7・旗

 初め君は地上5mくらいまでゆっくりと昇っていった。そう、手を離した風船が、スーッと浮き上がっていく時みたいにゆっくりと。そして君のブーツの底がハッキリと見えた。随分と歩き回ったのか、踵の部分がかなり擦り減っていた。

 右手にはピック・ガードに傷の入ったギターを持ち、首からハーモニカ・ホルダーを下げて、頭にはアダムスキー型UFOの形をした大きな黒い帽子。あれ、スナフキン、ラピュタの飛行石を持っていたのかい・・・・。僕がそう言おうとすると、突然、君は全身を発光させ、びゅん!と音をたて、あっという間に夕暮れの、だんだんと暗くなっていく空に飛んで行ってしまった。風は一瞬辺りの木々を激しく揺らし、それから僕はあわててその光の軌道を目で追った。緑と赤の光。右目は緑、左目は赤。光のラインはひこうき雲のように子午線をなぞり、そして僕の住む街の上空に大きなアーチを架けた。

                   ☆  

 その日の夢はいつまでも脳裏に焼きついたままだった。それにあの夕暮れの風の匂いも。僕はベッドに身体を起し、一度自分の顔を撫でその輪郭を確かめてから壁の鏡を見た。夢の印象が強すぎて、一瞬、どちらが夢でどちらが現実か分からなかったのだ。

 でも、何故そんな夢を見たのかは分かっていた。それはあの歌のせいだ。昨日入ったラーメン屋で偶然流れていたあの歌。

 それが僕に懐かしい君を思い出させたからだよ。スナフキン。

               ☆

 「カメラマンのアシスタントなんてさあ、どうやって人間としてのプライドを保っているのか、オレには分からないね。だって、写真なんてピントを合わせてシャッターを押せば、誰だって写せるじゃん。なのに、そんな訳のわかんないオッサンに一日中ペコペコして、駆け回って、それって写真撮るってことと全然関係ないよ。どうかしてるよ、お前。」

 その夜、下北沢の小さなライブハウスで行われたスナフキンのライブに僕は間に合わなかった。それで今、スナフキンは少し怒っているのだ。ちょっと前だったらそんなことは絶対無かったのに。いつもなら僕が舞台下にいて、一曲目からアンコールまで彼が歌う姿を、中古のキャノン2台で撮りまくるのが常だったのだ。でもその夜、仕事が終わりようやく駆けつけると、すでにアンコール曲が歌われていて、それもあともう一回サビをリフレインすれば終わりというところまできていた。それでカメラをバッグから取り出す余裕もなく、仕方なく僕は打ち上げの席にだけ参加する形になってしまった。

 それもこれも原因はそれまでのフリーター暮らしを止めて僕が就職したからだった。それで、いろんな点で付き合いの悪くなった僕にスナフキンはここのところ苛々していたから、今日のようなことがあると怒りはなお更だった。「オレさあ、今日、お前が撮ってくれた写真で次のライブのDM作ろうと思ってたんだよねえ、予定狂ちゃったじゃんよぉ、もう。」

 スナフキンはラム酒で酔って、まくし立てた。彼にそう言われると、僕は写真を撮れなかったという以上に、これまでずっと二人の間で無言のうちに了解し合っていた“何か”を裏切ってしまったような、後ろめたさに囚われていった。

                ☆  

 スナフキンは自分のオリジナルとアメリカのトラディショナル・フォークをレパートリィとするシンガーだった。吉祥寺の公園や下北沢のライブハウスで良く歌っていて、バンドを率いての時もあればソロのときもあった。僕は彼と遺跡発掘のアルバイト先で知り合い、すぐ意気投合した。

 砂塵を旅するウッディ・ガスリー、『路上』のサル・パラダイスとディーン・モリアーティ、パリのエルスケン、戦場のロバート・キャパ、ニューヨークに来たばかりのボブ・ディラン、映画『ブルー・ベルベッド』のデニス・ホッパー、ジョン・レノン、ボブ・マーリー・、『Visters』を作った佐野元春、メイプル・ソープ、バスキア・・・・あの頃、僕ら二人は自由を標榜する人や歌や“頭のぶっ飛んだ”表現なら何でもかんでも信じていて、その逆の、常識的なモラルや世間のルールに従った、当たり前の価値観や生き方をごく自然に嫌悪していた。「未来と過去は思考の中にしかない」。どこから借りてきたセリフなのかそれがスナフキンの口癖だった。「いいか、“い”と“ま”の間、そ、その間なんだよ!」と、酔うと興奮して彼はいつもそう叫んだ。

 僕らは良く一緒に旅をした。ツアーと称した彼のバンドやソロで行われる各地での演奏旅行に、僕がカメラマンとして同行したのだ。オンボロのワゴン車、予算不足のための鈍行列車、キセル乗車、ストリート・ライブでの資金調達、ヒッチハイク。そして土地土地の女の子たち。旅が困難なら困難なほど僕らには面白くて、それはツアーと言うより、自由を試す実験的?で、出鱈目な巡礼だった。旅の間中、僕らは笑っていた。ずっと笑っていた。女たらしで大嘘つきのスナフキン。野外ステージの裏にあった水のないプールに酔ってダイブし、大怪我したスナフキン。贈り物好き、プレゼント上手のスナフキン。散々飲んだ後で金が無いのに気付き、店を抜け出して、夜の町を僕と一緒に走ったスナフキン。

 だから僕が我流で覚えたカメラに限界を感じ、ちゃんとプロの技術を身に付けたいと、とあるスタジオに就職すると言った時、初め彼は笑って本気にしなかった。「写真なら今ので十分サイコーだよ。」と彼は言った。それから、ちょっと怒ったように「そんな当たり前なこと言うなよ。」とも。

 結局、その打ち上げの席は険悪なムードに終始した。スナフキンの機嫌はどんどんと悪くなって、テーブルやカウンターに座るバンドのメンバーや他の客達の言葉尻にいちいちに難癖をつけた。時に殴り合いにこそならなかったけれど、かなり激しい言い合いになったりして、それでライブハウスのスタッフの一人にようやく止められていた。僕はそもそもの原因が自分にあると感じ、いたたまれなかった。

 僕はビールを何杯か飲んだ後、誰にも挨拶をせずそっと店を出た。入った時は星空だったのに、弱い雨が降り始めていて、信号が変るたび濡れた路面が赤や緑に光っていた。

                 ☆

 秋の夜だった。その後、僕は勤めて何ヶ月経っても仕事に慣れなかった。プロの技術を・・・なんて言っていたが、アシスタントの仕事はようするに呈のいい使い走りで、それで毎日毎日、年下の先輩とやらに怒鳴られてばかりいた。重いカメラバックを幾つも持たされ、レフ板で光を飛ばし・・・。風の噂に仲間内では僕がいつ仕事を辞めるかという賭けが始まっているらしくて、今が本命、この9月に多くが賭けているらしかった。皆が飲んで騒いでいるいつもの店に「当たりー!」と叫んで入っていけたら随分気が楽になるだろうと思って、実はもう半分以上、僕はその気になり始めていた。

 突然、部屋の電話が鳴った。スナフキンからだった。僕はあの下北の一件以来、自分から彼に電話をするのを止めていて、スナフキンからも連絡は一切なかった。だから彼の声を聞くのはその時にしてすでに懐かしく感じられた。「今さー、お前えんちの近くにいてさあ。ちょっと来なよー。」声からして彼は酔っていた。

 その日は珍しく仕事が早く終わった土曜日の夜で、明日は数週間ぶりの休みという気楽さも手伝ってか、僕は久ぶりにスナフキンと飲むことにした。

 吉祥寺の居酒屋は込んでいてうるさかった。スナフキンは昼間から何処かで飲んでいたらしく、酔って赤ら顔をしていたが、口調はまだ全然ハッキリしていた。そして会って第一声「お前の就職祝い、まだしてなかったじゃん。」と言った。後で人づてに聞いて知ったのだが、その日、スナフキンは自分のバンドを解散したのだった。何が原因だったのかは知らないが、今思い出すとその時のスナフキンはいつもの自信満々なスナフキンじゃなく、始終寂しそうで、とても優しかった。そして僕はと言えば、そんな事情を知る由も無く、久しぶりにスナフキンに会えたのがやはり嬉しくて、ビールをがぶ飲みし、相当に酔っ払った。スナフキンも「いいね!いいね!」と言ってどんどんと僕にビールを注文してくれた。

 何件店を回ったのか、3件目までは覚えていたが、そこから先を僕は覚えていない。気が付くと真夜中に僕らは井の頭公園の野外ステージの客席に座っていて、スナフキンはケースからギターを取り出し、とてもキレイなアルペジオを弾いていた。そして周囲から鈴虫の鳴く声が微かに聞こえた。

「起きたあ?」とスナフキンが言った。

「まだ飲むの?」と僕が聞いた。

 土曜の夜なので公園にはまだ人はいたが、アベックが多くて意外なほどに静かだった。そしてスナフキンはと言うとギター片手にヨロヨロと立ち上がり、僕を手招きするとボート小屋の方に歩き始めた。「今日はさあ、」と、空の半月に吠えるようにスナフキンは言った。「お前の就職祝いだからさあ。」

 そして彼は柱伝いにボート小屋の屋根にするするとよじ登ると、そこから下のボートの一艘に“どん!”と飛び降りた。彼は見た目よりも随分と身軽なのだ。野次馬達が数人、しばらく見ていたがすぐに行ってしまった。僕が狐につままれたようにしていると、秋の夜空にちゃぷ、ちゃぷ、ゆっくりとした気持ちの良い音が響いて、彼がオールでボートを漕いで僕の方にやって来た。

「ギター乗せてくんない?お前も乗りなよ。」スナフキンは言った。「ポッカリ月が出ましたら、舟を浮かべて出かけませう。」

 僕がギターと一緒に乗り込むと彼は池の中央に向かってボートを漕ぎ始めた。ボートにはいつの間にか、「しんりゅうちゅう」という中国の酒も乗っていて、それはきっとスナフキンがポケットに隠し持っていたのだと思う。彼はその酒を壜から直接ラッパ飲みして、静かにボートを漕いでいった。

「こないださあ、夜中やってた映画でさあ、アメリカの70年代の大学生の話なんだよね。それで大学に入学したばかりの頃、仲間同士で、なんか砂漠みたいなところに行ってドンペリニヨンを埋めるんだけど、卒業する時にさあ、もう一度皆でそのドンペリ、掘り返しに行く旅に出るんだよ。ベトナムに徴兵されるやつなんかもいたりして。でも・・・ドンペリってずっと埋めたままで、時間が経っても美味いのかね。」とスナフキンが言った。

「スナフキン、僕は別に徴兵されたわけじゃあないぜ。それにこの池の何処かにドンペリが沈んでいるわけでもあるまいに。」と僕が言うと“ワーハッハッハ!”といつもの調子で彼は大笑いした。

