7・旗
初め君は地上5mくらいまでゆっくりと昇っていった。そう、手を離した風船が、スーッと浮き上がっていく時みたいにゆっくりと。そして君のブーツの底がハッキリと見えた。随分と歩き回ったのか、踵の部分がかなり擦り減っていた。右手にはピック・ガードに傷の入ったギターを持ち、首からハーモニカ・ホルダーを下げて、頭にはアダムスキー型UFOの形をした大きな黒い帽子。あれ、スナフキン、ラピュタの飛行石を持っていたのかい?それなら隠さないで見せてくれても良かったじゃないか、そうやって不敵な笑みを浮かべて僕を見下ろしているところなんざ、まるで昔見た『ルパン三世』のワンシーンみたいだぜ・・・・。僕がそう言おうとすると、突然、君は全身を発光させ、びゅん!と音をたて、あっという間に夕暮れの、だんだんと暗くなっていく空に飛んで行ってしまった。風は一瞬辺りの木々を激しく揺らし、それから僕はあわててその光の軌道を目で追った。緑と赤の光。右目は緑、左目は赤。光のラインはひこうき雲のように子午線をなぞり、そして僕の住む街の上空に大きなアーチを架けた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
☆
その日の夢はいつまでも脳裏に焼きついたままだった。それにあの夕暮れの風の匂いも。僕はベッドに身体を起し、一度自分の顔を撫でその輪郭を確かめた。夢の印象が強すぎて、一瞬、どちらが夢でどちらが現実か分からなかったから。
でも、何故そんな夢を見たのかは分かっていた。それはあの歌のせいだ。昨日入ったラーメン屋で偶然流れていたあの歌。
それが僕に懐かしい君を思い出させたからだよ。スナフキン。
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「カメラマンのアシスタントなんてさあ、どうやって人間としてのプライドを保っているのか、オレには分からないね。だって、写真なんてピントを合わせてシャッターを押せば、誰だって写せるじゃん。なのに、そんな訳のわかんないオッサンに一日中ペコペコして、駆け回って、それって写真撮るってことと全然関係ないよ。どうかしてるよ、お前。」
その夜、下北沢の小さなライブハウスで行われたスナフキンのライブに僕は間に合わなかった。それで今、スナフキンは少し怒っているのだ。ちょっと前だったらそんなことは絶対無かったのに。いつもなら僕が舞台下にいて、一曲目からアンコールまで彼が歌う姿を、中古のキャノン2台で撮りまくるのが常だったのだ。でもその夜、仕事が終わりようやく駆けつけると、すでにアンコール曲が歌われていて、それもあともう一回サビをリフレインすれば終わりというところまできていた。それでカメラをバッグから取り出す余裕もなく、仕方なく僕は打ち上げの席にだけ参加する形になってしまった。
それもこれも原因はそれまでのフリーター暮らしを止めて僕が就職したからだった。それで、いろんな点で付き合いの悪くなった僕にスナフキンはここのところ苛々していたから、今日のようなことがあると怒りはなお更だった。「オレさあ、今日、お前が撮ってくれた写真で次のライブのDM作ろうと思ってたんだよねえ、予定狂ちゃったじゃんよぉ、もう。」
スナフキンはラム酒で酔って、まくし立てた。彼にそう言われると、僕は写真を撮れなかったという以上に、これまでずっと二人の間で無言のうちに了解し合っていた“何か”を裏切ってしまったような、後ろめたさに囚われていった。
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スナフキンは自分のオリジナルとアメリカのトラディショナル・フォークをレパートリィとするシンガーだった。吉祥寺の公園や下北沢のライブハウスで良く歌っていて、バンドを率いての時もあればソロのときもあった。僕は彼と遺跡発掘のアルバイト先で知り合い、すぐ意気投合した。
