格すらも備えさせると言う離れ業。酒をここまで美しく書いた本はない、とAmazonのカスタマーズレヴューにあるが、御意。村上龍はエッセイで「かのヘンリー・ミラーをしのぐ文体・・・」と言い、あとがきで芝山氏はこれを文学とは言わず「高級娯楽小説」と定義しているが、いずれにせよ確かにヤバイものをキメタ時のような特権的な読後感で・・・クラクラする。

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 ネット上で本書を検索すると出てくるが、如何せんどれも画像がないので写真をアップしておく。↑の最初が原書で次が翻訳。どうせなら原書のようなデザインにして欲しかった。ネットでこっそりと、またお近くの古書店などで見かけたら迷わずゲットされたし。もし所持していることが見つかったり、読むのが止められなくなったりしても・・・病院に送られたり、逮捕されることは・・・・・・ありません。

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「ジョン・F・ケネディはなぜ死んだのか~語り得ないものとの闘い」を読んだ。

Photo_7  故遠藤周作はその著書「イエスの生涯」で、ユダヤ社会において初め救世主と目され、その後、期待外れ(あるいは裏切り者)だと蔑まれ、やがては十字架に架けられる無力で弱い人間としてイエスを描出して見せた。そして本書「ジョン・F・ケネディはなぜ死んだのか~語り得ないものとの闘い」(同時代社 ジェイムス・W・ダグラス著 寺地五一 寺地正子訳)の読後、私が想起したのはこのイエスの姿である。

 無論、著者は自分がカトリックの神学者だからとは言え、ケネディにイエスを重ね彼を神格化しようとしたのではないだろう。ただ、紛れもない“冷戦の戦士”だった彼がキューバ危機を契機に対話路線へと転向し、敵であるフルシチョフやカストロとさえ対話への門戸を開き(開こうとし)、そしてベトナムからの撤退を指向するに至って、裏切り者、あるいは(冷戦下における)文明の破壊者としてCIAと軍産共同体の共謀によって砲火を浴びる様は、その展開自体、多分に福音書的だ。本書が凡百あるケネディ本と一線を画するのは正にこの点に尽きる。

 もちろんこれは宗教書ではなく、長い年月をかけての資料分析からなるJFKの死の真相に迫ろうとした一書である。700ページからなる大著。その点、内容はスリリングだし、資料の読みも深い。特に主人公であるケネディと同量のページが割かれているオズワルドについての考察は一級のサスペンス以上に読ませる。そしてここでも個人的には、真相はどうあれ、この“ケネディが好きだった”というオズワルドは、あの「ユダ福音書」でのユダの役回りとして描かれているように思えてならない。

 JFK法が施行され、以前より多くの資料が明らかになってきているとは言え、本国アメリカではケネディ暗殺の真相について語るのは未だタブーの領域にあるらしい。しかし、特に1991年公開のオリバー・ストーンの映画「JFK」公開以降、ケネディ暗殺はオズワルドの単独犯行によるものではなく、CIAと軍産共同体による共謀であるという説は、多くの人にとって暗黙の了解になっている(と思う)。そして、本書はその「暗黙の」という点が未だに世界に平和がもたらされていない大きな理由だと言っている様でもある。

 原題にある“UNSPEAKABLE”とは言葉にできないほど邪悪で巨大な勢力を指す、著者が敬愛するカトリック作家トーマス・マートンの造語。この“UNSPEAKABLE”をあぶり出し、可視化すること。かつてあのマハトマ・ガンジーはそのサティア・グラハの実験の中で神学の言葉を逆転させ「真理が神である」と語ったという(P23より)。ケネディの死の真相を執拗に追及することの意味。それは政治的な問題である以上に、私たちの内側の問題なのかもしれない。

 本書は全部で六章から成るが、著者あとがきの後に JFKが1963年6月10日にアメリカン大学卒業式に行ったスピーチの全文が添えてある。当時、共産主義勢力からは驚きをもって迎えられ、逆に西側社会、特に本国アメリカでは黙殺され、彼の暗殺の引き金にもなったと言われるスピーチだが、これを読むともしかしたらあり得たかもしれない世界を思って切なくなる。と同時に、見渡すともはや夢物語でもあるかのような世界平和への思いが呼び覚まされるような気もする。あたかも上述した遠藤の著作の中でダメな弟子たちが十字架からのイエスの言葉を聞いて、ようやく彼の真意を悟り、その後、使徒となるように。

