原因が分からないのに、どうしても苦手で怖いもというのは誰にでもある、と思う。
昔、まだフリーターだった時代、同じバイト先にどうしても商店街を歩くのが怖いという人がいた。その人は一見して体格の良い男だったが、商店街のような所を歩くと動悸がして、早くその場を離れたい衝動に襲われるのだと言っていた。それで後日、なんとかそれを解消しようと催眠治療のようなことをした結果、その恐怖にはちゃんと原因があり、原因が分かった瞬間、恐怖はたちどころに消えて無くなったと言う。
その人は小学校低学年の時、高熱で倒れ、病院でお尻に注射を打たれた帰り道、母親におんぶされて商店街を歩いている所をたまたま下校時間だったクラスメートにひやかされたことがあったそうで、それが恐怖の原因だったそうだ。
原因を知ってしまうと、“なあんだあ。”と思うが、そういう小さな原因は日々の様々な経験の蓄積によっていつしか忘れ去られてしまい、羞恥心や恐怖心だけがいつまでも心に残ってしまっていることが良くあるらしい。
催眠治療って、一体、どういうことまで出来るのか?私には全くその辺の知識は無いが、この治療法を仕掛けとする小説や映画は洋の東西を問わずたくさんあって、“記憶”が昔から人間の心の不可解さを描くのに格好の素材となってきたのは言うまでもない。
今回、紹介のこのドラマは故野沢尚氏の代表作と言われるサスペンス・ドラマの傑作だ。息もつかせぬ展開、完璧に練り上げられた脚本。1998年の作品なので、放送からもう9年もたったのかと思うとちょっと驚く。放送当時、誰が犯人かについてネット上でちょっとした論争があって、私も、去年の暮れに亡くなった友人と犯人当ての激論を戦わせたことなどを懐かしく思い出す。
物語は1983年のクリスマス・イヴに福島県のある町で一家三人が惨殺される事件が起きたところから始まる。ただ一人生き残った少女は事件のショックで記憶を失くし、また、周囲の人間も余りに酷い出来事なため、失った記憶の変わりに催眠治療によって別の少年の記憶を少女に埋め込むという処置を施す。
本当にこんなこと、出来るのか?と、当時見ていた時、思ったが、現実でも例えば過去を美化したり卑下したりして話しているうちに、事実とはどんどんかけ離れ、その作り話の方を“記憶”として定着させてしまうことがあるから、特殊な治療としてそれを行えば、不可能な話でもないのだろう。
記憶を埋め込まれた少女のその後を中山美穂が、図らずも記憶の“提供者”となった少年のその後を木村拓也が演じている。
ドラマの中で何も知らない女(中山美穂)に向かって、その事実を知っている初対面の男(キムタク)が『あんたは俺の一部なんだよ。』と言って気味悪がられるシーンがあるが、キムタクはかつて心理治療を行っている父の療養所にやってきたこのトラウマを抱えた少女に恋し、その後ずっと影ながら見守ってきた青年で、なのにドラマの前半は完全に最悪なストーカーのようだ。
この不気味なキムタクが実に良い。現在の彼は文字通り“ヒーロー”だし、大衆もいつしか彼にその部分のみを期待するようになってしまったので、今ではもうちょっとした悪役(ヒール)っぽいことはできなくなってしまったのかもしれない。
中山美穂はアイドル時代もその後も、私は全然興味の無い人だったが、このドラマを見てファンになってしまった。ご存知の通り現在は作家辻仁成の奥さんだが、辻氏は彼女に会った時『やっと、逢えたね。』と言って彼女を口説いたというのは有名な話で、現実での彼女はドラマのように気味悪がらなかったようだ。
また、ドラマの中で殺人事件が起きたのが1983年12月24日で、そしてその事件の時効が成立する15年後の1998年の12月24日に中山演じる女性と中村トオル演じる男性が結婚式を挙げるという設定、そして現実に最終回が放送されたのも1998年のクリスマス・イヴの24日と、クライマックスにもっていくまでのそうした演出も見事だった。
脇役で出演いていた人々は現在では皆、ビッグネームになって、今見ると凄い豪華キャストだが、中でもユースケ・サンタマリアはこの時、後に映画で主役を張るような人になるはとても思えなかったので その辺にも時の流れを感じる。またキムタクに滅茶苦茶冷たくされる女の子を演じる本上まなみも、まだ演技が固いですが初々しくてとても良い。
出演者達は皆、その後も大活躍中でこのドラマのイメージが定着してしまったなどと言うことは決してないが、私の中では一人中村トオルだけはこのドラマのイメージのままだ。
今、レンタル・ビデオ屋の売り上げの柱は『24(トエンティ・フォー)』に代表される海外ドラマだそうだが、どれもなにしろ長いので、何事にもハマリやすい私はあえて手を出さないようにしている。
で代わりにこうして昔見た名作ドラマを借りてきてまた見てしまうのだが、見ながら当時の記憶が呼び覚まされるところもあって、それで何かが癒されているような部分もある気がするが、物語の持つ力とは本来はそうしたところにあるのだろう。
ちなみに、ひところまで私はとてもチーズが苦手だった。嫌いと言う以上に、ちょっと怖くらいに感じていたが、現在では全く快癒?してピザでもなんでも美味しく頂けるようになった。
その陰にははこのドラマ顔負けの凄まじいサスペンスが隠されているのだが(嘘)、誰の何によってトリートメントされたのかは・・・・秘密。
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