「戦争とかだとさ、自分達が征服した土地に旗とか立てるじゃん。でもなあ、この池に旗は立てらんないしなあ。」そう、彼が言い始めた頃、ボートは丁度池の中央部に到着した。そして彼は旗を立てる代わりにと思ったのか、僕からギターを取り返すと、「じゃ、祝いに。」と一言言って、それから静かに歌い始めた。

 それは聞いたことのないメロディーだった。彼のオリジナルなら知らぬ曲はないと自負していた僕にも、それは初めて耳にする歌だった。言葉は日本語でも英語でもなくて、とても不思議な響きだった。僕と知り合うずっと以前に彼はタイを旅したことがあるといつか言っていたから、それはその辺りの歌なのだろうか。歌い終わった後、僕が歌の題名を聞くとスナフキンはすぐ教えてくれたが、僕は半分酔っ払っていたので、すっかり忘れてしまった。

次に早く気が付いたのは僕のほうだった。霧が出ていて、空は少しづつ白み始めていた。スナフキンは火曜サスペンス劇場で毒薬を飲まされて死んだ人のように“しんりゅうちゅう”の空き瓶を片手にボートの中うつぶせに倒れていた。僕が身体をゆするとすぐに気が付いたが、一瞬、自分が何処にいるのか分からなかったようで、かき混ぜたヨーグルトみたいな曇り空をしばらく眺めていた。それから少しして「塩バタラーメン」と、スナフキンは呟いた。

「なんで、酒飲んだ後って、ラーメン食いたくなるのかなあ。」スナフキンがオールを2、3度漕ぐと、舟は岸に着き、霧の中、僕らはDデイの兵士のように上陸した。「オレの場合は、それが決まって塩バタラーメンなんだよね」。

              ☆  

 20世紀後半のあの夜、そのようにして僕らの“ある季節”は終わった。その後、大きな泡は弾け、世の中はやがてディランの『時代は変る』の詞みたいになっていく。しかし、先頭がビリにはなっても、僕らのような人間がトップになることなどは決してなかった。秋が終わり冬になろうとする頃、僕の仕事は益々忙しくなって、僕はもうスナフキンと会うことはなくなった。

              ☆

 昨日、甲州街道沿いのラーメン屋で20年ぶりにあの歌を聞いた。今もって内容も何処の国のものなのかも分からない歌だけど、とても懐かしかった。スナフキン、あの時、君が歌ってくれたあの歌は僕にとってずっと「旗」のようだ。一体、何を征服し、何を目印にしたものなのかは分からないけど。

 2年前、人伝に君の訃報を耳にした時、僕がどう思ったか教えてやろうか。僕は昔からずっと、君を宇宙人だと思っていて、それで君はこの星での遊びに飽きて、とっとと自分の星に帰っちゃったんだなと思った。君が作ったオリジナルにも確かそんな内容の歌があったから。それからあの真夜中の井の頭公園のボートの上で、あの後話したことを思い出した。僕はいつか下らないアシスタントの仕事なんか辞めて、フリーになって、それで世界中の朝日を撮りに行くって君に言ったんだよな。ニューヨークの街角やホピ族の村や、色んな戦場やら南極やらに行って、昇る朝日を撮って、それを何処かのスペースにぐるっと飾ってさ、それでその真ん中で君に歌ってもらう、って、そんな話をしたな。そしたら君が「それ、サイコー、それサイコー、お前それ絶対やれよ!」て、急に興奮するもんだからボートがひっくり返りそうになって参ったよ。

 で、スナフキン、今、僕が何処にいるか分かるかい?これが自分の住む街を一望できる丘陵公園にいるんだよ。今朝、君の夢を見て、色んなことを思い出して、それで何年も埃をかぶったままにしていたキャノンを持って朝日を撮ろうとしてるってんだから笑っちゃうだろう。ま、世界中の、なんて風呂敷広げすぎないで、まず自分の足元からってことでさ。妻や子供達が眠っているのを起さないようにしてポットにコーヒーを入れて、それでこっそり一人車で此処まで来たってわけ。まだ回りは薄暗くて肌寒いけど、そろそろ早起きの人々が家の電気をポツリポツリと点けて、まるでバースディー・ケーキのキャンドルに一つづつ火が灯されるみたいで、とてもきれいだよ。

 薄墨色の山の向こうに、今、ゆっくりと人工衛星が回って来てそれは緑と赤の光を点滅している。スナフキン、今朝の夢からすると、あれは君なのだろう?飛び去った時は凄いスピードだったけど、大気圏を突破して、周回軌道上に入り、君もノンビリこの朝を眺めているってわけか。

 応答せよ、スナフキン、そこから見える地球はどうですか?君がよく歌っていたように美しいですか?アリゾナの砂漠はどう?アフリカのキリンやライオンは?南極の白熊は?フィリピンやアマゾンの熱帯雨林は?街角の巨大スクリーンの中で高速で咲くバラはキレイ?フランスの今年の葡萄の出来は?女の子達は可愛い?子供達は可愛い?そしてイラクやアフガンの戦場は?

 応答せよ、スナフキン。それで、それで・・・あのメロディーはナンだっけ?

           

   BGM  BUMP OF CHIKEN『メロディー・フラッグ』

 

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6・花火

 焼けたアスファルトに陽炎が揺らめくのをオレは道路脇に寝転がりながら、じっと眺めていた。

 アスファルトの逃げ水には空の青さと雑木林の緑が映り、時折、頭上で旋回するトンビの直線的な鳴き声が、自転車をこぎ続けて疲れた体に染み入ってくるようだった。太陽は傲岸不遜に上空の一番高い所に居座り続け、地上のものすべてを焼き尽くそうとしていた。

 その夏は異常な暑さだった。テレビやラジオは「観測史上初めて」という言葉を何度もわめき立てていた。毎朝、自分の額や首筋を流れ伝う汗の不快さで目を覚ました。

 どのくらいそうしていただろうか?やがて逃げ水に影が映った。初め豆粒のようだった影は次第に大きくなり、それは自転車を立ちこぎする男の姿だった。

 男は車のほとんど走ってこない傾斜した道路の車道部分を必死の形相でこちらに向かってくる。現実の男と逃げ水に映る男の影が上下になって近づいてくる絵は、なんだか幻が段々と実態を帯びて迫ってくるようだった。オレは寝ていた体を起こし、男が目の前を通り過ぎて行くのを待ち構えるような姿勢になり目を凝らした。

 先に声をかけて来たのは男の方だった。自分と同様の自転車乗りが寝転がっている姿を見て、休もうと思ったのか、傾斜が終わり道が平坦になった辺りから自転車を降り、手で押しながら、ゆっくりとオレに近づいてきた。

『あのう、もし、空気入れを持っていたら貸していただけませんか?』と、最初、男は息を切らしながらそう言った。

 同じ自転車に乗る者同志と言っても、オレと男には見た目にも大きな違いがある。コスチューム、ヘルメット、防虫用のサングラス。服装もそうだが、一番大きな違いは自転車だ。何でも形から入るオレは、今回、旅するにあたって結構本格的なロードレース用の自転車を買った。そして装備も万全にしてリュックの中には携帯用の空気入れもちゃんと入っている。それに比べ男はママチャリで服装も土木作業員が履く作業ズボンにワークシャツと、今、家の近くのコンビニに煙草を買いに行く所と言っても可笑しくないスタイルだった。荷物は何も持っていなかった。

 『パンクしているっていうわけじゃないんですけど、なんか空気が少なくて、こいでて気持ち悪いんですよ。』

 男は多分、三十~四十代。頭を何度も下げ、一見して、気弱そうな印象だった。聞く所によると、男はそんなスタイルで随分遠くまで行くつもりらしくて、何処から来たのか、出発して2日目だと言った。何か訳ありのようだっだか、勿論、オレは聞かなかった。

 どういう会話の成り行きでそうなったかは良く覚えていない。が、“東京に着くまで”ということでオレ達は途中まで一緒に旅することになった。ママ・チャリと併走して行かなければいけないのは気が重かったが、そもそもこちらにしたって何か目的があっての旅ではない。オレが「いいよ。」と言うと、男は上目遣いでオレを見て、そしてにっこりと笑った。

               ☆

 『マヨネーズ?』とオレは聞き返した。

 長野県の路上で出逢った後、数日たってオレ達は神奈川県の相模湖まで来ていた。立ち寄った湖畔のレストランで男はスパゲッティを食べながら、人の顔を見もせず、独り言のように自分の旅の目的をぶつぶつと話し始めた。オレはその話が余りに荒唐無稽な気がして、周囲から現実感が急激に失われていくのをオムライスを食べながら黙って耐えた。

 『私の田舎じゃ、冷やし中華にはマヨネーズが付いてネ。』と、男は言った。そして殺人罪で長く服役した後、先月、出所してきたばかりだとも。

 「えー、うっそだあー!!」と、オレは“そう、嘘、ガハハハハ”みたいな展開を促すように言ってみたが、男はそれには無反応だった。

 男には昔、連れ添った女がいて、女は先月、とある町でラーメン屋を開店したらしい。それで男はあることを確かめるために自転車でその店まで行くのだと言う。

『昔、二人で店をやろうなんて言ってメニューなんかをあれこれ考えていた頃、うちのやつにそれを言うと気持ち悪がってね。“絶対、そんなのメニューに入れない!”って言われました。』

 出所する時、男は女に手紙を出したのだと言う。『もし、自分を待っていてくれているんなら、マヨネーズを付けた冷やし中華をメニューに入れておいてくれって、ネ。』

『なんか、どっかで聞いたことがある話だなぁ。』オレは飲んでいる水を吹き出しそうになった。結局、オレはその女の店まで、男に付き合うことになった。

                     ☆ 

 酷い暑さだった。数キロ走るごとに休憩を取り、水分を補給しないとすぐ熱射病になる恐れがあった。オレ達は相模湖畔から甲州街道をひた走り、八王子、立川、国分寺、府中、調布を抜け、新宿、四谷へと至り、内堀り通りから晴海通りを経て、海沿いのコースを取った。

 東京湾の水が見えたとき、男は“うぉーい”と歓声を上げた。彼が育ったのは太平洋を望む漁港で、海が見えただけでも、もう郷里に帰ってきた気がするらしかった。さらに数日かけてオレ達はそこから湾岸通りを市川、船橋、習志野、千葉市へと進んで、千葉県の“ウエスト”の部分を126号線で横断し、東金市から再び海へ出た。男の話では後はひたすらこの太平洋沿岸を北上していけば、女の店があるということだった。