 やはりこれは現代アメリカ政治史の形を取った新しい福音書だと思う。

  http://www.amazon.co.jp/372/dp/4886837719

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村上龍の「半島を出よ」を読んだ。

51ble3jhgql_2村上龍著「半島を出よ」を読んだ。http://charm.at.webry.info/200905/article_10.html

 これほど巨大な破壊の場面をこんなに緻密な描写で読んだのは初めて。戦争でも自然災害でも原発事故でも、無関心な人に向かって「もっと想像力を働かせろ!」のように言う人が時々いるが、それらは人間の想像力をはるかに越えた事象なので、想像するなど不可能なのだ。

 唯一分からせるにはリアリズムに徹した緻密な描写による大きな物語が必要で、この小説はその一つだと思った。上下巻の大著。

 氏の代表作の一つ「コインロッカーベイビーズ」を含む自選小説集第3集の副題は確か"破壊による突破"だったが、読み終わって、この「半島に出よ」に描かれる破壊が何を突破したのかをずっと考えている。そして本当の危機に立ち向かえる人間とはどういう種類の人達なのかということも。

 村上龍のシステムに対する憎悪の深さに脱帽。発表されたのは2005年で、読書中、もっと早くに読んでおけばという気もしたが、読み終わって今で良かったと思い直した。何もかもが終わった後に静謐な二つの章が用意されるが、私たちは今その中を生きているのだから。17才の時に読んだ「コインロッカーベイビーズ」のキクとハシとアネモネをずっと忘れなかったように、自分はこれからこの「半島に出よ」のキム・ヒャンモクという女性を忘れないと思う。

 この「半島を出よ」は某大型古書店で上下巻合わせて200円で買った。単行本。単行本は場所を取るからという理由なのか文庫本より安い。今日、新品で持っていたくて文庫本版を手に取ったら、あとがき解説が島田雅彦で、文中、故網野善彦氏が紹介していたこの地図が取り上げられていた。この列島がまだ「日本」ではなかった頃、何が起きていたのか。そして本当はこれからどうするべきなのか。

 想像力が刺激される。

 

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「きのね」~天からの合図

Photo_9 ここ数年、正月は長い小説を読んで過ごすのが通例になってしまった。今年は宮尾登美子の「きのね」。名優と謳われた第十一代市川團十郎とその妻をモデルに書かれた小説。評判通り、面白さに昼夜問わずのめり込み、上下巻を一気に読んでしまった。

 第十一代市川團十郎と言うと、2年前に亡くなった十二代目の父で、当代海老蔵の祖父。で、主人公・光乃は当然、その母、祖母ということになる。女中の身から梨園の妻となり、生涯、陰で十一代目を支え続けた女性。小説的な誇張はあるものの書かれている出来事はほとんど事実だという。その上自分は中川右介著「歌舞伎 家と血と藝」(講談社現代新書)をそばに置いて、変名で語られる登場人物が誰なのかを一々確かめながら読んだのでフィクション的な味わいもあった。

 フィクション、ノンフィクションを見定めするように読む醍醐味も自然出てくるが、恐れ入ったのが「聖母子」の章。

 低迷していた雪雄=治雄(十一第目の本名)も戦後、爆発的な人気を得、世間的には独身で通しているため、産院に行くのを躊躇う光乃が一人便所で逆子を出産する場面。これ、本当だろうか?下巻の壇ふみのあとがきによると、宮尾登美子はこの小説を新聞連載中に、出産直後に十二代目の臍のを切ったという産婆さんに会うことができ、取材したというから・・・事実に近いのだろう。鳥肌が立った。

 生真面目ゆへ不器用で癇癪持ちの雪雄と、運命に翻弄されながら時に雪雄の暴力にさえひたすら耐え忍ぶ光乃の関係は今なら不可解に映るだろうか。しかし、その果てにある男女の宿縁、離れられない二人のその繋がりの強さを不思議なものを見るように読んだ。初め、主従の関係で共に暮らしていた二人は、文字通り病に遭っては血を分け、戦火を、貧困を、また世間の目をかいくぐり、封建的な歌舞伎界、ひいては昭和の時代を生きぬく。

 鋭利な感性とエキセントリックな面を併せ持つ当代海老蔵と、とてつもない忍耐と大きな包容力が魅力だった故十二代目。海老蔵は隔世遺伝で祖父ゆずり、十二代目はこの母の影響・・と勝手に納得した。

 まだ女中奉公の身だった頃、雪雄に「どんな芝居が好きなんだい?いってごらん。」と聞かれ、「きのねでございます。芝居が始まる前の、あの音を聞くと身が引き締まります。天からの合図のようでございます。」と答える光乃が愛しい。きのねとは芝居の始まりと終わりに鳴るあの拍子木のこと。この答えを面白がった雪雄は光乃を「きのね」と綽名する。

 今は年開けのきのねが鳴ったところ。正月に相応しい・・と言いたいところだが、言うにはあまりに余韻が大きい物語。今後、舞台を見る目が変わるだろう。海老蔵を見たくなった。

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