砂塵を旅するウッディ・ガスリー、『路上』のサル・パラダイスとディーン・モリアーティ、パリのエルスケン、戦場のロバート・キャパ、ニューヨークに来たばかりのボブ・ディラン、映画『ブルー・ベルベッド』のデニス・ホッパー、ジョン・レノン、ボブ・マーリー・、『Visters』を作った佐野元春、メイプル・ソープ、バスキア・・・・あの頃、僕ら二人は自由を標榜する人や歌や“頭のぶっ飛んだ”表現なら何でもかんでも信じていて、その逆の、常識的なモラルや世間のルールに従った、当たり前の価値観や生き方をごく自然に嫌悪していた。「未来と過去は思考の中にしかない」。どこから借りてきたセリフなのかそれがスナフキンの口癖だった。「いいか、“い”と“ま”の間、そ、その間なんだよ!」と、酔うと興奮して彼はいつもそう叫んだ。
僕らは良く一緒に旅をした。ツアーと称した彼のバンドやソロで行われる各地での演奏旅行に、僕がカメラマンとして同行したのだ。オンボロのワゴン車、予算不足のための鈍行列車、キセル乗車、ストリート・ライブでの資金調達、ヒッチハイク。そして土地土地の女の子たち。旅が困難なら困難なほど僕らには面白くて、それはツアーと言うより、自由を試す実験的?で、出鱈目な巡礼だった。旅の間中、僕らは笑っていた。ずっと笑っていた。女たらしで大嘘つきのスナフキン。野外ステージの裏にあった水のないプールに酔ってダイブし、大怪我したスナフキン。贈り物好き、プレゼント上手のスナフキン。散々飲んだ後で金が無いのに気付き、店を抜け出して、夜の町を僕と一緒に走ったスナフキン。
だから僕が我流で覚えたカメラに限界を感じ、ちゃんとプロの技術を身に付けたいと、とあるスタジオに就職すると言った時、初め彼は笑って本気にしなかった。「写真なら今ので十分サイコーだよ。」と彼は言った。それから、ちょっと怒ったように「そんな当たり前なこと言うなよ。」とも。
結局、その打ち上げの席は険悪なムードに終始した。スナフキンの機嫌はどんどんと悪くなって、テーブルやカウンターに座るバンドのメンバーや他の客達の言葉尻にいちいちに難癖をつけた。時に殴り合いにこそならなかったけれど、かなり激しい言い合いになったりして、それでライブハウスのスタッフの一人にようやく止められていた。僕はそもそもの原因が自分にあると感じ、いたたまれなかった。
僕はビールを何杯か飲んだ後、誰にも挨拶をせずそっと店を出た。入った時は星空だったのに、弱い雨が降り始めていて、信号が変るたび濡れた路面が赤や緑に光っていた。
☆
秋の夜だった。その後、僕は勤めて何ヶ月経っても仕事に慣れなかった。プロの技術を・・・なんて言っていたが、アシスタントの仕事はようするに呈のいい使い走りで、それで毎日毎日、年下の先輩とやらに怒鳴られてばかりいた。重いカメラバックを幾つも持たされ、レフ板で光を飛ばし・・・。風の噂に仲間内では僕がいつ仕事を辞めるかという賭けが始まっているらしくて、今が本命、この9月に多くが賭けているらしかった。皆が飲んで騒いでいるいつもの店に「当たりー!」と叫んで入っていけたら随分気が楽になるだろうと思って、実はもう半分以上、僕はその気になり始めていた。
突然、部屋の電話が鳴った。スナフキンからだった。僕はあの下北の一件以来、自分から彼に電話をするのを止めていて、スナフキンからも連絡は一切なかった。だから彼の声を聞くのはその時にしてすでに懐かしく感じられた。「今さー、お前えんちの近くにいてさあ。ちょっと来なよー。」声からして彼は酔っていた。
その日は珍しく仕事が早く終わった土曜日の夜で、明日は数週間ぶりの休みという気楽さも手伝ってか、僕は久ぶりにスナフキンと飲むことにした。