 海沿いの道を走るのは気持ちよかった。暑さは相変わらずでも海からの風が体に篭った熱を冷ましていくようで、空気の悪い都心を四苦八苦して走っていた頃に比べると、走り易さは大違いだった。途中、オレ達は何度か自転車を止め、浜に降り、裸足になってくるぶしまで海に浸かると、防波堤の上で休息した。

                     ☆

 ・・・・・・・太陽の光と白球とが一瞬、重なり、足元にぼとっと、音がした。三塁ランナーが狂喜してホームベースを踏むのが見えた。仲間は誰もオレを責めなかったが、それが余計に辛かった。夏の高校野球地区予選決勝。オレはそれ以来、一度もボールを握っていない・・・・・あの時と同じ太陽・・・・・・。防波堤で見る夢は、何故かあの瞬間のことばかりだった。ペダルをこいでいる時は無心でいられるので、この暑さだって言うのに俺は走っている方が楽に思えた。

 太平洋沿岸の道に出ると、途端にのどかな風景に変った。別に急いでいないオレ達は青い海と田園の緑の風景の絵にすっかり溶け込んで、何処までも自転車をこいで行った。男の自転車は途中、何度もパンクし、その度オレが直してやった。段々、パンクとパンクの間隔が短くなってきたが、それは休息の合図ということにした。今度、道中、自転車屋を見つけたらタイヤごと変えた方が良さそうだった。

 夏、このコースをオレ達のような旅をする者にとって一つだけ良いことは、要所要所に海水浴場があることだった。オレ達は疲れると海の家で食事をして、パラソルを借りて浜で寝て、また水着の女の子を眺めながら筋肉痛の足をマッサージし続けた。そして夜も昼間の延長のようにして砂の上で眠った。場所によっては海の家でバイトする女の子と仲良くなって、オレは一度、女の子の軽に乗って近くのモーテルに一緒に泊まりに行ったりもした。

 ケンさん、とオレは男を呼んだ。その頃までにはオレは男とすっかり打ち解けて、半分冗談でそんな風に呼ぶようになっていた。旅の理由が理由なだけに男も特に否定はしなかったが、本当のところ、男は高倉健になんて全然似ていなかった。

 夜、海の家でビールを飲みながら色んな話をした。学校を出た後、横浜の中華料理店で働き、そこで女と知り合ったこと。開店資金を騙し取られ、返してもらおうと直談判に行った先で袋叩きにされ、偶然近くにあったナイフで相手を一突きしてしまったこと・・・・・。オレはこの風采の上がらない男の過去にそんなドラマが秘められていること事態が何だか不思議な気がした。

『中にいる時、外に出たら一番したいと思っていたこと、なんだか分かります?』と、ケンさんが言った。

『自転車ですよ。自転車。車やバイクじゃなくてね、こう風の中を自転車でフラフラと旅したいなぁ、なんて、いつもそんなことばかり考えてて。だから、私、今、ホントに楽しいんです。』 

                     ☆

 茨城県の日立辺りの海水浴場に少し長逗留した後、オレ達は6号国道をさらに北上した。日付がいつだか、オレは曖昧になりかけていたが、昼、ドライブインで食事した時、店内のカレンダーを見ると8月15日となっていた。どおりで、交通量が多くなってきたと思った。お盆で帰省する車が高速道路が込んでいるせいで、下道に下りてきているのだった。

 夜の7時頃だった。辺りはまだ十分明るかった。オレ達は例によって一休みしようと海岸沿いの道に自転車を止めた。オレはかなり疲れた様子のケンさんを浜まで連れて行き休ませると、「晩飯買ってくる。」と言って、近くのコンビにまで歩き始めた。自転車で行けばとも思ったが、もう尻が相当に痛くて、歩いて行きたかった。自転車に乗っているとき確認した店だったが、歩くと結構な距離があった。その上、足の痛みもあって買い物をして戻るまでに思ったより時間がかかってしまった。周囲は少し暗くなりかけていた。

 初め、ケンさんの自転車が倒れているのが目に入った。上向きになった前輪のスポークがカラカラと回っていた。次に気が付いたのはオレの自転車が無いことだった。そして荷物も一緒に消えていた。荷物にはまとまった金と着替えと地図と一通りの道具が入っている。ケンさんを探すと、防波堤の裏側に血だらけになって倒れていた。驚いてオレは防波堤の階段を降り、ケンさんに問いただすと、まだ、半分子供のような顔つきの連中が、ゲームのようにバールやら木刀やらで疲れたケンさんを追い廻し、滅多打ちにし、その後、オレの自転車と荷物を盗んで行ってしまったと言った。

『浮浪者に間違われたんですかね。』やっとろれつの回る口でケンさんが言った。

 傷は右足の大腿部が一番酷かった。ナイフでざっくりと切られ、血がどくどくと流れ続けていた。あせったオレは着ていたシャツを急いで脱いで、引き裂き、紐状にすると包帯代わりにしてそれで止血した。ケンさんがもう自転車をこぐのは無理だ。オレは動転し気が狂いそうだった。救急車を呼ぼうと携帯電話を見ると、最悪なことに電池が僅かしく無く、数回コールすると切れてしまった。オレはさっきのコンビにまで戻って助けを乞うのがベストだろうと思って行こうとすると、ケンさんがオレの手首を摑んだ。

『あと、数キロで内のやつの店です。どうか、連れて行って下さい。』

 オレはケンさんのママチャリの後ろにケンさんを乗せて、上半身裸で暗い国道を走った。足の傷と血のことを思うと、早く何とかしなければ重大なことになりそうなのは素人目にも明らかだった。

 オレは背後でケンさんが死んでしまうのじゃないかと思って、何度も声をかけたが、その都度、『ハイ。』と返事が返ってきたので、運転に集中することにした。口と目に小さな虫が入った。ただでさえ空気の少ないタイヤに男二人が乗っているので、スピードは上がらなかった。途中、諦めかけてヒッチハイクしようと自転車を降り、手を上げたが、血だらけの男を抱えた上半身裸の奴など、誰も乗せてくれるわけがなかった。

 必死でペダルをこぎ、しばらくすると下り坂になった。思いがけずスピードがぐんぐんと上がっていき、細いトンネルを抜けた瞬間、ドン!パラパラパラ・・・と音がして辺りの空気が僅かに震えているのを感じた。

 花火だ。

 漁港が見え、彼方にちょうちんの灯りと、もの凄い数の人がひしめいているのが見えた。出店が軒を連ね、浴衣を着た女やお面を頭に載せた子供等がその前を右往左往している。少し離れた空き地にはやぐらが組まれ、音楽に合わせ盆踊りの踊り手たちが一心不乱に踊っているのが見えた。『ケンさん、もうすぐだ。』オレは叫んだ。

 花火大会のため、人でごった返すその通りに着いた時、ついに自転車がパンクした。通りを歩く人達が一斉にオレ達を見たが、皆、努めて無視しようとしているようだった。そして数百メートル先に、女のものと思われるラーメン屋の看板が見えた。

 オレはケンさんを自転車から降ろし、電信柱にもたせかけて座らせると、『待ってろ。』と、言って、走り始めた。最後に振り向いて見た時、ケンさんの顔は蝋人形のように真っ青だった。そして、ケンさんの背後にまたドン!と音がして一際でかい花火が上空一面に広がった。

 オレは走った。たこ焼き屋の前を、お好み焼き屋の前を、金魚すくいや風船釣りをする子供等の前を。回る風車の前を。浴衣の女達の髪を結い上げた、なまめかしいうなじをかすめ走った。缶ビールで酔った男達の意味不明な奇声をくぐり抜けて走った。半裸で、ケンさんの血を所々につけ、髪を振り乱し、一心不乱にオレは走った。

 店の入り口にはきれいな藍色で染め抜かれた暖簾に、ひらがなで「らーめん あゆみ」とあった。オレは暖簾を潜り、勢い良く店内に駆け込むと、中の女に向かって大声で叫んだ。

『冷やし中華 一つ!!』

     

BGM 柳ジョージ&レイニーウッド 『祭ばやしが聞こえるのテーマ』

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5・公園

 その老人が毎日公園に来ていることは全然知らなかった。

 十月のある日、私は風邪をひどくこじらせ、珍しく四十度近くも熱が出て、結局、一週間、会社を休む羽目になった。熱の他に腹痛もあって、食欲が無く何も食べれない割には、日に何度もトイレを行ったり来たりした。

 私の家族が住むアパートは、建物の表が畑で、裏にはビニールハウスがある。初夏の頃には表の畑には玉蜀黍が植えられ、裏のビニールハウスではトマトが栽培される。そして、表の玉蜀黍が作られる畑のすぐ向こうは公園になっており、引っ越してくる時、まだ幼い娘が遠くまで遊びに行かなくても良いようにとわざわざそんな場所を借りたのだった。

「最近は物騒だから。」と、二人目を妊娠し、お腹が目立ち始めた妻がしきりに言った。

「ここからなら、美奈子の様子が、放牧した羊を見張るみたいに、家の中からでも一目瞭然だわ。」

 初めの二日間、私は妻の介添えで、やっとトイレに立つ以外は、全くベットから動けなかった。往診に来てもらった医者の出してくれた薬を飲んで、ひたすら夢とうつつの間をさ迷った。

 奇妙な夢ばかり見た。

 私が寝ているベッドの右側には窓があり、体をそちら側に向けると窓に秋の公園の銀杏の木の黄色が見え、朦朧とした意識の中で絶えずその黄色が揺れていた。三日目を過ぎた頃やや熱が下がり腹痛も治まったものの、少し動けるようになっただけで食欲は無く、ベッドに横になりながら雑誌や本を読むでもなく眺めている外なかった。

 その老人に気付いたのはその日の午後だった。老人は銀杏の木の下のベンチに腰掛けてずっと本を読んでいた。見ていると、時々公園の草を取ったり、また植え込みにボールが入って子供が見つけられなくなったりすると一緒に探してやったりしていた。子供達は当たり前のように特に礼を言うでもなく、引き続き遊びに興じていた。

 その日の夜、ようやくおかゆが食べられるようになった私は、食卓で妻に聞いた。

「最近、物騒だからって、市は公園に監視員かなんか、置くことにしたのかい?」

「まさか。そんなことするはずないじゃない。」と、妻は言った。

 老人は翌日も来ていた。私がやや遅く目覚め、9時ごろカーテンを開けると、もう来ていて、昨日よりさらに葉の落ちた銀杏の木の下のベンチで、一人本を読んでいた。

               ☆

 土曜日になって私の体はようやく回復した。会社を休んだのは丁度、月曜日からだったので、その週のほとんどを私は寝て過ごしていたことになる。その日は、雲一つない快晴で、気持ちの良い秋の一日だった。娘の美奈子はメイプル・ジャムを塗った食パンと牛乳だけの朝食を済ますと、早々と公園に遊びに行った。晴れているというだけで、何故、子供はあんなに楽しくなれるのだろう?妻は洗濯を始め、私はいつまでもパジャマ姿のまま、新聞を読んだり、テレビを見たりしていた。テレビでは綺麗なレポーターが、スリランカの朝食を紹介していた。

