31度目の歌舞伎 「あらしのよるに」

 

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 十二月大歌舞伎・第1部「あらしのよるに」を見た。ちゃんと歌舞伎になっていることに驚く。自分はずっとこの物語の最終話は「ふぶきのあした」で良いと思っていたが(自分が見たNHK「母と子のテレビ絵本」放送時(2003年)にはまだこれが最終話だった)、今日、初めてその後の話、「まんげつのよるに」があって良かったと思った。でなければこういう歌舞伎にならなかったろうから。がぶ=獅童、めい=松也、ぎろ=中車ほか。

 狼と山羊の禁断の友情物語。許されない愛を生きる男女、民族や宗教の壁を越えて生きようとする人々・・・様々な状況を重ねて見ることが出来るが、内向化、非寛容化が進む今を顧みてテーマはとても現代的だ。そして、ちょっと近松っぽく感じらる部分もあってそれは発見だった。きっと何度も再演され、その度、改良、改変がされ歌舞伎の演目としても定番ということになっていくのだろうと思う。ところで上記のテレビ放送時、がぶの声=中村獅童ばかり記憶に残っていたが、めいの声は成宮寛貴!だったんだよなぁ。

 笑えて、泣けて良い芝居。また見たい。ぎろ役の中車も怖くてしびれました。写真は歌舞伎座下、東銀座駅・木挽町広場の売り場に飾られたがぶの手ぬぐい。留学中の娘に贈るのに買った。

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30度目の歌舞伎~蛇柳(じゃやなぎ)

 仕事帰りに、今日、歌舞伎を見に行った。團菊祭五月大歌舞伎・夜の部・第二幕・歌舞伎十八番「蛇柳」。

 市川家の歌舞伎十八番と言っても十八の演目全てが演じられているとういう訳ではなく、中にはほとんど演じられない芝居や中にはわずかな資料が残っているのみでどんな内容だったのかも分からないものもある。

 この「蛇柳」もその一つ。平成25年(2013年)8月にシアターコクーンで当代海老蔵が復活させたが、古典のテイストをふんだんに盛り込まれてはいるのだろうが新作に近いのだろう。現代(いま)に作られる古典。海老蔵の意気込みが感じられる。さて、どんなものかと、見てみたいとずっと思っていた。丹波の助太郎実は蛇柳の精魂、金剛丸=海老蔵、住僧定賢=松緑、他。

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 話はシンプルで高野山奥の院にある霊木蛇柳。これは災いをもたらす大蛇を弘法大師が柳に変えたと言われるもので、この蛇柳にもののけが現れ仏法の妨げをするというので住僧定賢が退治するために現れる。そこに亡くなった妻の霊を供養したいと助太郎がやって来て・・・と、印象としては「黒塚」と「暫」が合わさったようなストーリーの舞踊劇。

 蛇柳もさることながら、今後、これが本当の古典とされていくならば定賢役も大事になるのだろうナ、と思った。劇評では色々言われていたが、僕は面白く見た。

 蛇が異常行動を起こすと地震が来ると言う説があるらしいが、今日、関東では大きな地震があって、四年前の悪夢が頭をよぎった。なので偶然にも市川家の睨みで厄払いした形になった。巳年なのに蛇退治を見て喜んで良いのか?という気もするが良い。今日は良い。

 家内安全、無病息災、病気平癒。

 写真は東銀座駅の木挽町広場で見た、ねぶた面(おもて)。歌舞伎隈取。竹浪比呂央氏作。
 

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中村小山三氏死去

 中村小山三氏死去。

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150407-00000006-spnannex-ent

 "勘三郎が生まれた時、すでに六代目菊五郎も初代吉右衛門も亡くなっていたので、彼が直接この二人に教わったことは無い。二人の舞台の映像もほとんど残っていない。勘三郎は父・十七代目を通して二人の偉大な名優の藝を継承していったことになる。さらに、父と同世代の役者たちも、彼が望めば教えた。勘三郎は六代目菊五郎と初代吉右衛門を直接知る人から教わることができた最後の役者だった。どれだけの努力がそこにあったのか。