吉祥寺の居酒屋は込んでいてうるさかった。スナフキンは昼間から何処かで飲んでいたらしく、酔って赤ら顔をしていたが、口調はまだ全然ハッキリしていた。そして会って第一声「お前の就職祝い、まだしてなかったじゃん。」と言った。後で人づてに聞いて知ったのだが、その日、スナフキンは自分のバンドを解散したのだった。何が原因だったのかは知らないが、今思い出すとその時のスナフキンはいつもの自信満々なスナフキンじゃなく、始終寂しそうで、とても優しかった。そして僕はと言えば、そんな事情を知る由も無く、久しぶりにスナフキンに会えたのがやはり嬉しくて、ビールをがぶ飲みし、相当に酔っ払った。スナフキンも「いいね!いいね!」と言ってどんどんと僕にビールを注文してくれた。
何件店を回ったのか、3件目までは覚えていたが、そこから先を僕は覚えていない。気が付くと真夜中に僕らは井の頭公園の野外ステージの客席に座っていて、スナフキンはケースからギターを取り出し、とてもキレイなアルペジオを弾いていた。そして周囲から鈴虫の鳴く声が微かに聞こえた。
「起きたあ?」とスナフキンが言った。
「まだ飲むの?」と僕が聞いた。
土曜の夜なので公園にはまだ人はいたが、アベックが多くて意外なほどに静かだった。そしてスナフキンはと言うとギター片手にヨロヨロと立ち上がり、僕を手招きするとボート小屋の方に歩き始めた。「今日はさあ、」と、空の半月に吠えるようにスナフキンは言った。「お前の就職祝いだからさあ。」
そして彼は柱伝いにボート小屋の屋根にするするとよじ登ると、そこから下のボートの一艘に“どん!”と飛び降りた。彼は見た目よりも随分と身軽なのだ。野次馬達が数人、しばらく見ていたがすぐに行ってしまった。僕が狐につままれたようにしていると、秋の夜空にちゃぷ、ちゃぷ、ゆっくりとした気持ちの良い音が響いて、彼がオールでボートを漕いで僕の方にやって来た。
「ギター乗せてくんない?お前も乗りなよ。」スナフキンは言った。「ポッカリ月が出ましたら、舟を浮かべて出かけませう。」
僕がギターと一緒に乗り込むと彼は池の中央に向かってボートを漕ぎ始めた。ボートにはいつの間にか、「しんりゅうちゅう」という中国の酒も乗っていて、それはきっとスナフキンがポケットに隠し持っていたのだと思う。彼はその酒を壜から直接ラッパ飲みして、静かにボートを漕いでいった。
「こないださあ、夜中やってた映画でさあ、アメリカの70年代の大学生の話なんだよね。それで大学に入学したばかりの頃、仲間同士で、なんか砂漠みたいなところに行ってドンペリニヨンを埋めるんだけど、卒業する時にさあ、もう一度皆でそのドンペリ、掘り返しに行く旅に出るんだよ。ベトナムに徴兵されるやつなんかもいたりして。でも・・・ドンペリってずっと埋めたままで、時間が経っても美味いのかね。」とスナフキンが言った。
「スナフキン、僕は別に徴兵されたわけじゃあないぜ。それにこの池の何処かにドンペリが沈んでいるわけでもあるまいに。」と僕が言うと“ワーハッハッハ!”といつもの調子で彼は大笑いした。
「戦争とかだとさ、自分達が征服した土地に旗とか立てるじゃん。でもなあ、この池に旗は立てらんないしなあ。」そう、彼が言い始めた頃、ボートは丁度池の中央部に到着した。そして彼は旗を立てる代わりにと思ったのか、僕からギターを取り返すと、「じゃ、祝いに。」と一言言って、それから静かに歌い始めた。
それは聞いたことのないメロディーだった。彼のオリジナルなら知らぬ曲はないと自負していた僕にも、それは初めて耳にする歌だった。言葉は日本語でも英語でもなくて、とても不思議な響きだった。僕と知り合うずっと以前に彼はタイを旅したことがあるといつか言っていたから、それはその辺りの歌なのだろうか。歌い終わった後、僕が歌の題名を聞くとスナフキンはすぐ教えてくれたが、僕は半分酔っ払っていたので、すっかり忘れてしまった。
次に早く気が付いたのは僕のほうだった。霧が出ていて、空は少しづつ白み始めていた。スナフキンは火曜サスペンス劇場で毒薬を飲まされて死んだ人のように“しんりゅうちゅう”の空き瓶を片手にボートの中うつぶせに倒れていた。僕が身体をゆするとすぐに気が付いたが、一瞬、自分が何処にいるのか分からなかったようで、かき混ぜたヨーグルトみたいな曇り空をしばらく眺めていた。それから少しして「塩バタラーメン」と、スナフキンは呟いた。