 間もなくして、娘は戻ってきた。走ってきたのか、肩で息をして、早口で私に言った。

「お父さん、木にボール引っ掛かっちゃって、取れなくなっちゃって、それで、それで、えーと、取ってくれない?」

 私が「分かった。」と言うと、娘はまた走って出て行った。窓の外を見ると、いつか私が買ってやったスヌーピーが描かれたゴムボールが、公園の植木の枝に引っ掛かっているのが見えた。それほどの高さではないが、それでもまだ小さい娘には届かなそうだ。私は急いで歯を磨き、髭を剃り、着替えると外に出た。外の空気はひんやりとして、新鮮で、一息ごとに体が芯から覚醒するような気分だった。久しぶりの陽光を全身に受け、私は辛く、苦しい場所からようやく生還した者のような達成感に似た感情を味わった。

しかし、公園へ行くと、娘はすでにボールで遊んでいた。どうしたのか訪ねると、娘は夢中でボールを蹴りながら、「あの人!」と、ベンチに座った老人を指差した。「ちゃんと、お礼を言ったかい?」と聞くと、娘は大きく頷いた。私が老人に目をやると、老人は様子を伺うように私に小さく会釈した。私が礼を言おうと近づくと、老人はニコニコしながら、

 「ボール、トッテクダサーーイ!!って、ちゃんと敬語使うもんだから、よっぽど親御さんの躾が良いんだっなって、いやあー、お礼もハキハキして、ホント、良い子で。」と、言った。

 老人は名を山田さんと言った。山田さんは度の強そうな丸い眼鏡をかけ、手に池波正太郎の『鬼平犯科帳』の文庫本を持っていた。本は何度も読んだのか、かなり年季が入っていた。

               ☆

 「で、よっぽど、話しに飢えていたのか、人恋しかったのか知らないけど、凄い長話しになっちゃってさ。定年してすぐ、奥さんに先立たれて、今、娘さんと二人なんだけど、娘さんは実は再婚だった死んだ奥さんの連れ子で、昔から全然そりが合わなくて、結婚して離れていたんだけど、去年、離婚して戻ってきたんだって。で、この娘さん、山田さんの年金をあてにして全然、働かなくなっちゃって、そのくせ、山田さんが家にいると邪険にするようになって、それで毎日、仕事に行くみたいにお弁当持たされて一日中、外で時間潰してるんだってさ。うちの公園に来て、もう一月も経つんだってよ。」

 午後、食料品の買出しに家族で近くのスーパーに出かける車の中で、私は妻に説明した。妻はその山田さんの娘に対して相当に憤り、山田さんに同情を示したが、最後には“ま、色んなお家があるから”と、言って話を打ち切った。買い物が終わり、荷物を抱えアパートの階段を妻と娘と昇っている時、ふと公園を見ると、夕暮れの中、山田さんはまだベンチに座っていた。

 その後、私が山田さんと話すことは無かった。休日、窓の外を見て、“今日もいるなあ”と思う程度で、特段どうということもなかった。私にとって山田さんはある意味“風景”と化していた。だが、妻にはそうでもないようだった。と言うよりも、妻は娘を幼稚園に迎えに行った帰り、公園に立ち寄ったりする際に、よく山田さんと話ているようだった。妻によると、初め、初対面の私に身の上話しを一気呵成に話したことを聞いていたので、饒舌な話好きの人を想像していたらしいのだが、実際の山田さんは、言葉数が少なく、滑稽なほど礼儀正しくて、妻は好感を持ったようだった。買い物の荷物が重そうだったりすると、アパートの階段の下まで、荷物を持ってくれたりしたこともあるという。相変わらず、いつも本を持参していて、それは日によって池波正太郎だったり、藤沢周平だったり、司馬遼太郎だったりした。

「とっても良い人よ。」 夜、洗濯物をたたみながら妻は言った。  

              ☆ 

 11月に入った最初の日曜日、妻は友人の結婚パーティーに呼ばれ、娘を連れて出かけて行った。

 「これからどんどんお腹が大きくなって、動けなくなったら、ますます皆に会えなくなっちゃうから。」 妻は久しぶりに学生時代の友人達に会えるので、とても嬉しそうだった。

 私は久しぶりに一人になった。妻に洗濯と掃除を頼まれた以外、これと言って用事は無く、11時半頃、洗濯物を干し終えると、私は近くのコンビニまで煙草とビールを買いに行った。帰り道、携帯のメールをチェックしながら歩いていると、公園の前で、山田さんと目があった。私が「いつも妻と娘がお世話に・・・」と言い、近づこうとした瞬間、背後で“ボン!”と音がして、私の頭上をサッカーボールが飛んで行った。そして、今まさに広げようとしていた山田さんのお弁当を直撃した。弁当はひっくり返り、ご飯粒やら、卵焼きやら、タクワンやらがそこいら中に散らばった。蹴ったのは中学生の二人組みで、二人も驚いたのか、ボールをほったらかしにしたまま、自転車に乗って逃げてしまった。

 山田さんは困ったような顔をして、弁当を包んでいたハンカチに土まみれの米やおかず類を拾い始めた。私はなにしろ“あっ”という間の出来事だったので、どう声をかけて良いか分からず、気が付くと、『あの、よろしかったら、家でなんか食べませんか。』と、声に出していた。そして、

 「家内がいないので、インスタント・ラーメンくらしかできませんが。」と、急いで付け加えた。

                ☆

 私がキッチンでラーメンを作っている間、山田さんは居間の水槽で飼っている金魚をじっと見つめていた。付けっぱなしのテレビではNHKの“のど自慢”をやっていたが、それには目もくれなかった。そして、私が何か話しかける度、見ていて可哀相そうなほど恐縮し、“ハイ、スミマセン”、“ハイ、申し訳アリマセン”と、何度も繰り返し言った。結婚して以来、私は料理などしたことはなかったが、冷蔵庫を見ると、豚の細切れと、キャベツ、もやし、人参などがあったので、それで野菜炒めを作っておいて、それをサッポロ一番醤油ラーメンの上に乗せて山田さんに出した。

「おお、これはこれは。」と、山田さんはまたまた恐縮したように言った。

「こんなもので、かえって申し訳ないですけど・・・」

「旦那さんは・・・・?」 山田さんは私を“旦那さん”と言った。

「いや、私はこれでいいんです。」私はさっき買ってきたばかりのビールを飲んだ。

 山田さんは“おいしい、おいしい”と言って私が作ったラーメンを食べてくれた。それがお世辞なのか本気なのかは良く分からなかったが、私はたとえインスタントラーメンとはいえ、久々に自分で作ったものだったので、まんざらでもなかった。

「お弁当、勿体無かったですね。」 これと言って話題も思いつかず、私はそんな風に聞いてみた。

「はい。あの娘は、毎朝、弁当だけは律儀に作ってくれます。」と山田さんは言った。

 「旦那さんは、うちの娘を随分ひどい娘だとお思いでしょうが、確かにそうなんですが、でもあれはあれで、可哀相な子なのです。私の家内の前の亭主、つまりあれの本当の父親ですが、それはそれはひどい男だったらしく、あの子は小さい時、何度もぶたれたりなんかしたらしいです。勿論、私はあの子に手を上げたりしたことはありませんが、小さい時の記憶というのは大人になっても消えないものらしくて、それで、あの子は、私くらいの年の男といっしょにいるのが、どうしても駄目なのです。それで、毎日、私がこんな風にしているわけなんですが・・・」 山田さんはラーメンを食べながら、一言一言を確かめるように言った。

「これから寒くなったらどうするんですか?」

「その時は図書館でも、役所の待合室でもなんでもあります。今でも雨の日や、凄く風の強い日なんかはそうしています。でも、私はそこの公園で、子供らが遊んでいるのを眺めているのが・・・・好きなのです。」

 そんな風に私達は一時間程話し、それから山田さんはまた公園に戻っていった。家を出る時、山田さんは玄関で、真面目な顔で気お付けの姿勢を取り、そして、私に向かって深々とおじぎした。

                ☆

 山田さんが我が家にラーメンを食べに来た翌日、事件は起きた。事件、と妻は言った。私が仕事から帰ると、妻は妊娠してから止めていた煙草をキッチンの換気扇の下で吸っていた。そしてイライラして、「あの、クソババア。」と、呟いた。

 妻の話によると、その日もいつものように、妻は美奈子を連れ、近くのスーパーに買い物に行った。そして、その帰り道、公園の前まで戻ってくると、中が何やら騒然としているのに気づいたらしい。見ると、7、8人の主婦が山田さんを取り囲んでいて、若い警官がしきりに山田さんに何か聞いていたという。

「先週、この界隈に“不審者”が出たとかで、近隣の幼稚園や小中学校にプリントが配られていたらしいの。」 妻は憎々しげに流しの隅で煙草をもみ消した。

「プリントには年齢が50~70位の老人が、包丁を持って歩いていて、子供を脅したと書かれてあって、それで、山田さんがその不審者じゃないかって言うのよ。」

 妻が駆けつけると、山田さんは終始、警官や主婦たちが何を言っているのか、理解しかねている様子で、ただ、ひたすら、“スイマセン”、“申し訳アリマセン”を繰り返していた。警官は『だから、そうじゃなくて・・・』と、苦々しげに言い、無線で何処かに現在の状況と、山田さんの年恰好、身なりなどを告げていた。妻が、周囲の言葉を遮ってようやく、“その人は私の知り合いです”、と言うと、警官はうさん臭げに妻を見て、幾つかありきたりな質問を彼女にした。そして、とんだ無駄足だったと気づくと、係わり合いになったことを悔やむかのようにさっさと引き上げて行った。

 が、その後が大変だったらしい。今度は集まった主婦の中の一人がいかに自分が常日頃から児童の育成環境に心を砕いているか、毎日の悲しいニュースに心を痛めているか、などを演説し始めた。そして、『あなた、本当にこの人の知り合いと言うなら、』と妻に詰め寄り、「この人、毎日ここに来て、この寒空の下、ベンチに座ってるみたいだから、お宅に呼んで、お茶でも振舞ってあげたらよろしいんじゃなくて。」と、言った。

「それを聞いて、山田さん、今度は私に“スイマセン、スイマセン”って。“何にも悪いことしていないんだから、そんなに謝らないほうが良いですよ!”って、私も少し語気を強めて言っちゃって、そしたら、また、“スイマセン、スイマセン”って・・・・・・・・。」