 その勘三郎が突然、逝ってしまった。

それは当代随一の人気役者の死に留まらず、徳川期から続く何かが断ち切られたことも意味していた。
 平成二十四年(2012)12月5日とは、そういう日だった。 "

 (中川右介著『歌舞伎 家と血と藝』講談社現代新書P415~416より)

 

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 今日、訃報が流れた中村屋小山三さんは十七代目が「俺が死んだら小山三を一緒に棺桶にいれてくれ」と言ったほどの人で、現・勘九郎、七之助の養育係りでもあった。勘三郎が江戸期からの芸を継承する最後の役者と言うなら、彼は江戸期からの藝が今に引き継がれるのを助けるのに生涯をかけた人と言って良いのだろう。

 最後に見たのは2013年歌舞伎座『東海道四谷怪談』での序「宅悦地獄宿の場」の宅悦女房役だった。ものすごい喝采だったっけ。

 藝というのは代が重なれば段々に薄まって形を変えてしまうものなのだろうか?分からないが父・勘三郎を通して、また十七代目達の世代を直に知る小山三さんを通して、勘九郎、七之助にその"江戸"が継承されていると信じたい。

写真はネットで拾った大人気の"小山三ストラップ"。前に買おうとしたら売り切れだった。

 ご冥福をお祈りします。

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29度目の歌舞伎~鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)

Cai_0374  十月の歌舞伎座は第十七世中村勘三郎の二十七回忌、第十八世中村勘三郎の三回忌追善公演。

 先週の日曜日、中村屋最古参二代目小山三のドキュメンタリー番組を見ていたら無性に中村屋が見たくなり、矢も立てもたまらず今日行ってきた。見たのは夜の部三幕「鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)」。猿源氏に勘九郎、蛍火に七之助。病み上がりなのでどうかと思ったが今日を逃すと明日は楽日。しかも土曜日とあっては混雑は必至と考え、今日、幕見ですべり込んだ。僕から後の番号からが立ち見だった。ラッキー。

 三島歌舞伎の代表作「鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)」は初演は第十七世中村勘三郎と六世中村歌右衛門。最近だと十八代目勘三郎と玉三郎のコンビが人気だったが、実は僕が本当に見たかったのはそれ。歌舞伎座さよなら公演の時見れなくて、まあ、いいや。またいつかやるだろう、とたかをくくっていたら勘三郎の急逝で見ることが叶わなくなった。

 当代勘九郎は勘太郎時代に何度も見た。いい役者だが生真面目で固い、という印象を持っていたので、今日は最初、この大らかな喜劇で笑えなかったらどうしよう・・と勝手に不安を抱いていたがそれは杞憂に終わった。最初、花道から姿を現した一瞬だけが勘太郎で、その後すぐ彼は勘九郎になり、そして演じるにつれて段々と勘三郎の亡霊をみているようになった。嬉しいやら気味悪いやらで(ごめん、これはほめ言葉です。)つまり、抱腹絶倒だった。特に軍物語の場面は爆笑。凄い身体能力だな、勘九郎は。女形としての七之助は玉三郎型なので、結局、僕は今日、やっと見たかったものを見たのだろう。歌舞伎の、芸の継承というのはつまりこういう事なんだよな。拍手。

 「鰯売~」を見るのは今日が初めてだったので、どの時の、誰の芝居とも比べることは出来ない。が、この勘九郎、七之助の「鰯売~」は相当に良いのではないかな。二人ともこれが初演。また見たいし、きっと見れる。散々笑って、汗をかいたら熱が抜けて、帰りは夜風が気持ちよかった。風邪が治ったよ。ありがとう、中村屋。

