31度目の歌舞伎 「あらしのよるに」

 

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 十二月大歌舞伎・第1部「あらしのよるに」を見た。ちゃんと歌舞伎になっていることに驚く。自分はずっとこの物語の最終話は「ふぶきのあした」で良いと思っていたが(自分が見たNHK「母と子のテレビ絵本」放送時(2003年)にはまだこれが最終話だった)、今日、初めてその後の話、「まんげつのよるに」があって良かったと思った。でなければこういう歌舞伎にならなかったろうから。がぶ=獅童、めい=松也、ぎろ=中車ほか。

 狼と山羊の禁断の友情物語。許されない愛を生きる男女、民族や宗教の壁を越えて生きようとする人々・・・様々な状況を重ねて見ることが出来るが、内向化、非寛容化が進む今を顧みてテーマはとても現代的だ。そして、ちょっと近松っぽく感じらる部分もあってそれは発見だった。きっと何度も再演され、その度、改良、改変がされ歌舞伎の演目としても定番ということになっていくのだろうと思う。ところで上記のテレビ放送時、がぶの声=中村獅童ばかり記憶に残っていたが、めいの声は成宮寛貴!だったんだよなぁ。

 笑えて、泣けて良い芝居。また見たい。ぎろ役の中車も怖くてしびれました。写真は歌舞伎座下、東銀座駅・木挽町広場の売り場に飾られたがぶの手ぬぐい。留学中の娘に贈るのに買った。

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30度目の歌舞伎~蛇柳(じゃやなぎ)

 仕事帰りに、今日、歌舞伎を見に行った。團菊祭五月大歌舞伎・夜の部・第二幕・歌舞伎十八番「蛇柳」。

 市川家の歌舞伎十八番と言っても十八の演目全てが演じられているとういう訳ではなく、中にはほとんど演じられない芝居や中にはわずかな資料が残っているのみでどんな内容だったのかも分からないものもある。

 この「蛇柳」もその一つ。平成25年(2013年)8月にシアターコクーンで当代海老蔵が復活させたが、古典のテイストをふんだんに盛り込まれてはいるのだろうが新作に近いのだろう。現代(いま)に作られる古典。海老蔵の意気込みが感じられる。さて、どんなものかと、見てみたいとずっと思っていた。丹波の助太郎実は蛇柳の精魂、金剛丸=海老蔵、住僧定賢=松緑、他。

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 話はシンプルで高野山奥の院にある霊木蛇柳。これは災いをもたらす大蛇を弘法大師が柳に変えたと言われるもので、この蛇柳にもののけが現れ仏法の妨げをするというので住僧定賢が退治するために現れる。そこに亡くなった妻の霊を供養したいと助太郎がやって来て・・・と、印象としては「黒塚」と「暫」が合わさったようなストーリーの舞踊劇。

 蛇柳もさることながら、今後、これが本当の古典とされていくならば定賢役も大事になるのだろうナ、と思った。劇評では色々言われていたが、僕は面白く見た。

 蛇が異常行動を起こすと地震が来ると言う説があるらしいが、今日、関東では大きな地震があって、四年前の悪夢が頭をよぎった。なので偶然にも市川家の睨みで厄払いした形になった。巳年なのに蛇退治を見て喜んで良いのか?という気もするが良い。今日は良い。

 家内安全、無病息災、病気平癒。

 写真は東銀座駅の木挽町広場で見た、ねぶた面(おもて)。歌舞伎隈取。竹浪比呂央氏作。
 

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29度目の歌舞伎~鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)

Cai_0374  十月の歌舞伎座は第十七世中村勘三郎の二十七回忌、第十八世中村勘三郎の三回忌追善公演。

 先週の日曜日、中村屋最古参二代目小山三のドキュメンタリー番組を見ていたら無性に中村屋が見たくなり、矢も立てもたまらず今日行ってきた。見たのは夜の部三幕「鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)」。猿源氏に勘九郎、蛍火に七之助。病み上がりなのでどうかと思ったが今日を逃すと明日は楽日。しかも土曜日とあっては混雑は必至と考え、今日、幕見ですべり込んだ。僕から後の番号からが立ち見だった。ラッキー。