「何が育成環境だよ。公園のゴミ一つ拾ったことないくせしやがって。山田さんに何か言える立場かって。」

「そうよ。あのクソババア。」と、妻がまた言った。

               ☆ 

 その日を境に山田さんは公園に姿を見せなくなった。そして、さらに数日経って、我が家のポストに山田さんからの手紙が届いた。手紙には住所も消し印も無く、きっと、私と妻がいない間、自分で来て投函していったのだろう。手紙にはこう書かれていた。

『 拝啓、おくさん、先日は誠に申し訳ありませんでした。また、旦那さん、らーめん、どうもごちそうさまでした。私は仕事を退き、家内に先だ立たれてからというもの、毎日、何をして生きておればよいのやら分からず、また、家内がいないと、自分の靴下がどこにあるのかも分からないような有様でした。また、その上、ご存知のように、娘とのこともありまして、毎日、外に出かけるようになってみると、見るもの、聞くもの全く分からず、別世界の中をさまよっているような気持ちでおりました。時々、人が何を話しているのかさえ、分からんような時もあります。昔の職場の仲間は、死んだ者や、定年後、地方に引っ込んでしまった者やらで、知った者は誰もいません。みんな、一体、何処に行ってしまったんでしょうか?私は酒というものが飲めませんし、また、昔から外食ということをしたこともなく、毎日、家内の料理を食うことのみを楽しみに生きていたようなところもありまして、だから家内を亡くしてからはすっかり食う楽しみすら失くしておりました。お宅の前の公園に来るようになってからは、初めはただ呆然としていましたが、子供さん達の遊ぶ姿を見ているうちに、段々、元気も出てきまして、最近では、こんな爺でも、少しは、子供さん達の役に立っているような気持ちにもなってきていたところでした。しかし、この爺が馬鹿でした。最近の世の中のじじょうも知らず、とんだことでおくさんにご迷惑をかけてしまいました。ごめんなさい。おくさん、旦那さん、美奈子ちゃん、どうか仲良くお過ごし下さい。二人目のお子さん、無事お生まれになることを陰ながら祈念しております。 山田』

               ☆

 それから、数週間が過ぎ、暮れの押し迫った12月のまたも土曜日に、 今度は娘と児童館から帰ってくるなり、いきなり、妻は『山田さんが亡くなったかもしれない。』と、言った。児童館に来ていた他の地区の母親達が立ち話で、昨日、家から数キロ先の公園で、老人が死んでいるのを犬の散歩に来ていた主婦が発見したと、言っていたという。その母親達には老人が亡くなったことよりも、その公園で死者が見つかったという事実の方が問題なような口ぶりだった。遺体のそばには手の付けていない弁当箱があったとも言っていたらしい。

「山田さんかしら・・・」 妻は激しく動揺していた。

「公園にいる老人は、別に・・・山田さんだけじゃないだろう・・・」と、私は言ったが、内心、それが山田さんであることは間違いのないことのように思われた。

 私は窓の外を見た。外にはいつも山田さんが座っていたベンチが見えた。そして、山田さんがいない公園の眺めは、何かが欠落しているように見えた。私にはその欠落が、この世界が不完全であることを象徴しているように思えた。私はふと、そのベンチに座ってみたい衝動にかられ、そして、まだ遊び足りない風にしている美奈子を誘って、公園に行くことにした。

 公園には私達以外、誰もいなかった。クリスマスが近いせいで、公園の周りの家の幾つかは電飾を施していて、それが妙に周囲から現実感を奪っていた。私はいつも山田さんが座っていたベンチに腰掛けた。砂場には大きな砂の城が作られていたが、誰かが踏みつけたのか大きな足跡が一つ付いていた。私は山田さんがくれた手紙の中の言葉を思い出していた。“見るもの、聞くもの全く分からず、別世界の中をさまよっているような気持ちでおりました。”“時々、人が何を話しているのかさえ、分からんような時もあります。”“みんな、一体、何処に行ってしまったんでしょうか?”

 気がつくと、足元にスヌーピーの絵が描かれたボールが転がっていた。「ボール、トッテクダサーイ!!」と、遠くで見知らぬ女の子が叫んでいた。私は考えた。私は誰だろう?私は一体、今、何処にいるんだろう?と。私が知っていた人達は、みんな何処に行ってしまったんだろう?

「ボール、トッテクダサーイ!!」女の子は何度も叫んでいる。

ここは何処だろう?何をする所なのだろう? 

私が知っていた人達は、みんな何処に行ってしまったんだろう?

    

     BGM『Everyone gone to the moon 』 by ニーナ・シモン

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4・夜回り

 初めに駅前の消費者金融会社が入っている雑居ビルが燃えた。次には新築されたばかりの民家と老人ホームの軽ワゴン車が。そんなこんなで俺の住む町一帯で立て続けに7件もの放火と見られる火事が起こり、町内会の老人たちは一斉に俺たちを責め立てた。何故、俺たちが責められるかと言うと、俺たちは顔馴染みの連中同志で夜回りをやっていて、町内の約200世帯からそれぞれ月250円づつ金を徴収しているからだった。

 『月250円で200世帯。一年でいくらんなるか、おめえら、知ってるかえ。』と、町内でも長老と目されている源爺が言った。

 『1ヶ月で5万円。1年で60万だ。おめえらがその金をそっくり町内の祭り実行委員の資金に回してくれているこたあ、俺が1番良く知ってるよ。でもなあ、金を納めてる連中の中には夜回り組みは、夜回りと称してちょろっと町を一回りしただけで、後は集めた金で酒飲んで騒いでるだけだなんて陰口言う奴だっているだよォ・・・・。』焼き鳥屋のカウンターで源爺はホロ酔い加減で、例の落語の名人みたいな口調で言った。

 俺はそう思われていると知って心外だった。

 俺たち消防団はこの活動をもう15年近くもしている。雨の日も風の日も、季節を問わず毎日だ。だいたい夜の10時から始めて、町内を一回りするのに1時間くらいかかる。組員は約50人いて、毎晩交代で二人一組で回る。不審者がいないか注意するのは勿論のこと、大雨の降った日なんかは堤防が切れて水が溢れていないかなど河川の見回りも怠らない。また、他の地区に比べ、コンビニで夜遅くたむろしている若造なんか俺たちの町にはいなくて、それは、そういう奴らを見つけると俺たちが徹底的にいびり回して、“更生”させてしまうからだ。確かに夜回りが終わった後、夏なら居酒屋に行ってビールを、冬なら熱燗を飲むのを楽しみにしてやっているようなところはあるが、この町の治安が保たれているのは俺たちの活動があってこそだと、みんなそれなりに自負してやっている。

 焼き鳥屋を出たのは12時を回っていた。源爺はじめ町の年寄りどもに呼び出され、仲間共々、放火が起きているのはおまえたちがだらしないからだみたいなことをさんざん言われ、でも口答えできずにいてムカついていたので、俺は頭を冷そうと少し歩くことにした。酔って火照った頬に風が気持ち良かった。また、国道沿いをずっと歩いていたので、雨上がりのアスファルトに反射する車のヘッドライトが目に眩しかった。

 15分ほど歩いて、俺は道路の真ん中に何かが横たわっているのを見つけた。初めは黒い塊にしか見えなかったが、車が行き過ぎる度にライトに照らし出され、近づくほどに正体が露になった。それは車にはねられて死んだ犬の死骸だった。犬は白い柴犬で、開いたままの口からは舌が異様に長く延びていた。俺は気味が悪いので早く通り過ぎようとしたが、見開いたままの目がどの方向からでもじっと俺を見つめているようだった。そして、その時、俺はふいにある一つの顔を思い出した。

 それは高校の時、同じクラスだった吉井君の顔だった。

 吉井君の愛犬のラッキーを彼と一緒に埋めたのは俺達が高校1年の秋のことだから、もう20年以上も前のことになる。吉井君が小さい時、彼の父親は失踪してしまい、彼は当時母親と年の離れた弟と3人で市の中央公園の近くにあった木造平屋建ての市営住宅に住んでいた。ラッキーはその父親がいなくなる前に何故か置いていった犬で、吉井君はもう一人の弟のように可愛がっていた。

 『僕は弟がちゃんと大きくなるのを見届けたら、何処か自然の美しいところに行って、こんな風に暮らすのが夢なんだ。』そう言って彼は一冊の本を俺に見せくれたことがある。それはアメリカの昔の作家のソローとか言う人の本で、『森の生活』という題名だった。そして、そこにラッキーも一緒に連れて行くつもりだ、と言っていた。

 事件が起きたのは高1の秋の夕暮れ時のことだった。“自然の美しいところへ一緒に・・”と吉井君は言っていたが、ラッキーはその頃にしてすでに相当な老犬で、少し散歩させると疲れてすぐに歩けなくなった。そういう時、吉井くんはラッキーを抱っこして家に連れて帰るのだが、その時も吉井君はラッキーを抱えていた。しばらく歩き、交通量の少ない通りに出ると、突然、前方から物凄い音を立てて8台のバイクがやってきた。初め通り過ぎたが、やがて戻ってきて吉井君を取り巻いた。

 『おめえ、面白い犬の散歩の仕方してんなあ。』と、中のリーダー格の男は言った。吉井君が訳をもごもごと話すと、男はいきなり吉井君を殴りつけ、腕からラッキーをもぎ取ると、『ワンチャン、根性見せろや・・』と言って、バイクの後ろに首輪から垂れ下がる紐を縛りつけた。そしてただでさえ歩けないラッキーをバイクで引きずり回し始めた。

 他の連中は吉井君を押さえつける者や、悲しげな声を上げながらヨタヨタと立ち上がろうとするラッキーの真似をしておどける者やらで、みんな狂ったように笑っていた。俺はたまたまそこを通りかかったが、情けないことに係わり合いになるのを恐れて、遠目にそれを見ているだけだった。ラッキーは何度も何度も通りを行ったり来たり引きずられ、休もうとする度に腹を蹴り上げられ、ようやく連中が飽きて解放された時には、完全に動かなくなっていた。泡を吹き、舌をだらりと出して、信じられないような速さで息をしていた。俺はさもたった今通りかかったみたいな振りをして、吉井君に近づくと、ラッキーを家まで連れて帰るのを手伝った。

 翌日、ラッキーは死んだ。怒ったような目を見開らいたままで、吉井君は何度も手で目を閉じてやろうとしたが目は閉じなかった。俺たちは毛布に包んだラッキーを近くの雑木林の中に運び埋めた。土をかける時、吉井君は声を上げて泣いた。俺は未だかつて人があんなに本気で泣いているところを見たことが無い。声は泣き声というより動物の呻き声に近くて、そばにいて俺は怖いほどだった。

 しばらくして吉井君は高校を辞めた。お母さんが病気になって、彼が働かねばならず、高校どころじゃなくなったのだ。都心の方のどこかの叔父さんがやっている寿司屋で修行するとかいった話だった。最後に会った時、彼は例の本を俺にくれたが、俺は現在に至るまで1度もその本を読んだことはない。