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28度目の歌舞伎 「天守物語」

Cai_0356_5  昨日、久しぶりに歌舞伎座に行った。見たかったのは夜の部・第三幕「天守物語」。

 また例によって幕見で見ようと早めに出掛けたが、着くなり係りに聞くと、二幕目から通しで見ると三幕目で座れるが、三幕目から見ると立ち見になると言われた。

 第二幕目の「修禅寺物語」の主役・夜叉王は中車(香川照之)。それで、いつか歌舞伎役者の彼をちゃんと見たいと思っていたのでいい機会と考え直し、予定を変えて二幕目から見た。ただ「修禅寺~」も悪くなかったが、やはり良かったのは「天守物語」。玉三郎×海老蔵コンビ会心の舞台。これでは中車は分が悪い。中車は「天守~」にも小田原修理役で出ていたが。以下

 天守夫人富姫に玉三郎、姫川図書之助に海老蔵、舌長姥に門之助、薄に吉弥、亀姫に尾上右近、朱の盤坊に猿弥、山隅九平に市川右近、近江之丞桃六に片岡我富。 

 2009年7月の「歌舞伎座さよなら公演」の時もこの「天守物語」は上演されたが、その時はまだ歌舞伎を見始めたばかりで古典にしか目が行かず、泉鏡花のこの名作をぼくはまだ歌舞伎に思えなくて見なかった。ただいつか見る日が来るかと思い、その後、原作を読むだけは読んた。 

 白鷺城(姫路城)の最上階には異形のもが住むという江戸の頃から伝わる伝説に、その他の怪異譚を織り交ぜて描かれた異界の女と人間の男との恋物語。富姫役以外に演出も手がけている玉三郎は今回も原作を一切変えていないと言う。

 本では分からなかったニュアンスもこうして舞台化されたものを見るとすんなり理解できる。例えば前半のコミカルな雰囲気や二人が会話を交わすうちに段々と恋情が高まっていく様などはやはり芝居で見なければ分からない。図書之助がどの辺りから富姫に惚れるのか?

 またこの芝居にさりげなく、だが以外に図太く反体制的なメッセージが響いているのに気づいた。そしてそれが今回は特に際立って感じた。現在の極右化へと向かう空気。大正6年に書かれた戯曲が「今」を撃っていた。 

 玉三郎の円熟と海老蔵の気合が重なった渾身の芝居。いつまでも眺めていたいような美しい舞台。少し寿命が延びた気がする。カーテンコールが二度あった。

 「芝居も色々ありますが、鏡花作品を演じて幕が閉じると、からだは疲れていても、気持ちは浄化される感覚があります。台詞は初演時と同じなのに、最近は演じるたびに新しさを感じ、心の禊をしているような清浄感に包まれています。」(坂東玉三郎 歌舞伎座さよなら公演時のインタヴューより)

 それは見終わったこちらも同じ。これはもう古典。泉鏡花作品は他に玉三郎によって「夜叉ヶ池」「海神別荘」「山吹」がある。いつか全部見たいと思った。

 万来の拍手を耳に残し、呆然として帰路につく。

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27度目の歌舞伎~東海道四谷怪談

Photo  昨日、やっと新しい歌舞伎座に行ってきた。見たのは歌舞伎座新開場杮葺落・七月花形歌舞伎 夜の部 『東海道四谷怪談』。

 お岩・佐藤与茂七・小仏小平に菊之助、民谷右衛門に染五郎、四谷左門に錦吾、伊藤喜兵衛に団蔵、お梅に右近、直助権兵衛に松禄、他。

 今回は大詰に歌舞伎座では実に30年振りの上演となる「蛍狩りの場」があった。若き日の右衛門とお岩が七夕の夜に逢瀬を楽しむ幻想的なシーンだが、これがあったせいか、観終わって今までこの話に抱いていたものとちょっと違う感想を持った。そもそも過去の悪事が発端とは言え、それを理由にお岩を実家に戻してしまった父・四谷佐門に、岩を返せ、と言い募り、断られ、それで彼を殺してしまうところが芝居の始まり。