 三島歌舞伎の代表作「鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)」は初演は第十七世中村勘三郎と六世中村歌右衛門。最近だと十八代目勘三郎と玉三郎のコンビが人気だったが、実は僕が本当に見たかったのはそれ。歌舞伎座さよなら公演の時見れなくて、まあ、いいや。またいつかやるだろう、とたかをくくっていたら勘三郎の急逝で見ることが叶わなくなった。

 当代勘九郎は勘太郎時代に何度も見た。いい役者だが生真面目で固い、という印象を持っていたので、今日は最初、この大らかな喜劇で笑えなかったらどうしよう・・と勝手に不安を抱いていたがそれは杞憂に終わった。最初、花道から姿を現した一瞬だけが勘太郎で、その後すぐ彼は勘九郎になり、そして演じるにつれて段々と勘三郎の亡霊をみているようになった。嬉しいやら気味悪いやらで(ごめん、これはほめ言葉です。)つまり、抱腹絶倒だった。特に軍物語の場面は爆笑。凄い身体能力だな、勘九郎は。女形としての七之助は玉三郎型なので、結局、僕は今日、やっと見たかったものを見たのだろう。歌舞伎の、芸の継承というのはつまりこういう事なんだよな。拍手。

 「鰯売~」を見るのは今日が初めてだったので、どの時の、誰の芝居とも比べることは出来ない。が、この勘九郎、七之助の「鰯売~」は相当に良いのではないかな。二人ともこれが初演。また見たいし、きっと見れる。散々笑って、汗をかいたら熱が抜けて、帰りは夜風が気持ちよかった。風邪が治ったよ。ありがとう、中村屋。

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28度目の歌舞伎 「天守物語」

Cai_0356_5  昨日、久しぶりに歌舞伎座に行った。見たかったのは夜の部・第三幕「天守物語」。

 また例によって幕見で見ようと早めに出掛けたが、着くなり係りに聞くと、二幕目から通しで見ると三幕目で座れるが、三幕目から見ると立ち見になると言われた。

 第二幕目の「修禅寺物語」の主役・夜叉王は中車(香川照之)。それで、いつか歌舞伎役者の彼をちゃんと見たいと思っていたのでいい機会と考え直し、予定を変えて二幕目から見た。ただ「修禅寺~」も悪くなかったが、やはり良かったのは「天守物語」。玉三郎×海老蔵コンビ会心の舞台。これでは中車は分が悪い。中車は「天守~」にも小田原修理役で出ていたが。以下

 天守夫人富姫に玉三郎、姫川図書之助に海老蔵、舌長姥に門之助、薄に吉弥、亀姫に尾上右近、朱の盤坊に猿弥、山隅九平に市川右近、近江之丞桃六に片岡我富。 

 2009年7月の「歌舞伎座さよなら公演」の時もこの「天守物語」は上演されたが、その時はまだ歌舞伎を見始めたばかりで古典にしか目が行かず、泉鏡花のこの名作をぼくはまだ歌舞伎に思えなくて見なかった。ただいつか見る日が来るかと思い、その後、原作を読むだけは読んた。 

 白鷺城(姫路城)の最上階には異形のもが住むという江戸の頃から伝わる伝説に、その他の怪異譚を織り交ぜて描かれた異界の女と人間の男との恋物語。富姫役以外に演出も手がけている玉三郎は今回も原作を一切変えていないと言う。

 本では分からなかったニュアンスもこうして舞台化されたものを見るとすんなり理解できる。例えば前半のコミカルな雰囲気や二人が会話を交わすうちに段々と恋情が高まっていく様などはやはり芝居で見なければ分からない。図書之助がどの辺りから富姫に惚れるのか?

