ジェイコブ・コリア―を聞いていた

 朝起きて朝食を食べようと思ったら何もない。米を焚いておくのを忘れたのだ。パンでいいや、と思ったらそれも切らしていた。

 幸い毎日仏壇に供えているごはんを下げてきたものが"ほしひ"になってあるのでそれで自分の分はお粥を作る。仕事に行く息子には何もなくて、だが少しゆっくりの出勤だというので、昨夜作ろうとして作らなかったスパゲッティナポリタンを作った。弁当に持って行くから多めに作ってくれと言うのでそうしようと思ったらケチャップが足りなくてどうしたものかと思ったら、冷蔵庫に以前買って忘れていた缶詰のカットトマトがあった。白ワインも使ったらかえって高級?な感じで美味しくなった。

 今日は一日家事をしながら、ジェイコブ・コリア―と言う人の動画を見て、聞いて過ごした。先日、ラジオで"インターネットから生まれたスーパースター。未来のポール・マッカートニー、あるいはスティービー・ワンダー"と紹介されていて興味を持ったからだが、なるほどなあ、今はもうこういう時代なのだなあ、とつくづく思った。1994年生まれとあるから息子と同じ年。イギリス人。最近、出てきた人なのかと思ったらデヴューは2016年でネット上に上げた動画をキッカケにクインシー・ジョーンズに認められ、今まで出したアルバムは4枚連続でグラミー賞を獲得しているとか。全く知らなかった。

 あらゆる楽器を超絶技巧でこなし、コーラスワークも凄い(そのアレンジも)。ヒット曲、ライブ映像、YouTubeに色々上がっているが、ここではこれを。市井の人たち(時々サプライズあり)の鼻歌?程度の歌唱に彼がコーラスを被せるシリーズ。Vol1~Vol4まである。見ていて飽きない。笑えて、泣けて、人類愛に溢れている。

 
 夜は煮物。肉じゃが。肉は唐揚げ用の骨付きの鶏肉を使う。ごぼうをたっぷり。

 イスラム組織ハマスとイスラエルとの地上戦がカウントダウン状態。パレスチナ、イスラエル双方に先日見たドラマの"ノゴーン・ベキ"のような物語があるはず、と思う。長く続く憎しみと報復の連鎖。祈るしかない。

 0時半、就寝。

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The little Drummer Boy


 

 “クリスマスプレゼントは貧しい羊飼いや三人の博士たちが馬小屋の赤ちゃんのところに駆けつけたことにならったものだと思います。<中略>。貧しい羊飼いの少年は救い主が生まれたんだからプレゼントを持って行かなきゃ、と言われるのですが、自分には何もあげるものがないと思うのです。でも気を取り直して、自分には太鼓がある、赤ちゃんに太鼓を叩いてあげてもいいですかとマリアに聞くのです。マリアがうなずいてくれたので、少年は一生懸命太鼓を叩きます。すると赤ちゃんがニッコリ笑ったというのです。いろんな人がこれをテーマに、歌や絵本にしています。これは素晴らしいお話だと思います。”

「いのちのおとずれ クリスマス」ドン・ボスコ社より

 メリー・クリスマス。

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サウンド・オブ・ミュージック」制作50周年~ドレミの歌

 今年は映画「サウンド・オブ・ミュージック」制作50周年だと先日ニュースで見た。ということは自分と同じ年。これは反戦映画なのだよな。ヨーロッパ人のこの映画に抱く思いは日本のぼくらよりずっと意味深いだろう。難民問題を抱えるヨーロッパ。日本は?トラップ一家は難民だった。

 ↓は良く見るフラッシュモブの動画。これはベルギー、アントワープ駅での出来事。アントワープは1945年5月にナチス・ドイツに占領された。それを知ってこれをまた見ると以前と違った感慨を抱く。「ドレミの歌」が違って聞こえる。

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ファレル・ウィリアムス 「Happy」のPV

 ファレル・ウィリアムスの「Happy」のPVをここのところ毎日見ている。これは世界中の国、都市、町、学校・・・あるいは様々な団体・組織で独自に作られていて、見ていて楽しい。南三陸バージョンや福島浜通りバージョンもあって嬉しい限り。きっとあなたが住む町や学校でも作られているかもしれない。気に入ったものをできれば全部貼り付けたい気分だが、いっぱいありすぎてきりがない。
 
 貼り付けたのは↓の三つ。夏季留学のカナダから帰ってきた娘が帰国したのもつかの間、今度は中国、韓国、ベトナムの友人らを連れて山形に行っていた。今、帰ってきて、ようやく楽しい話を聞いたところ。老婆心ながら長く友情を育んでいって欲しいと思う。
 