 右衛門は悪党ながらそれなりに岩を愛していたのだろうな、と今回特に思った。だとしたら、仲むつまじい「蛍狩り」から本編のような凄惨な物語に変わっていくまでの男女の、人間の過程そのものが怖いと思った。

Photo_2  翻って菊之介の岩は哀しみに溢れていたとはいえ、怖くなかった。生涯に9度も岩役をやった三代目菊五郎は「お化けは心安く、幽霊は心苦しく。」と言ったというが、菊之介の岩は「哀れ」が「怨み」に勝っていた。江戸の頃は菊五郎の岩を見ただけで失神した人もいたというが、今、芸の力だけでそれだけ怖い岩というのは可能なのだろうか。可能なら見てみたいと思う。

 染め五郎の「色悪」ぶりは貫禄がついてきたのか、良かった。だから、やはり怖かったのはこちらの方だ。

 「戸板返し」や「提灯抜け」など夏歌舞伎らしい仕掛けは見事で、江戸の昔、良くこんなトリックを思いついたものだと感心することしきり。ただ疑問に思ったのは例の「蛍狩り」の蛍の表現。今回レーザーライトでやっていた(多分)が、30年前はどうしていたのか。江戸の昔は。

                      ☆

 電話で聞くとチケットは完売で、相変わらず幕見で見たが、新歌舞伎座になって幕見のシステムも少し変わっていた。並ぶと順番に整理券が貰えて開演20分前に再び4階に番号順に並ぶ、ということに。以前のチケットを買ったら息を切らせながらあの長い階段を上っていくというのはもうなくて、エレベーターで行く。便利になったが味気ない気もした。また、地下鉄東銀座駅構内がおみやげ売り場になっていて、以前は幕見の客は係りに断って館内に入れてもらうというルールだったので、これは前より良い。また隣に「富士そば」ができて、芝居がはけた後、ちょっとかっこんで行くのにこれも良い。

 今回は通し狂言だったので全部見たが、幕見があるとまた気軽に芝居に足が向くというもの。もともと歌舞伎座でこうして観劇を始めたのでなんだか懐かしさもあった。来月は「梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)」かな。おかえり歌舞伎座。

 

 PS ついでにもう一つ書くと、序幕 「宅悦地獄宿の場」の宅悦女房役であの中村屋の小山三が出ていた。絶品。

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第十二代市川團十郎逝去

Int_ph01  昨日の早朝、Yahooのニュースで團十郎が亡くなった事を知る。去年末に亡くなった勘三郎の喪に服するつもりで、年明けは歌舞伎を見なかった。せめて四月の新歌舞伎座が出来るまでは待とうと決めていた。そして、そこで團十郎を見ようと思っていたのだ。茫然自失。

 勘三郎に関しては、その死を思う度、「あ、オレはこの人がいない世界を今生きているんだ・・・。」と思い、悲しくなる。肉親や知人でも無いのに、こんなことは中学2年生の時のジョン・レノン以来。か、もしくはそれ以上。じかにそのエネルギーに触れたというのがやはり大きい。で、團十郎も同じだ。幾度、團十郎の舞台を見たことだろう。ただ今となって一つ悔やんでも悔やみきれないのは彼の「勧進帳」・弁慶を見なかったこと。歌舞伎座さよなら公演の時、早朝から並んだのだが・・・見れなかったのだ。

 あの歌舞伎座が壊されて以降、一体、何人の名優の訃報を耳にしたことか。やはりあの歌舞伎座は壊すべきではなかった。改装で良かった。新歌舞伎座のこけら落とし初日は4月2日。新聞である劇評家がそのことに対し、松竹に真剣に怒っていた。