                   

 「まさかな。」と、俺は呟いた。実はちょっと前にも俺はこのラッキーの件を思い出していたところだったのだ。それは連続放火事件の2件目の新築の家が燃やされた時だった。この家は“ラッキー引きずり回し事件”の時、吉井君をずっと押さえつけていた奴の家だった。そいつは金魚の糞みたいにいつもリーダー格の男にくっついていた奴で、俺達の高校の2こ上だ。今は役所勤めのいたって真面目な人らしいが、一度刷り込まれた印象というのはずっと消えなくて、俺の中では未だに嫌な奴のままだ。

 俺はあの時の恨みを晴らすべく、吉井君が火をつけたのでは?と放火事件直後、勝手に想像したのだが、無論、それは単なる想像だ。だって、あれはもう20年も昔の話だ。それに、中の2、3人を除いて、あの時ラッキーを痛めつけて死なせた連中全員を俺は当時も今も知っている訳ではない。最初に燃された消費者金融を考えに入れると脈絡が無い。あの時のリーダー格の男は今はこの町でバイク屋をやっているが、そいつのところは今のところ無事だ。だからその想像は、半分以上、俺の中では冗談みたいなもので、その後、ずっと心の奥底に仕舞われたままになっていた。

 しかし、8件目の放火事件が起きた時、その冗談みたいな想像は想像から疑惑に変わった。新しいカードが配られゲームの展開が変わったのだ。燃えたホンダ・NSXがそのカードって訳で、それは俺が知る数少ないラッキー殺しグループの一人のものだった。それから何日もの間、仕事中でも何でも、俺の中でこの疑念は消えなかった。

 俺はなんとか吉井君と会えないかと思い立ち、居場所を知ってそうな何人かに聞いて回わった。そして、以前、隣の市で宅配専門の寿司屋をやっていたということが分かった。電話帳で調べ電話をかけると、その番号は現在は使われていなくて、俺は作戦を変えて彼の実名で電話帳を調べることにした。

 その市域に彼と同じ名前は6つあった。散々迷った挙句、俺は一人ずつに電話をかけてみることにし、すると、なんと最初の1件目で彼本人と話することができた。初めは留守番電話のテープの音声だったが、俺が話し始めるとガッチャっと受話器を取る音がして、『もしもし・・』と彼の声がした。探していたくせにあまりに呆気なく彼と話ができることになって、面食らったのは俺の方だった。何を喋っていいか分からなくて、それで俺は、仲間と同窓会を企画していて、中の一人が吉井君も呼ぼうと言って、それでづっと探していた、と嘘をついた。

 『同窓会か。でも・・行けないな。』と、彼は言った。しかし、話の終わりに、意外なことに彼の方から近いうちに会いたいと言い出して、結局、俺たちは会うことになった。日時と場所は俺が決めた。

『分かった。』と一言言って彼は電話を切った。

                     ☆

 それは寒い夜だった。そして俺の夜回りの当番の日だった。俺は夜回りが終わった後はいつも屋台でラーメンを食うことにしていて、夜11時にその屋台で吉井君に会う約束になっていた。その屋台は昔、吉井君の家族が住んでいて今は無い市営住宅の跡地に面した通りに出ていた。時間については『その方が僕も都合がいい。』と、吉井君は言った。

 この夜、俺は普段は“格好悪ぃ”と言って絶対に着ない背中に“火の用心”の文字が入ったハッピを着ていくことにした。もし、俺の疑念通り吉井君が放火犯だった場合、これを見て、うろたえるとか、何か態度に出るだろうと予想したからだ。それとも恐れをなして姿を現わさず帰ってしまうだろうか? 

 11時半を過ぎても吉井君は来なかった。“逃げられたかな”と俺は半分諦め始めていた。しかし、俺がラーメンの大盛りを食い終わり、チャーシューとメンマを肴にビールを飲んでいると、背後から一人の男が近づいてきて肩を叩いた。吉井君だった。

『久しぶり。』と、吉井君は言った。

『よお、もう、来ないかと思ったよ。』 と俺は言った。吉井君は昔も痩せていたが、今はやつれたといった感じになっていた。髪には年とは不釣合いなほど白いものが混ざっていた。

 会話は余り弾まなかった。お互いの近況を話してしまうと、後は何を話して良いのか分からなかった。チャーシュー麺を食べながらぽつぽつ喋る彼の話によると、あの後、彼の母親はすぐに亡くなって、それからは寿司屋で働きながら年の離れた弟の面倒をずっと見てきたという。数年前、宅配専門の寿司屋を始めたが、この弟がギャンブルにハマッて多額の借金を作り、店をたたむことになったらしい。今、何をしているのかを彼は言わなかった。

『外れくじそのものみたいな人生だろ。』と、彼は言った。

『でももっと怖いのは、づっとこんな調子だとそれが当たり前になっちゃって、何にも感じなくなっちまうんだよ。』

 それから、1時間ほど二人で酒を飲みながら話して、何てことなく俺たちは別れた。彼は昔の日活映画の船乗りなんかが持っているような肩に担ぐバッグを持っていて、別れ際、俺がひやかすと、“後、一つやり残したことがあって、それを終えたらしばらく遠くへ行くつもりだ。”と彼は言った。

『“森の生活”かい?』

『そう。森の生活。』

『ラッキー、連れていけなくて残念だったね。』

『いや、ラッキーはもうそこにいるんだ。』

 吉井君が去った後、俺はビールをもう一本だけ飲んだ。そして、人の心の中に点る“火”について考えた。何かの拍子に生まれたそいつは、普段はちっぽけで気にも留めないが、今日のような風に煽られると素早く燃え広がり、そうなるともう誰も手がつけられない。

 しばらくして東の空から火の手が上がった。

 家路に向けてとぼとぼ歩き始めた俺の横を、けたたましいサイレンを鳴らした消防車が、凄い勢いで走りすぎていった。

                               

  BGM ブルース・スプリングスティーン 『アトランティック・シティ』

                       

                

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3・延長戦

 息子に会うために現場監督の安さんから借りた軽トラはクーラーが壊れていた。風を入れるため窓を開けて走っても、8月の蒸し暑さだけが纏わりついてくるようで、汗がこめかみや背中に幾筋も不快に流れ落ちた。

 こんな車で向かえに来る父親を息子はどう思うだろうか?待ち合わせ場所の立川へ向かう日野橋の渋滞の最中、私は内心情けなさで一杯だったが、暑さがその痛覚のようなものすらを曖昧にしていた。

 私が慣れない現場仕事に従事するようになってもう半年以上が過ぎている。私の勤めていた会社が倒産してすぐの頃は、妻も『なんとかなるわヨ。』と割と優しい言葉をかけてくれていたが、いつまでも次の就職先が決まらず、終いには就職活動もせず私が昼間からごろごろして酒を飲むようになると、妻から別居が言い渡された。

 その頃、住んでいた賃貸のマンションは家賃が高く、妻と子供と、私はそれぞれ別のもっと家賃の安いアパートへと引っ越さねばならなかった。私の元々の仕事は営業職であったが、実際、その仕事が取り上げられてしまうと何もできなかったし、またこれから先、何かができるようになれる気がしなかった。

 だから、なんとか見つけた現在の建築現場での仕事はようするにアルバイトである。毎日が慣れない作業の連続で怒鳴られっぱなしだが、そんな中でも段々と周りの人たちから声をかけて貰えるようになってきて、中でも現場監督の安さんはコマゴマと面倒を見てくれ、またプライヴェートな相談にも乗ってくれるようになった。

『でも、正式に別れたわけじゃねぇんだろ?カミサンや子供と。』と離婚歴のある安さんは言った。

『まだ、遅くはねぇから、とにかく給料なんか安くたっていいからちゃんとして、もう一回より戻したほうがいいって。』

 それで、私が妻との約束で2週間に一度子供と会うことになっているのを知っている安さんが、現場に出入りしている新聞屋から貰ったと言って、ある日、インボイス西武球場で行われる西武対楽天戦のチケットをくれたのだった。

 妻とはまだ正式に離婚しているわけではない。だから、この“2週間に1度”というのは別に裁判の結果とかそんなものでは無いのに私はこれを律儀に守っていた。と言うか、現在の自分の不本意な状況をあまり子供に見られたくない気持ちと、素直な子供恋しさが入り混じる感情からしてそれは妥当な期間設定だった。

 私は特に野球が好きでも嫌いでもなかったが、子供と過ごす方法としてはなかなか良い選択だと思った。で、その日、私は仕事が終わると安さんから会社の車を借りて子供と待ち合わせし、インボイス西武球場に行くことにしたのだった。

 息子は今年、小学五年生である。久しぶりに会った息子は余り元気がなかった。待ち合わせの場所に私が軽トラックに乗って現れたので少々、面食らったのかと思った。普通、テレビドラマかなんかだと離婚したお父さんがそうした条件の中で子供に会う時は、カッコいいスーツを着て、高級車でディズニーランドかなんかに連れて行き、帰りに流行のレストランで食事をする。それで、子供は“お父さんとお母さんは訳があって別れたけど、自分はこんな立派なお父さんにちゃんと愛されている”といったようなプライドが保障される図式になっている。

 今の俺は何だ?と私は思った。服は汗臭く汚れた作業着のままで、クーラーの壊れた軽トラ、新聞屋から貰った野球のチケットときてる。暑さで、曖昧になっていた羞恥心のようなものがむくむくと頭をもたげてきた。

 外野席でがっかりするかな、と思っていたが子供にとってはその方が良いようだった。黙って観戦するより、応援団と一緒に歌ったり騒いだりしながら見る方が確かに楽しい。元気が無かった息子もその時だけは無心になれるようで、大声でカブレラや和田に声援を送っていた。カクテル光線に照らし出された人工芝の緑がやけに眩しく見えた。私は蒸し暑さもあってどうしてもビールが飲みたかったが、車で来ていることを思って、茶摘み娘のスタイルをした売り子から冷たい狭山茶を買って我慢した。

 球場の雰囲気がおかしくなってきたのは7回の風船飛ばしが終わった頃からだった。私たちの前にいた西武ファンのカップルの女の子の方が彼氏に『西口、ここまでパーフェクトじゃない??』と囁くのが聞こえた。スコア・ボードに目をやると、確かに西武の先発の西口はここまで打者18人に対してヒットもファーボールも無く、パーフェクトに抑えていた。球場全体がざわつき始めたが、遠くのマウンドにいる西口はそんなこと意に介する風でもなく淡々と投げていた。