  Bring me down
  Can't nothing bring me down
  My level's too high to bring me down
  Can't nothing bring me down
  I said
  Because I’m happy
  Clap along if you feel like a room without a roof
  Because I’m happy
  Clap along if you feel like happiness is the truth
  Because I’m happy
  Clap along if you know what happiness is to you
  Because I’m happy
  Clap along if you feel like that’s what you wanna do
 
北京
ソウル
サイゴン

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辻仁成の「ムスコ飯」

 確か作家宮内勝典氏の対談集『戦士のエロス』(集英社)の中で、人種、思想、宗教を越えても最後には性差が残る、、、と言っていた辻仁成。中山美穂との離婚報道の時、彼の中性化が原因・・と言われ、初め気味悪がられていたけど、今はその子育てぶりが好感を持って受け入れられているみたい。

↓は彼が愛息のために作る日々の料理のレシピとエッセイが綴られているブログ、「希望回復大作戦~ムスコ飯」。どの料理も美味そう。そしてエッセイも泣ける。

 http://jisin.jp/serial/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%A1/musukohan/10427

 "ボヘミアンとは、インターナショナル・マナーを持ち、自分の心、自分の肉体、自分のセックス、自分のアート、自分の結婚、自分の人生を良く把握している人の事。そして自分自身の検閲からも、自分自身の抑制からも、自由で、実験の心を持ち続ける人のことなんだ"とはかのアレン・ギンズバーグ。
 

 彼はボヘミアン。「世界はたった一つじゃない」って意外と思いつきそうで歌われないフレーズだと思う。昔から日本の男は皆不自由だと思っていたが、今は女も不自由そう。何がって「頭の中」が。子連れロッカー、精神の自由を感じる。 

instagramの写真も好きです。↓

http://instagram.com/tsujihitonari

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長井市~山の港町で甦る

 
 
  やがて長井の町に入った。
 この集落は中世の古くから著らわれていて、荘園時代、この付近一帯の田園の呼称は、置賜ともよばれず、むろん米沢ともよばれず、長井荘(ながいのしょう)という呼び方で総称されていた。
 上杉時代、その藩領が内陸の盆地にあるため、海運の恩恵にはまったく浴せず、この点、経済的には海に面した藩よりも不利であった。米その他の物産を上方や江戸に積み出すにしてもはるか酒田湾(最上川の河口)まで運ばねばならない。それも江戸初期までは米沢から酒田まで陸路はこんだ。最上川に運送船をうかべてこの流れを交通に使おうにも、途中、岩礁などが多く、とても通れなかった。その隘路が江戸期中期ごろの工事で打通され、この長井に藩営の川湊(かわみなと)が置かれて物が船で運ばれるようになった。
長井の町の北端までゆくと、おおきな橋梁がかかっている。下は、地が大きくくりぬかれて黒々とした川が流れていた。最上川であった。

                 (「街道をゆく 10 」司馬遼太郎著より )

Photo Photo_2
 
  先週、山形県長井市に行ったが、このブログを見ているというある人に「どんなところですか?」と聞かれて、恥ずかしながらぼくはそれを説明する言葉がなかった。上に紹介した司馬遼太郎の文章を自分も勉強するつもりでアップするしかないか・・と思っていたら、YouTubeで良い動画を見つけた。JR東日本のCM。主演は吉永小百合。“山の港町”か。なるほど。ぼくの世代でサユリストっているのかな。宣言してしまおうかな。
 
 長井からはラフランス、柿、りんご、大根、カブ等をいっぱい貰ってきて、また取ってきたきのこもいっぱいあって、その上、「はっぱ塾」からは手作り味噌まで頂いて、今、それを堪能しているところ。手作り味噌ときのこで味噌汁を作ったらとても美味しかった。
 
 今年は秋が長くて喜んでいたら、東京は一昨日あたりから急に寒くなった。街路樹の葉も段々色づいてきて、こっちは紅葉の見時はこれから。東北から帰ってきて今年は紅葉を二度楽しめる。得した気分。
 
 新聞の記事で酒「甦る」の仕込が昨日15日に無事終わったことを知った。

 

 

 皆が年に一度ボジョレヌーボの解禁を楽しむように、ここ数年、東京にいて、ぼくは「甦る」の解禁を待つようになった。予定は3月とか。山の港町でまた甦れ。来年こそは仕込みに行きたい。
 
 PS  写真は弟のブログから拝借した最上川の写真。
 

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動画 いにしえからの警告

“太平洋側、東北沿岸の大津波が到達しなかった地域にサインのように多くの神社が建立されている事実を発見した建築関係者と考古学者。約500年前にも同規模の大津波被害の後、先人らは目印の為に多く社を建立。私たちは、その知恵を無視していました。”

   写真家 大野純一氏のTwitterより 

   https://twitter.com/ohnojunichi

 考古データを真摯に考えれば福島第1原発の事故は想定内だったという事か。

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