 僕が見た舞台で一番忘れがたいのか「毛剃(けぞり)」。歌舞伎の醍醐味を十二分に堪能できる素晴らしい舞台だった。そして、あの歌舞伎座での最後の演目だった「助六」。勘三郎といい、團十郎といい、自分がどんなに良いものを見たのかを改めて思った。あの、歌舞伎に耽溺し、この名優たちを見続けた日々は自分の生涯の宝だ。しばらくは録画してある「パリの弁慶」ばかり見ることになるだろう。合掌。御冥福をお祈りします。

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第十八代中村勘三郎氏死去

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 今朝、車のラジオを点けた途端、アナウンサーが「・・・・中村・・・・さんがお亡くなりになりました・・・。」と、言ったが良く聞こえなかった。嫌やーーーな予感がして第二報を待っていたが、なかなかそのニュースにならずイライラした。そして第一報からかなりして「中村勘三郎さんがお亡くなりになりました。57才でした。」と今度はハッキリと耳にした。一度、車を停めた。呆然としてしまった。

 勘三郎が舞台に現れた時のあの瞬間をどう言葉にすれば良いのだろうか?肯定的で真っ直ぐな強いエネルギー、オーラ。いつも幕見の私の元にまで、それは強いスマッシュのように届いた。そして豆粒のような勘三郎でも、見れればその夜は良く眠れるような気がした。

 初めて見たのは春興鏡獅子。それから何度勘三郎を見ただろう?六歌仙姿彩のお梶、野田版鼠小僧、駕籠釣瓶花街酔醒の次郎左衛門・・・。

 最後は歌舞伎座さよなら公演最後の「助六」での通人・里暁。「この歌舞伎座はこれで終わりだけど、新しい歌舞伎座でまた一緒に夢を見よう!」最後に勘三郎はそう言った。

 新しい歌舞伎座が出来てもそこに勘三郎がいないということがまだ受け入れられない。もう少しじゃないか・・・。

短かくとも同じ空間に共にいれた時間を持てたことを今は喜びとするしかない。

素晴らしい舞台の数々、忘れません。ありがとうございました。ご冥福をお祈り致します。

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26度目の歌舞伎~秋山祭・「寺子屋」

Photo_4 “松王丸の悲劇は、古今東西の悲劇の中でも、二つの信義に引き裂かれ、自己犠牲と罪を犯したという点で有数のものです。忠義などというものは存在しなくなった今日、しかし、人間が人間である限り、運命との戦いは終わることはないのです。「寺子屋」はそのことを示しています”~渡辺保著『歌舞伎ナビ』より。

 昨日、新橋演舞場へ行ってきた。秀山祭九月大歌舞伎。見たのは午前の部「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)『寺子屋』」と「天衣粉上野初花(くもにまごううえののはつはな)~『河内山』」。特に『義経千本桜』、『仮名手本忠臣蔵』と並び三大義太夫狂言の一つに数えられる『菅原伝授手習鑑』の四段目「寺子屋」は何度も見そびれていて、どうしても見たい演目の一つだった。

 なので今回は特に「寺子屋」。

実は以前からこの芝居は現代人が最も感情移入しにくいものなのでは?と思っていた。

 恩人菅原道真の子・菅秀才を守るために寺子屋の主人武部源三は、その身代わりに寺入りしたばかりの子を殺しその首を差し出す。そして今は敵方についてしまった松王丸だが、源三がそうすることを見越して、わざと自らの子を送り込み、その首改めを誤審することで彼は恩人の子を救う。戦後、GHQが上演を禁じた演目の筆頭がこの「寺子屋」で、その禁が解かれ、戦地に自らの子を送った多くの親達が見て最も涙したのもこの「寺子屋」だったと聞く。今とは全く状況も死生観も違っている。

 秀山祭(名優初代吉右衛門の顕彰とその芸の継承を目的として毎年この時期に行われる)だから、当代吉右衛門が今日の松王丸なのは当然のことと思っていたが、これは先日事故で休演となった染五郎の代役とのことだった。知らなかった。しかし、昨日の吉右衛門の松王丸はそうした経緯を意に止めさせないほどに素晴らしい出来だった。