「なんで、酒飲んだ後って、ラーメン食いたくなるのかなあ。」スナフキンがオールを2、3度漕ぐと、舟は岸に着き、霧の中、僕らはDデイの兵士のように上陸した。「オレの場合は、それが決まって塩バタラーメンなんだよね」。
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20世紀後半のあの夜、そのようにして僕らの“ある季節”は終わった。その後、大きな泡は弾け、世の中はやがてディランの『時代は変る』の詞みたいになっていく。しかし、先頭がビリにはなっても、僕らのような人間がトップになることなどは決してなかった。秋が終わり冬になろうとする頃、僕の仕事は益々忙しくなって、僕はもうスナフキンと会うことはなくなった。
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昨日、甲州街道沿いのラーメン屋で20年ぶりにあの歌を聞いた。今もって内容も何処の国のものなのかも分からない歌だけど、とても懐かしかった。スナフキン、あの時、君が歌ってくれたあの歌は僕にとってずっと「旗」のようだ。一体、何を征服し、何を目印にしたものなのかは分からないけど。
2年前、人伝に君の訃報を耳にした時、僕がどう思ったか教えてやろうか。僕は昔からずっと、君を宇宙人だと思っていて、それで君はこの星での遊びに飽きて、とっとと自分の星に帰っちゃったんだなと思った。君が作ったオリジナルにも確かそんな内容の歌があったから。それからあの真夜中の井の頭公園のボートの上で、あの後話したことを思い出した。僕はいつか下らないアシスタントの仕事なんか辞めて、フリーになって、それで世界中の朝日を撮りに行くって君に言ったんだよな。ニューヨークの街角やホピ族の村や、色んな戦場やら南極やらに行って、昇る朝日を撮って、それを何処かのスペースにぐるっと飾ってさ、それでその真ん中で君に歌ってもらう、って、そんな話をしたな。そしたら君が「それ、サイコー、それサイコー、お前それ絶対やれよ!」て、急に興奮するもんだからボートがひっくり返りそうになって参ったよ。
で、スナフキン、今、僕が何処にいるか分かるかい?これが自分の住む街を一望できる丘陵公園にいるんだよ。今朝、君の夢を見て、色んなことを思い出して、それで何年も埃をかぶったままにしていたキャノンを持って朝日を撮ろうとしてるってんだから笑っちゃうだろう。ま、世界中の、なんて風呂敷広げすぎないで、まず自分の足元からってことでさ。妻や子供達が眠っているのを起さないようにしてポットにコーヒーを入れて、それでこっそり一人車で此処まで来たってわけ。まだ回りは薄暗くて肌寒いけど、そろそろ早起きの人々が家の電気をポツリポツリと点けて、まるでバースディー・ケーキのキャンドルに一つづつ火が灯されるみたいで、とてもきれいだよ。
薄墨色の山の向こうに、今、ゆっくりと人工衛星が回って来てそれは緑と赤の光を点滅している。スナフキン、今朝の夢からすると、あれは君なのだろう?飛び去った時は凄いスピードだったけど、大気圏を突破して、周回軌道上に入り、君もノンビリこの朝を眺めているってわけか。
応答せよ、スナフキン、そこから見える地球はどうですか?君がよく歌っていたように美しいですか?アリゾナの砂漠はどう?アフリカのキリンやライオンは?南極の白熊は?フィリピンやアマゾンの熱帯雨林は?街角の巨大スクリーンの中で高速で咲くバラはキレイ?フランスの今年の葡萄の出来は?女の子達は可愛い?子供達は可愛い?そしてイラクやアフガンの戦場は?
応答せよ、スナフキン。それで、それで・・・あのメロディーはナンだっけ?
BGM BUMP OF CHIKEN『メロディー・フラッグ』
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