 皆が固唾を呑んで見守る中、7回、8回とゲームは進んで行き、ついに9回の楽天打線を西口が3人で打ち取ると、一塁側外野スタンドから、どよめきが起きた。西口は偉業である完全試合を達成したのに、打線の援護が無く、ゲームは延長戦に突入したからだ。『こんなのってありかよお!!』と、前のカップルの男の方が盛んにそう言った。本来、派手な打撃戦が好きな息子も目を輝かせて同じように叫んでいた。

 10回表、楽天の沖原についにヒットを打たれた時、客席全体は一瞬腰を浮かして『あー!』と嘆息をもらした。打者27人をパーフェクトに抑えながら西口の完全試合が幻になってしまった瞬間だった。

 しかし、その後も西口は凄かった。彼は緊張の糸を途切れさすことなく後続を打ち取り、その裏、西武は劇的なサヨナラ勝ちをものにした。

                    ☆       

 『損した・・・』と、帰りの渋滞の車の中、球場近くの多摩湖にかかる橋の上で息子がポツリと言った。窓を開けていたので、名前の知らない小さな虫が何匹も車内に入ってきて、それが暑さに加えさらに私の気を滅入らせた。私たちは汗びっしょりだった。『もし、完全試合だったら、それを見たって友達に自慢できたのに・・・』と、息子は言った。

 “いや、もっといいものを見たんだよ、西口は偉業を成し遂げたのに、味方の援護が無くて、パーフェクトは幻に終わってしまった、でもあきらめずに投げ切って、チームを勝利に導いた。それはもしかしたらパーフェクトより凄いことかも・・・・・”と、私は父親らしく教訓めかしてガッカリしている息子に言ってやりたかったが、現在の自分のテイタラクを思うと言えなかった。また、その気力が失せるほどに喉が渇き、腹が減っていた。

 しばらくして、車が流れ始めて空腹がどうにも我慢できなくなって、私は一番初めに目に付いたラーメン屋に入った。スーツに高級車に流行のレストランとはどれもいかなくて、ついにはラーメン屋・・私は自己嫌悪になりながら、これで不味かったら、と一瞬、思った。

 店内は外の店構えからは想像できないほど、洒落た感じがした。薄暗くて綺麗なカウンターがあり、ジャズがかかっていた。入り口を間違えて隣のバーにでも入ってしまったのかと思った。しかし、クラーが効いていて、それだけで私は生き返った心地がした。ラーメンは豚骨醤油のスープで、麺は好みで太麺、細麺、普通と三種類選べた。私も息子も細麺を注文した。ラーメンは美味かった。だが、私はそれどころではなくなった。ラーメンを食べながら息子がいじめにあっているのを告白し始めたからだ。

 話によると、私と別居して次に移ったアパートは古くてもちゃんと風呂は付いているのだが、クラスの悪ガキどもが、風呂なしのボロアパートだとからかって風呂にも入れないだろうから“臭い、臭い”と言ってくるのだと言う。中心になっているのが、一番強いやつで、時々暴力を振るわれたり、理不尽な命令をされたりしても言いなりになるしかないらしい。

 私は愕然とした。だが、もとはと言えば私のだらしなさに端を発している問題なので、何と言ってやればいいのか分からなかった。分からなかったが、何も言わないわけには行かず、さっき車中で考えた西口のことを話してやろうと思ったが、何故かどもってラーメンの麺の話になってしまった。

『こ、こ、こ、この麺は細いだろ。』と私は言った。

『でも、腰があって、う、う、う、う美味い。』“アザーッス!!”とカウンターの中でおやじが叫んだ。

 それから先は自分でも何を言っているのか分からなかった。つまり、どんなに神経が細くて気が弱くても腰があればこのラーメンのように美味くなれるとか、周りの具との調和が大事だとか、最初からコショーをかけては駄目だとか支離滅裂な例えでなんとか息子を励まそうとしたのだが、その度、おやじが“アザーッス!”と言うのみで、息子はきょとんとしているだけだった。

 妻との約束の場所に着いたのは10時半を回っていた。別れ際、手を振る息子を軽トラのフロントガラス越しに見ながら、私は初めて身を切られるような辛さを味わった。俺のせいで息子は臭いと言われ続ける日々に耐えているのか・・・・。

 次に息子に会うまでの日々は最悪だった。私は現場で重いものを無理に持ち上げようとして腰を痛めてしまったのだ。ギックリ腰ではなかったが、歩行には困難をきたした。安さんは休めと言ってくれたが、息子のいじめの一件で私は自虐的な気持ちになっていて、無理して仕事に出続けた。しかし、無理がたたってついにここ5日ばかりは部屋でじっとしているしかなくなった。だから、息子に会いにいつもの待ち合わせ場所にモノレールで行った時は足を引きずり、両掌を腰から離せなかった。

 息子はもっと酷かった。頭に包帯を巻いていて、顔は少し変形していた。原因が分かっているだけに私は胸が潰れそうだった。息子は何故こんな父親にちゃんと会いにきてくれるのだろう?私だったらとことん軽蔑して、憎悪の対象にしてしまうかもしれない。そう、思った時、ふと息子の拳にも巻かれた包帯が目に入った。よくよく見ると息子は見かけは悲惨なのだが、この前会った時とは違い、ずいぶん晴れ晴れとしていて笑顔まで浮かべている。クールですらある。こいつは戦ったのだな、私は思った。勝ち負けに拘らず戦ったことでこいつの中にはプライドみたいなものが多分、芽生え始めているのだ。この間のラーメン屋での私の話が効いたのだろうか?まさか。それとも西口の力投を見て?それよりも、俺は一体何をしているのだろう?と、包帯姿の息子を見ながら私は思った。俺はこれまでずっとパーフェクトできていた。そうだ、まだ、たった一本打たれただけじゃないか・・・。ゲームを続けなければいけない。妻は許してくれるだろうか?

 仕事を数日休まざる得なかったので、日雇いの身分の私は実際、金が余り無かった。

『お父さん、この間のラーメン屋に行こうよ。』と、察したのか息子が言った。

こうして私の延長戦が始まった。

 

       BGM マイルス・デイビス 『 Birth of coolより「Godchild」 』

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2・タマネギ

 エリカが妊娠しったて、最初に連絡をくれたのはエリカの親友の樹里だった。夜中、携帯に突然、電話してきたのだ。

『あんた、男としてちゃんと責任取るんでしょうね。』スゲー怖い声で樹里は言った。

 俺はガキのころから死んだばあちゃんのいいつけで日記を付けている。“良い習慣が良い人生をつくる”ってのがばあちゃんの信条で、それで、俺もずうと日記をつけさせられた。ばあちゃんにとっては日記はいい習慣だったってわけだ。

 だから、俺にはこないだエリカとそんなような行為をいつしたっかってことがちゃんと分かる。誓って言うけど別にベッドの中でエリカがどうだったこうだったなんてことが細かに書いてあるわけじゃない。ただ、日付の下に小さなハートマークがつけてあるだけだ。それだけでも他の女友達やバンドの仲間に知れたら気持ち悪がられるから絶対に秘密なのだが、こんな時には役に立つ。

 それによれば、俺は彼氏とか言いながらエリカとはもう半年以上、そんな行為には及んでいない。だから樹里からその電話を貰った時、俺は驚くと同時に無性に腹が立った。つまり、エリカと寝ている奴が、少なくとももう一人いるってことじゃないか。

 俺は一人怪しいやつを知っている。それは俺のバンドに新しく入ってきた健二のやつだ。あいつは最初っから気にくわねえ野郎だった。変なチューニングのギターで俺が聞いたことのないリフを引き始め、俺がお世辞で『かっこいい、リフじゃん!』と声をかけると『おめえ、ロックやってんのにストーンズも知らんねぇのかよ・・』と言って、『チッ!!』と、舌打ちしやがった。

 俺は洋楽は聞かない。俺の神様はミスチルの桜井やハマショーやGLAYやその他、沢山の日本のロッカー達で、自分のバンドでは彼らのコピーや自分のオリジナルをやっている。第一、何歌ってるか分かんねー歌なんか歌えねえ。だけど、いつだったか、吉祥寺のスターバックスにエリカといると、あいつがトイレに行った時、テーブルに置き忘れていった携帯が鳴って、すぐに鳴り止んだんだけど、こっそり着歴見たら、それは健二の番号だった。最近、彼女が俺に冷たいこともあって、それ以来、俺は健二を怪しいと思っていた。

 俺は東京のとある三流大学の四年だが、就職活動なんてしていない。つうか、今の時代、そんなことしたところで仕事なんて無くて、やるだけ時間の無駄だと俺は思ってる。ただ、バンドのメンバーの中にはもう辞めたいというやつがいたりして、それで、今度の曼荼羅でのライブを最後に活動休止ってことにしようということになった。

 だから、今はそのラスト・ライブのために練習が忙しい。俺達が練習しているスタジオのジュンさんとはもう長い付き合いなので、スゲー安い料金でスタジオを貸してもらっている。そして、練習が終わるといつも隣にあるラーメン屋で反省会と称してラーメンを食いながらだべる。

 これが一番楽しい時間なのだが、ここに俺のもう一つの悩みがある。それはこの店のラーメンだ。ついこの間までは、俺の大好きな豚骨ラーメンの店っだったのに、そこの色っぽい感じの女将さんが若い客とできちまったとかで姿をくらますと、いつもいるんだかいないんだか分かんないこの店の旦那は、あっさり店を閉めちまった。

 スグサマ違うラーメン屋が同じ店構えのまんまで商売を始めたんだが、これがいけない。今度のラーメンは俺から見たらただ真っ黒な醤油の中に麺が浮かんでいるだけで、しかもなんと、刻んだタマネギなんかが入っていやがる。俺はタマネギは嫌いじゃないが、積極的に好きでもない。俺の中じゃラーメンに入っているものだってイメージがそもそも全く無い。

『ハイ。私、八王子のとあるラーメン屋で修行しまして、これ八王子系っていうんです。』と、まだ若そうな新しい店長は言った。

 他のメンバーはラーメンなんてどんな味でも構わないみたいだった。皆、音楽性がどうとか方向性がどうとか、もう後一回で終わりだってのに、真剣に話していてラーメンは黒いスープの中でのびちまっていた。一人だけ話にも加わらず、ラーメンも頼まず、タバコをふかし、ビールだけをもくもくと飲んでいるやつがいて、それが健二だ。いちいち気に障るやつで、俺はいつか絶対こいつをぶっ飛ばしてやろうとその時きめた。

その時は意外に早くやってきた。それはなんとラスト・ライブの曼荼羅でのリハの時だった。俺のイメージ通りのギターをやつが全然弾かなくて、それがことの発端なのだが、怒りにまかせ、俺は常日頃健二に抱いていた疑惑を口にしてしまったのだ。