 以下、その他の配役は武部源三に梅玉、源三女房戸波に芝雀、松王丸女房千代に福助、春藤玄蕃に又五郎。

 この「寺子屋」には各場面ごとに楽屋内で使われる通称がある。「寺入り」「源三戻り」「せまじきものは」「松王丸の出」「寺子改め」「首実験」が前半。で、「五色の息」「千代の出」「松王丸の泣き笑い」「いろは送り」が後半。

 今回は吉右衛門の松王丸に限らず、各役の誰もが良くて、芝居の導入部にあたる「寺入り」から各場面が重なるごと、徐々に緊張が高まっていくような前半が特に凄かった。「機能」していて、各人のちょっとした仕草、表情からも目が離せないようになり、汗ばんでくるようだった。後半は「千代の出」から種明かしも含めた泣かせの舞台となるが、声芸(そんな言葉あるのか)が問われる部分。違う芝居だとちょっと金属的で個人的には違和感を感じることもある福助だが、今回の千代の「くどき」は真っ直ぐに胸に響いた。やはり前半の芝居が効いていた。

 そして我らが吉右衛門。以前から書いているようにこの人は声がいい。言葉がハッキリと届く。そしてそこにきて緩急ある円熟のセリフ回しなものだから、聞いていてそれは酔うようである。思えば私が初めて見た「勧進帳」の弁慶も吉右衛門だった。その時も「判官御手」で義経に詫びる弁慶に私は泣いたのだった。

 源三に息子小太郎の最後を聞く松王丸。「ニコリと笑うて」と源三。「アノ、笑いましたか」と松王丸。上に挙げた「歌舞伎ナビ」ではこの「アノ、笑いましたか」のセリフは本文にはなく、歌舞伎ならではのものとあり、明治の九代目団十郎がそれは素晴らしいかった、とある。昨日の吉右衛門も良かった。で、その後の「泣き笑い」。また泣かされてしまった。

                ☆ 

「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」は長い物語である。菅原道真に恩のある梅王丸、桜丸、松王丸、三兄弟の物語。三人三様、それぞれに自らの運命と戦うが、中でも松王丸の戦いは壮絶である。道真の世話で後の敵方藤原時平に一人仕えることとなってしまった松王丸。松王丸は孤独だった。しかし、今回見て私が思ったのはその息子小太郎のこと。父は運命と戦うが小太郎は運命を受け入れる。「寺入り」で母千代が隣村までちょっと出かける、と言った時、一度は母を恋しがる小太郎だが、それは自分がこの後、菅秀才の身代わりに殺されることを知ってのことで、その後、源三が言うように「いさぎよう首をさしのべて」「にこりと笑った」 のなら最期に小太郎は運命を受け入れたのであろう。そしてそのことが菅秀才を助けるだけでなく、父松王丸を長い孤独から救い上げる。

 “親白太夫、兄梅王丸、弟桜丸、一家は当然みな道真側です。世間でも、白太夫の息子がいくら時平の家来だといって道真を裏切るのかと言っています。その中で一人、そんなはずはない、松王丸に限ってそんなことはないと言った人がいます。ほかならぬ道真自身です。人は己を知るもののために死ぬ。旧主の恩義と現在の主人への義務に引き裂かれた松王丸は、誰に理解されなくてもいい、道真一人に理解されればいい、いや道真にわからなくてもいい、歴史の暗闇で無名でいい、とにかく菅秀才をひそかに助けることが自分の運命だと思ったのです。これが松王丸の孤独の意味です”~渡辺保著『歌舞伎ナビ』P19~20より抜粋。

 命は勿論大事だが、それに執拗に固執する社会は時に「生」そのもののダイナミズムを失わせ矮小化するばかりか、人の尊厳そのものをも踏みにじり省みない。私がこの芝居を現代人が最も感情移入しにくいものなのでは・・と書いたのはその事で、逆に死が生の一部であり、崇高な死が何かを生かす道であるということは近世の世のある人々とっては自明のことであったのだろう。何により生き、何により死ぬのか。