 またこの芝居にさりげなく、だが以外に図太く反体制的なメッセージが響いているのに気づいた。そしてそれが今回は特に際立って感じた。現在の極右化へと向かう空気。大正6年に書かれた戯曲が「今」を撃っていた。 

 玉三郎の円熟と海老蔵の気合が重なった渾身の芝居。いつまでも眺めていたいような美しい舞台。少し寿命が延びた気がする。カーテンコールが二度あった。

 「芝居も色々ありますが、鏡花作品を演じて幕が閉じると、からだは疲れていても、気持ちは浄化される感覚があります。台詞は初演時と同じなのに、最近は演じるたびに新しさを感じ、心の禊をしているような清浄感に包まれています。」(坂東玉三郎 歌舞伎座さよなら公演時のインタヴューより)

 それは見終わったこちらも同じ。これはもう古典。泉鏡花作品は他に玉三郎によって「夜叉ヶ池」「海神別荘」「山吹」がある。いつか全部見たいと思った。

 万来の拍手を耳に残し、呆然として帰路につく。

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27度目の歌舞伎~東海道四谷怪談

Photo  昨日、やっと新しい歌舞伎座に行ってきた。見たのは歌舞伎座新開場杮葺落・七月花形歌舞伎 夜の部 『東海道四谷怪談』。

 お岩・佐藤与茂七・小仏小平に菊之助、民谷右衛門に染五郎、四谷左門に錦吾、伊藤喜兵衛に団蔵、お梅に右近、直助権兵衛に松禄、他。

 今回は大詰に歌舞伎座では実に30年振りの上演となる「蛍狩りの場」があった。若き日の右衛門とお岩が七夕の夜に逢瀬を楽しむ幻想的なシーンだが、これがあったせいか、観終わって今までこの話に抱いていたものとちょっと違う感想を持った。そもそも過去の悪事が発端とは言え、それを理由にお岩を実家に戻してしまった父・四谷佐門に、岩を返せ、と言い募り、断られ、それで彼を殺してしまうところが芝居の始まり。

 右衛門は悪党ながらそれなりに岩を愛していたのだろうな、と今回特に思った。だとしたら、仲むつまじい「蛍狩り」から本編のような凄惨な物語に変わっていくまでの男女の、人間の過程そのものが怖いと思った。

Photo_2  翻って菊之介の岩は哀しみに溢れていたとはいえ、怖くなかった。生涯に9度も岩役をやった三代目菊五郎は「お化けは心安く、幽霊は心苦しく。」と言ったというが、菊之介の岩は「哀れ」が「怨み」に勝っていた。江戸の頃は菊五郎の岩を見ただけで失神した人もいたというが、今、芸の力だけでそれだけ怖い岩というのは可能なのだろうか。可能なら見てみたいと思う。

 染め五郎の「色悪」ぶりは貫禄がついてきたのか、良かった。だから、やはり怖かったのはこちらの方だ。

 「戸板返し」や「提灯抜け」など夏歌舞伎らしい仕掛けは見事で、江戸の昔、良くこんなトリックを思いついたものだと感心することしきり。ただ疑問に思ったのは例の「蛍狩り」の蛍の表現。今回レーザーライトでやっていた(多分)が、30年前はどうしていたのか。江戸の昔は。

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 電話で聞くとチケットは完売で、相変わらず幕見で見たが、新歌舞伎座になって幕見のシステムも少し変わっていた。並ぶと順番に整理券が貰えて開演20分前に再び4階に番号順に並ぶ、ということに。以前のチケットを買ったら息を切らせながらあの長い階段を上っていくというのはもうなくて、エレベーターで行く。便利になったが味気ない気もした。また、地下鉄東銀座駅構内がおみやげ売り場になっていて、以前は幕見の客は係りに断って館内に入れてもらうというルールだったので、これは前より良い。また隣に「富士そば」ができて、芝居がはけた後、ちょっとかっこんで行くのにこれも良い。

 今回は通し狂言だったので全部見たが、幕見があるとまた気軽に芝居に足が向くというもの。もともと歌舞伎座でこうして観劇を始めたのでなんだか懐かしさもあった。来月は「梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)」かな。おかえり歌舞伎座。

 

 PS ついでにもう一つ書くと、序幕 「宅悦地獄宿の場」の宅悦女房役であの中村屋の小山三が出ていた。絶品。

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