『・・それにテメエ、影でこっそり、人の女にまで手出しやがってよぉー、俺が知らなぇーとでも思ってんのか!!!』と俺は叫んだ。すると、やつは『おめえ、ロバジョン知ってか?あ?人の女房に手出して毒殺されたブルースマンが俺の神様なんだ。あ?いい女だったら俺は誰にだって手でも足でも鞭でもくれてやるよ。だいたいおめえの女は・・』と言った後、下衆で卑猥な言葉でさんざんエリカのあの時のことを言うもんだから、俺はついにブチギレテてやつをぶん殴った。それで、やつも俺をぶん殴って、ライブの前だってのに俺達は弱っちい負けた4回戦ボクサーみたいな不細工な顔になっちまった。

 騒ぎがおさまってひと段落つくと、ベースのキヨシの彼女のまさみが教えてくれた。『エリカの男って、就活で知り合ったなんとか先輩の友達だよ。あの娘、その男が金持ちのぼんぼんでいわゆる玉の輿に乗れたのに、妊娠したの知れたら別れなきゃなんなくなると思って、樹里と相談して色んな男に色目使って中絶費用引っ張ろうとしてんのよ・・・健二は迷惑してた方で、全然関係ないよ・・・』俄かには信じられない話だった。

 俺達がステージに出て行くと客は、二人のぼこぼこの顔を見て面白がってかえって盛り上がった。俺はもうヤケクソになってマイクスタンドを振り回し、客にビールを浴びせ、イスを投げ、ダイブして暴れまわった。健二も普段はイージーに弾いているくせに、まだ殴り合いの続きをしている見たいな凄まじい演奏をした。

 レパートリーが全て終わると、客は熱狂してアンコールを叫んだ。そして、その時、客席にエリカがいるのを俺は見つけた。今日のアンコールでお前のために作った曲をやるから・・とかなんとか俺は言っていたのだ。ったく俺はなんてアホだ。しかし、俺はもうそんな馬鹿みたいな甘ったるいラブ・ソングなんか歌う気にもなれなかた。俺達は俺が作ったその曲以外にもう一曲アンコール用に練習していて、健二は俺にその曲をやれと言った。英語の曲なので俺には意味が分からなかった。後で健二が教えてくれた。こんな歌だ。

  

  何が起こっているのか お前は全然分かっちゃいない

  お前はずうとどっかに行っていて、戻ってもこなかった

  戻ってきたって もう俺の女だなんて思うなよ

  可愛そうに 捨てられたのお前の方だ

  ベイビー、ベイビー、ベイビー

  お前はもうカヤの外なんだよ・・・・

 

  ステージが終わっても、俺達は打ち上げをしなかった。始まる前、あんなことがあったのにライブが大成功だったので、他のメンバーはどう対処したらいいか分からないみたいだった。でも、皆、『今日は止めて、明日ゆっくりやろう。』と言ってくれて、それで別れた。で、その後、俺はどうしたかっていうと・・・・・・・・これが健二といつものラーメン屋に行ったんだヨ。完全な濡れ衣でぶん殴っちまったもんで、気詰まりだったが、誘うと素直についてきた。顔はますます腫れ上がって、お互い見られたもんじゃなかった。意外にも店の店主は曼荼羅のマスターと友達とかで、俺達のライブを客席で見ていたらしい。

『お二人、ミックとキースみたいでしたよ。』と店主は言った。

 ラーメンは相変わらずのラーメンだった。口の中が少し切れていて熱いスープが滲みて、食べずらかった。

『でも、初めはなんだって思ったけど、段々、これじゃなきゃって思えてきたよ。』と俺が健二に言うと、『おめえもやっと俺のギターを認めたか。』と言って珍しくチャーシュー麺をすすった。

『馬鹿。このタマネギのこった。』

俺は笑った。

初めて俺達は笑った。         

     

   BGMローリング・ストーンズ『アウト オブ タイム』

 

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1・豚骨スープの湯気に別れの挨拶を

 この町に初めてできた豚骨ラーメン屋に最初に私を連れて行ってくれたのはNさんだった。私はNさんよりもその連れ合いであったA子さんと以前バイト先が同じで、だからNさんは初め私にとって単なるA子さんの“旦那さん”であった。二十代の前半、かなり無軌道な生活を送った私は一時体を壊し、福島の実家に戻っていたが、私を再び東京に呼び寄せてくれたのはこのA子さんだった。

『うちの人もいるし。ちゃんと寮もあるから、』とA子さんは言った。

『しばらくそこにいてお金が溜まったら、また、自分でアパートでも借りればいいじゃない。』

 こうしては私は26の時、ある建築現場を目指してバック一つで再び東京に戻ってきた。だが来て見て驚いたのはそこは“寮”などという代物ではなく、東北からの出稼ぎ労働者が寝泊りする“飯場”であった。トラロープに干された作業着、汚れた軍手の山、脱ぎ散らかされた地下足袋。さっきまで面接で『宜しくっス。』とか言っていたのにその“飯場”を見たとたんに、帰る、とは言えなくて私が呆然としていると、ズーズー弁のおじさん達の中から一際体の大きい男が近づいてきて私に声をかけた。

 『あんた、村ちゃんかい?Aから聞いているよ。』と、滅茶苦茶良い男が声をかけてくれそれがNさんだった。

 Nさんは『今夜は村ちゃんの歌でも聞くか。』と、その夜、いきなり私を高級クラブに連れて行った。そんな場所は私には初めての経験だったので、どう振舞ってよいのか分からず、半ばヤケクソで歌っていると、一曲終わるごとにNさんは『上手い、上手い』ときれいなお姉さんたちに囲まれて手を叩いた。だが、その後『それじゃ、俺も一曲。。』とNさんが、森進一の『北の蛍』を歌った時、私はしばらくこの“飯場”で暮らす決心をした。私はNさんの超絶的な男っぷりの良さに“持っていかれちまった”のである。

 Nさんは昔、故郷の九州で鉄火場に出入りし、取引のため持たされていた会社の金?千万を使い込み、恋人であるA子さんを連れ東京に逃げてきた過去を持っていた。以前酒の席でそのことを私が聞くと、漫画“泣きの竜”のような目をして、『俺は、俺の祭りをしただけ・・・』とポツリと言った。私は今でもその時の腐った煮魚のようなどろりとした凄みのあるNさんの目つきを思い出すことがる。やはり、あの人は堅気じゃなかったなと。

 そんなNさんの“祭り”にひょんなことから私は居合わせてしまったことがある。それは初めて行った豚骨ラーメン屋でのことだった。スッカリ“兄貴”と“舎弟”のようになっていた私達は、冬のある日、二人でサウナに行った帰り、そのラーメン屋に立ち寄ったのだ。

 店の外にも豚ガラを煮込んだスープの匂いがもれていて、店内はその蒸気でさらに匂いがきつく“むん”とした。Nさんはいつも『俺は大阪より西に行ったら殺されちまうんだ・・』と言っていて、故郷の土は二度と踏まない(踏めない)つもりだったから、本格的な九州ラーメンを食わすこの店には人並み以上の郷愁を感じているようだった。

 『俺は九州の佐賀で豚骨ラーメンの替え玉を最高12個食ったことがある。』と、ラーメンを啜りながらNさんが行った。『スープが段々、薄まっていくのがいいんだ・・・』 Nさんは異常な食欲の持ち主でもあった。

 その直後、隣の席から下品な笑い声とともに酔っ払ったおやじが『ちぇ!嘘こくんじゃあねえよ、馬鹿。』と言う声が聞こえた。おやじはパチンコで負けた帰りか何かのようで、ビールで酔って赤ら顔で意味不明に苛立っていた。『そんなに食えるんなら俺あ、5万出したっていい。』とおやじは言った。

 その途端Nさんの目つきが変わった。腐り煮魚どろりモードの目である。ポルスター・ガイスト現象が起きる時、ラップ音というピシっという音がすると言うが、私の耳にこのピシっに似た音が聞こえた気がした。そう言えばA子さんがいつも良く言っていた。将棋をしようとビリヤードをしようと卓球をしようとオセロをしようとジャンケンをしようとゴム跳びをしようと、うちの人とは絶対金を賭けてやっちゃ駄目!と。

 私は戦闘態勢になっているNさんにドラマ『傷だらけの天使』のショーケンに纏わりつく水谷豊のような口調で、アニキ、アニキィ、止めようよ、馬鹿らしいって、そんなことして、腹壊したらどうすんのよ、・・みたなことをきゃんきゃんと吠え立てたが、すでに勝負は始まっていた。『替え玉。』とNさんは言った。黒ひげ危機一髪の黒ひげみたいに頭にターバンを巻いた兄ちゃんが厨房に向かって『替え玉一丁ー!』と叫んだ。

 2個目、3個目まではまだ静かだった。しかし、4個目になると店内がざわつき始め、5個目になった時、お父さんに連れられてきた小さな女の子が『しゅごい、しゅごい!!』と手を叩いた。6個目、7個目になると店内の客が周囲に集まり始めた。Nさんは無言でずるずるずるずるずるずるずるとひたすら音をたててラーメンを食い続け、音が止むと『かえ・・玉。』と言った。『替え玉一丁!!』と黒ひげが何度も厨房に叫んだ。

 初めに難癖をつけてきた赤ら顔のおやじは、初めはにやにやしていたが、そのうち盛んに着ていた安物のジャンパーのポケットの中を気にし始めた。10個目に突入すると、携帯でパチンコ仲間かなんかに連絡を取り始め、金を借りる算段をしようとしているようだったが叶わず、11子個目になるころには顔色が赤から青に変わっていた。

 12個目をついに完食した時、店の戸がガッタっと鳴る音がしておやじが走って逃げていった。店内の野次馬の何人かが追いかけていったが、おやじは放置してあったオンボロの自転車にまたがって見えなくなってしまった。私は誇らしかった。馬鹿らしかったが、誇らしかった。アニキィ、アニキィ、やっぱアニキはスゲーなぁ、男だなぁー、あのおやじ今度見かけたら、金は俺が巻き上げとくからよーと、水谷豊になって言いたい気分だった。その時Nさんが私の手首を摑んで言った。

『村ちゃん、金ある?』

 それからしばらくしてNさんはこの町から消えた。残されたA子さんの話によれば、一世一代の大勝負とやらに負けて何百万かの借金を作り、この町にいられなくなってしまったらしい。A子さんと籍を入れないでいたのはそうした時のためなのだった。『すっごく優しい人なの。。』A子さんはウットリしたような表情で言った。そしてA子さんは九州へ帰ってしまった。

 そのラーメン屋は今でもこの町にある。かつて替え玉を12個も食った男がいたことは今やこの店の伝説だ。いまでも時々私はその店にラーメンを食べに行く。あの頃と一つだけ変わったのは店内に手書きの貼紙がしてあることだ。貼紙にはこう書いてある。

『替え玉、お一人様3個まで。』

                                    

              BGM 小山卓治 『傷だらけの天使』

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