 松王丸、梅王丸、桜丸は皆、それぞれ舎人(とねり)である。「寺子屋」はその昔、下級と言われる人々ががどのように人の道を守り生きたかを教えてくれ、その事が今、胸に迫る。

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改装中の歌舞伎座と「黒塚」

 昨日、京橋に映画を見に行ったその足で、現在、改装中の歌舞伎座を見てきた。正月に見た時はまだまだ工事現場そのままという感じだったが、現在は写真の通り。

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 段々と出来てきた。後はこれに瓦を葺けば、というところか。早く歌舞伎座ができてくれないと困る。私のような貧乏人はあの幕見席がないと芝居を見る機会が激減する。ここ2年、私はずっと耐えているのだ。

 もしやと思い、その後、新橋演舞場に行って午後の部でも見れないものかと思ってチケットの有無を尋ねてみたが甘かった。チケットはすべてソールド・アウト。歌舞伎座がなくても、新橋演舞場で、国立劇場その他で、歌舞伎人気は衰えを知らない。しかし、しょうがないと諦めて立ち去ろうとする背中に、チケット売りのお姉さんの、あ、っという小さな声がして、振り向くと、幸運にも来週の日曜、一枚キャンセルがたった今出た、とのこと。それですかさずゲットした。この9月は秀山祭。ということは鬼平、じゃなかった、吉衛門だ。演目は寺子屋と河内山。ラッキー、楽しみが増えた。

Photo_5 で、生で見るのは来週のことにして、今日はテレビで見た。七月の猿之助襲名披露公演から口上と黒塚、それと櫻門五山桐(さんもんごさんのきり)。

 今年の歌舞伎界の大ニュースと言ったら、言わずもがな二月の勘九郎襲名と七月の猿之助襲名だったろうが、色んな意味で中村屋より澤潟屋のほうが話題性があった。猿之助が猿翁に、亀治郎が猿之助に、香川照之が中車に、そしてその息子が團子にと、時代の変わり目をあらわすような刷新ぶりで、この舞台、なんとか見たかったがどうしてもチケットが取れなかった。

 猿之助、というとスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」をすぐ想起するが、今日、テレビで見たのは「黒塚」。襲名披露公演にこれを持ってきたところに何か今という時代に深くかかわっていこうというニュー猿之助の意気込みを感じた。

 どういう芝居かと言うと福島県二本松市 安達太良山東麓の安達ケ原の鬼婆伝説をもとにした舞踊劇。安達ケ原で阿闍梨(あじゃり)の一行が一夜の宿を求める。そこの老婆曰く、寝屋の中だけは見てくれるなとのことなのだが、しかし、中の一人がこっそり見てしまい、そこは屍累々の有様。老女は実は鬼で、その後、一行が観世音菩薩の威光で鬼を退治、成仏させるという話。亀治郎改め猿之助は集中があり、全身から妖気が漂うようで、渾身の鬼女であった。奥州(東北)に鬼がいる。見てはいけないと言われているものがある。色んなことが見ながらにして頭の中を様々に去来した。

 その後の「櫻門五山桐」は石川五右衛門に海老蔵、真柴久吉が猿之助改め猿翁。派手で色鮮やかな舞台に負けないオーラが海老蔵にはあって良い五右衛門だった。そして猿翁が登場した時、何かが継承されようとしている瞬間を見ているようで、思わず手を叩いてしまった。終了後は客席もスタンディングオベーション。良いものを見た。

 この2年、歌舞伎を見る機会が減る一方で、公私にわたって様々なことがあり、その中でかえって、何故自分がこんなに歌舞伎が好きなのかが分かってきた。以前はただただ賛嘆していただけなのだが・・・・。

 しかし、その話はまた今度。

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